3-7
時刻は夕刻前。
場所は、現状の進軍速度でマグナ・ラティオ両国の国境まであと一日といった位置。
見晴らしの良い平野部である。
そこでラティオ共和国軍は行軍を止め、簡易な宿営地を設置した。
私はその宿営地の中を、アヴリーヌ伯爵と肩を並べて歩いていた。
「突然本営に来いとは、何事でしょう?」
「さてな。つい先程、物見に出していた斥侯が飛ぶように帰ってきたそうだが……」
「ハア、十中八九良い知らせではなかったのでしょうね」
私たちはそんな風に話し合いながら、本営の天幕へと向かう。
本営天幕付近まで近づくと、私たちと同じように招集をかけられたと見える士官たちが、慌ただしく天幕の中へと急いでいた。
私たちも彼らと同じく、天幕内へと入る。
本営と定めた大天幕には、既に多くの士官が集まっている。
中央の机を囲むように立ち、それぞれすぐ横の士官と何事かを話し合いながら、軍議が開かれるのを待っているようだった。
私たち二人は、その中央の机の一角の空いたスペースに身を滑らせる。
そうして机の上に広げられた地図を覗き込む。
それは、マグナ・ラティオ両国国境近辺の地図であるらしかった。
その地図上に、×印がいくつか書き込まれている。
×印が有るのは、ラティオ共和国側。国境から少しばかり共和国内に入り込んだ位置である。
ふーん。これは……。
私は地図から目を離すと、周囲の士官たちから漏れ聞こえる言葉に耳を傾ける。
「国境を浸透……」「警備隊は何を……」「どうやら小部隊の仕業のようだ」
なるほどね。マグナ王国軍も大胆な行動に出る。
そうやって頷いていると、周囲の士官たちの声が一斉に止んだ。
士官たちは身を正して、天幕入口から入って来る軍人たちに敬礼をする。
答礼を返したのは、ラティオ共和国軍の総司令官、キリコ将軍であった。
キリコ将軍は答礼を解くと、上座の方へと進む。
彼が上座で立ち止まると、士官たちが一斉に敬礼を解く。
「それでは軍議を始めようかのう。シモーネ君」
キリコ将軍は穏やかな声で、自らの副官であろう軍人を促す。
その穏やかな声といい、柔和な顔立ちといい、何とも軍人らしくない。
そんな少しばかし失礼な感想を抱く。
ただ、噂が正しければ、キリコ将軍の実像から大きく外れていない感想であろう。
キリコ将軍、と言うより、ラティオ共和国軍の総司令官職に言えることだが……。
その職責に必要なのは、他を圧倒する武芸の才でもなければ、卓越した戦術眼でもない。
必要なのは、偏に調整役・折衝役としての能力だと揶揄される。
というのも、ラティオ共和国では、最早お国柄というべきか、軍内部ですら士官たちの議論を以て、軍方針を決定するのだ。
誰かが、例えば総司令官が強権を以て、己の考えを断行するようなことはない。
まあ、そういった事情を鑑みれば、この好々爺然としたキリコ将軍は、総司令官職に適任であると言えるのだろう。
しかし、議会染みた軍首脳部……か。
何だろう、行き過ぎた民主主義とでも言うべきか。
それってどうなの? って、思わずにはいられない。
そもそも、その是非は兎も角として、大きな問題点が別にあったりする。
それは、その在り方がただの建前でしかないこと。
軍士官たちの合議によって、軍方針を決定するという運用が、実は正しく行われていないというのは、カザリーニ卿から聞いた話だ。
この場の合議において話が纏まらない場合、最後は多数決となる。
票を持っているのは、長老評議会から任命された総司令官含む六人の将軍たち。
もうお分かりだろう。そう、将軍たちはただのお飾り。
彼らは、彼らそれぞれの後見についている有力議員の操り人形でしかない。
まったく、腐敗が進んだ制度にも程があるというもの。
ああ、だけど所詮は他人事。お好きにどうぞってところかしら。それに……。
その腐敗しきった制度は、私にとって好都合に働くのだから、文句を言っては罰が当たるわね。
「――斥侯が持ち帰った報告は以上であります」
