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廊下に二人分の足音が響く。
その音は両者の心情を表すかのように荒々しいものだ。
「お待ちください、兄上!」
「くどい! 既に話は終わっている!」
前を歩くのは、まだ二十を超えたばかりの青年だ。
彼は自身への呼びかけに、振り返りもせずに怒鳴り返す。
怒鳴り返されたのは、一七、八ぐらいの少女。
兄上、という先ほどの呼び掛けから察するに、青年の妹であるようだ。
少女は兄の怒声にもめげず、歩くペースを速める。
そうして、前方を歩く青年との距離を詰めると、その腕に手を掛けた。
「いいえ、いいえ! まだ話は終わっておりません!」
流石にそこまでされて、青年は少女を振り返る。
「くどいぞ、リリー! 既に戦略方針は決定された。我ら第七軍は城を出て、敵軍との決戦を行う!」
「何を馬鹿な! 当初の方針を翻して決戦などありえません! 敵はまだ四万を超える大軍なのですよ!」
負けじと言い返してくる妹の手を振り払いながら、青年は更に大声を重ねる。
「当初の方針、遅滞戦闘を採用した時とは状況は変わったのだ! 敵は数を減らしただけにあらず。同士討ちで疲弊し、尚且つ士気が大いに下がっている。多少の兵力差などどうとでもなるわ!」
「多少の兵力差? 二倍の兵力差を多少と仰いますか!?」
「ふん、敵前で同士討ちをする阿呆など、二倍ぐらいではむしろ物足りぬよ」
ふてぶてしい笑みを浮かべ、青年はそのように敵軍を軽んじる。
「何を! 油断は禁物です、兄上! 敵を侮ることほど危険なことはないという、父上の言葉を忘れられましたか!」
「ッ! 父上はもういない!! 今は俺がギュンター家の当主だ!!」
一際大きな怒声を上げる青年。その顔が朱に染まる。
余りの怒声に、少女は思わず押し黙る。
一方青年は、自らの抑え切れなかった激情に苦々しさを覚えた。
「……既に方針は固まった。軍団長の命に従え、ギュンター少佐」
兄としてではなく、上官として言葉を告げる。
少女、リリー・ギュンターは強く拳を握り締める。そうして、一拍おいて絞り出すような声を発した。
「了解しました、ギュンター大将閣下……」
そうして目の前の将軍、半年前の前軍団長の急死に伴い、異例の四階級特進を経てその座を継いだレオポルド・ギュンター将軍に、怒りに震えながら頭を下げた。
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オクキデンス城内の自室に戻るや、力なく椅子に腰かける。
そうして一人物思いに耽る。
自軍が明らかに危険な方向へと動き出している。だけど……。先程の兄との問答、いいえ、言い争いを思い返せば……。
ああ、最早私が何を言っても覆らないだろう。
言いようのない焦燥感と、事態を好転できない歯がゆさ。
それらが精神に重くのしかかる。
暫く俯いていると、コンコンと、扉をノックする音がする。
「お嬢様、ダマーです」
「入りなさい」
一礼しながら室内に老年の将校、ダマー少将が入室してきた。
少将は代々ギュンター家に仕える家柄の子息で、彼自身もその半生をギュンター家が代々軍団長を務める第七軍に捧げてきた軍人であった。
半年前に急病で夭折した父の信頼も深く、幼少時代の兄と私の傅役も任された。
そういった経緯から、兄や私からの信頼も厚い軍人である。
「よく来てくれました、ダマー少将」
「いえいえ、お嬢様のお呼びとあらば」
私は一つ頷くと、早速用件を切り出す。
「此度の兄上の方針転換、司令部の反応はどうなのです?」
私がいくらギュンター家の娘とはいえ、軍内での階級はたかが少佐。大隊を率いる一介の前線指揮官にすぎない。
司令部の動向を逐一把握することは困難であった。
逆にダマー少将は司令部付の作戦主任参謀。司令部の内情を聞くにうってつけの人物というわけだ。