とと、いつのまにか副官君の話が終わっている。
まあ、事前の予測からそう外れた内容でもないので、真剣に聞く必要もないのだけれども……。
話は単純。守勢に回ると思われたマグナ王国軍が先制攻撃をかけたということ。
ただ、大規模のものではない。
いくつかの小隊が同時に越境を試みた。
その内、ラティオ共和国側の国境警備隊の目を掻い潜ったいくつかの部隊が、国境近辺の集落で焼き働きを行ったというわけである。
規模が規模だけに、被害は大したことは無い。
そして、国境を浸透した部隊も既に引き返し始めているとのことである。
「すぐさま追撃の兵を!」
血気の多そうな若手士官が声をあげる。
「追撃しても補足できるかどうか……。できたとして、たかだか小隊であろう? 労多くして功少なしではないか」
「さよう。ただの嫌がらせよ。大した被害も出ていないのだ、捨て置け」
若者の短慮を窘めるかのように、年嵩の軍人二人が反対意見を述べる。
「しかし! それでは共和国軍の威信が!」
尚も言い募る若手士官だが、場の雰囲気は完全に彼にとってアウェーと化している。
よしよし、仕方ないなぁ。弱者の味方、マジカル雫ちゃんがお助けしてやろう。
「失礼、発言の許可を頂いても?」
思わぬ闖入者の声に、場が一瞬静まり返る。
「発言の許可を頂いても、総司令官閣下?」
「おお、勿論だとも! 軍議は広く意見を取り入れる場なれば。遠慮なく申されよ、シズク殿」
鷹揚に発言を許したキリコ将軍に、私は恭しく一礼する。
「では僭越ながら……まずは、ここ司令部内の認識の摺合せをすべきと提言します」
「ふむ、認識の摺合せ?」
「はい、認識の摺合せ。今回の敵の攻勢、その意図とは何かについて、諸兄らと認識を共有したく思います」
私のこの発言に、真っ先に若手士官の追撃論を切って捨てた男――階級章を見るに大佐のようだ――が口を出す。
「決まっておる。嫌がらせであろう。連中、正面切って我々と戦う戦力がないからな。そんな小細工を仕掛けよったのだ」
「成程、嫌がらせ……。勿論、それも敵の意図の一つでしょう」
私の含みを持たせた言い方に、件の大佐は顔を顰める。
「他に何があると言うのだ?」
「小隊規模とはいえ、彼らは確かな危険を冒しています。その目的が、ただの嫌がらせだけとは考え辛いと思いませんか?」
「……つまり?」
「相対するマグナ王国第七軍は、共和国軍の半数未満の兵力しかありません。必然、彼らの取りえる戦略は遅滞戦闘となります」
「当然だな」
「彼らが、遅滞戦闘を行う上で一番の懸念は何か? それは兵の士気でしょう。倍する軍と相対し続ける兵にかかる心理的負担は如何ほどか? 長く耐え忍ぶ戦い。士気の維持は困難を極めるはずです」
私の言葉に、多くの士官が頷く。
「なれば、機先を制することで、せめて緒戦だけでも戦果を上げて兵の士気を高めたい。そう考えても不思議ではありません」
「つまり、此度の焼働きは士気高揚のためだと?」
「そうです。想像してください、危険な任務を終え本軍に戻る特務小隊。本軍の兵は彼らの勇気を称え、歓呼を以て迎え入れる。ね? 士気が上がりそうでしょう?」
私は渋面の大佐に向かって、最後はお茶目な感じに言い放つ。
大佐は不承不承納得した様子。
こちらの意見を認めた上で、唸るように問いを発する。
「しかし、ならば貴官はどうせよというのだ?」
「無論追撃をかけます。焼き働きに出た小隊の多くが捕殺されたとなれば、逆に敵の士気は下がるに違いありません」
「しかしそう上手く行くかね」
「さて、中々難しいでしょうね。ただ、仮に失敗しても、我々は何を失うというのです?」
「……確かに失うものは無いか。兵らが無駄働きをさせられることにはなるがな」
憮然と言い放つ大佐。
「はは、それを言われてしまうと……。いいでしょう、その無駄働き予備軍たる追撃部隊に、我々アルルニア軍も参加しましょう」
「ほお、よいのかね」
大佐の声音に変化が現れた。ふむふむ、もう一押しかな?