「ふむ、そうですな。無論、皆危機感を抱いておりますが……。同時に確かに好機ではないか…という思いも」
「好機……。兄上の言うように、共和国軍の混乱と士気低下に付け込めると?」
「可能性の話です。必ずしも不可能ではない。むしろ、十分成算があるのでは…と」
私は左右に首を振って見せる。
「当然、逆の目が出る可能性もあるでしょうに。司令部要員はいつから全員楽天家になったのですか?」
「まさか、まさか。流石にそのようなことは。その証拠に、危機感を抱いている幕僚も多い。大将閣下に諫言する者もいます。ただ……」
「兄上が諫言に耳を傾けない」
ダマー少将が無言で首肯する。
「……やはり焦っておられるのでしょうか」
兄とて馬鹿でも愚か者でもない。
開戦当初より条件は良くなったのだ。
遅滞戦闘に努めれば、難なくマグナ王国軍に勝利は転がるだろう。それが分からない筈はない。
ただしそれは、マグナ王国軍の勝利ではあっても、第七軍の勝利ではない。
……もちろん、兄の勝利でも。
兄にはそれが満足できないのだろう。
自らの武功を掲げようと躍起になっている。
自らの功に拘泥する。それは一軍の指揮官として問題ある行為だ。しかし……。
兄が焦るのも無理はないとも思う。
兄を取り巻く環境の変化はあまりに劇的で、彼にとって酷なものであった。
半年前の父の急死、その結果引き起こされた兄の当主就任と、四階級特進での軍団長着任。
ギュンター家はおろか、七将家全体を見ても早々起こりえない椿事だ。
故に周囲の目は厳しい。
ついこの前まで将官ですらなかった軍人に、二十そこそこの若者に、果たして軍団長としての能力があるのか? 将兵はそう疑問を抱いている。
そんな中、兄にかかる重圧は如何ほどであろうか?
きっと想像を絶するものに違いない。
勿論そんな状況に置かれた兄を支えようとしてくれる旧臣も多い。
多いがしかし、それも裏を返せば、彼ら旧臣の不安の発露ではないのか?
兄はどうも、そういう思いに捕らわれているようだ。
だからこそ、諫言を言う父以来の旧臣たちを厭い始めている。
「少将、幕僚たちの総意として、兄上の説得は叶いませんか?」
それでも一縷の望みを込めてダマー少将に問いかける。
「難しいでしょう。それに……」
「それに?」
「性質の悪いことに、閣下の方針をこれ見よがしに追従する者も司令部内に……。閣下の歓心を買おうというつもりでしょうが」
「嘆かわしい。……つまり、司令部要員が一枚岩で説得に当ることはできないというわけですね」
「……はい」
私は大きくため息を吐く。
「城外での決戦は避けえませんか……」
諦感と共にそう呟いた。
「そう悲観召されるな。負けると決まったわけではありませぬ。閣下の言通り、確かに敵は混乱しているのですから。勝機はあります!」
勇気付けるように、ダマー少将が言った。
「そう……ですね。兄上を説得する努力はすべきですが……。それが叶わず、いざ決戦となった暁には、マグナ騎士として全霊を以て勝利を掴みに行くまでの事!」
ダマー少将の言葉にいくらか心が晴れた。
そうだ。例えどのような戦いになろうと、私は私の務めを全力で全うするのみだ。
そうして、第七軍に必ずや勝利を!
「その意気です、お嬢様! 相談に乗った甲斐がありましたな。お嬢様のようなお転婆娘が消沈していると、兵たちも引きずられてしまいますので」
ダマー少将が冗談めかしてそのように言う。
「まあ! 何たる暴言! お転婆娘はとうに卒業しましたよ!」
「そうでしたかな? いやはや、老人の頭の中はどうも昔のことばかりで」
「ボケるにはまだ早いわ、じいや。じいやにはまだまだ働いてもらわないと」
「この老兵をまだ扱き使い足りぬと仰る? なんと鬼畜なお考えか! どうやら仕える家を間違えたようだ……」
ダマー少将は大仰に天を仰いで見せる。
そのわざとらしい仕草に、私は思わず笑ってしまったのだった。