「私が言い出した作戦ですしね。のうのうと楽は出来ません。それに我々は観戦武官ではなく、援軍としてきているのです。お客様気分でいる気はありませんよ」
「はっは! その言や良し! 中々小気味よい娘だ!」
気難しそうな大佐が破顔する。
どうやら気に入られた様子。善哉、善哉。
他の面々の顔も見やる。
ふむ、どうやらこの大佐を越える面倒そうな御仁はいないかな?
よしよし、上手く運びそうね。
「さて、他の諸兄方に異論はあるでしょうか? ……なさそうですね。総司令官閣下、私の提言に対し、意見は出尽くしたようです。評決を取って頂いても?」
私の問い掛けに、キリコ将軍は白い顎鬚を撫でる。
「うむ。ワシはシズク殿の提言を受け入れても良いと思うが……。貴官らはどう思われるかのう?」
そう言って、自分以外の五人の将軍たちに視線を向けるキリコ将軍。
「私も異論は有りません」
「そうですな」
「よろしいかと」
「私も賛成です、総司令官閣下」
キリコ将軍の問い掛けに、間髪いれず四人の将軍が賛意を示す。
これには、キリコ将軍が白くなった片眉を僅かに持ち上げた。
どうやらこの事態に、キリコ将軍は内心訝しがっている様子。
まあ、でしょうね。
私の提言は確かに無理のないものだったけど……。
それでも、こうもすんなり決まると、不自然に感じても可笑しくは無い。
きっと、トントンと将軍たちが賛意を示すのは、珍しいことなのだろう。
それがキリコ将軍に疑問を抱かせた。
もっとも、キリコ将軍はすぐに表情を笑みへと戻す。
引っかかったのは一瞬のよう。
そうゆうこともあるだろうと、納得したのかしら?
キリコ将軍が軍議を纏めにかかる。
「賛成の者も多いようじゃ。シズク殿の意見を採用しようと思うが……。どうかのう?」
そう言って周囲を見回すが、誰も口を開く者はいない。
それもそうだろう。例え反対意見が出て、多数決にもつれこんだとしても、既に票を投じる将軍の過半数が賛同しているのだ。
結果は既に出ている。なれば、反対意見を言うだけ無駄である。
だから先ほどの問いかけは、形式的なものにすぎない。
「……反対意見はないようじゃな。それでは参謀諸君、追撃部隊の選考と編成を急ぎたまえ」
「はっ」
参謀たちが即座に頷く。
「それでは、これにて軍議を終わりとする」
キリコ将軍の閉会の言葉で、軍議はお開きとなった。
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「聞いてもよいかね? 何故、あのような安請け合いを?」
本営からの帰り道、アヴリーヌ伯爵がそのように問い掛けてきた。
「点数稼ぎです。何もせずボーっとしてても、反感を買うでしょう?」
「ふむ、そうだな。……そこで戦功を立てておこうと?」
「いえ別に、戦功までは言いませんけどね。実際、追撃部隊は空振りに終わる可能性の方が高そうですし」
「ほお、戦功はいらんかね?」
「ですね。我々もしっかり働いているのだと、ポーズが取れればそれで……」
「なるほどな」
そう今はポーズを取るだけでいい。
私たちの目的は、あくまで軍監。戦うことではない。
ただ、共和国軍と折衝する上で、相手側の反感を買えば、やり難い。
だからこんな気遣いもすべきでしょう。
「……面倒を掛ける伯爵の兵たちには申し訳ありませんが」
「構わぬよ。魔女殿の意図は理解できる」
「ありがとうございます」
私は、アヴリーヌ伯爵に素直に頭を下げた。
「よい、頭を下げなくとも。これで我らの仕事はやりやすくなるのだろう?」
「はい。それに……」
「それに?」
「いいえ、何でもありません」
私は、わざとらしく笑んでみせる。
これ以上話す気が無いというサインだ。
「ふむ、そうかね」
アヴリーヌ伯爵は、こちらの意図をきちんと汲取り、それ以上の追及の言葉を続けなかった。
いやいや、本当に付き合いやすい御仁だ。
さて、先程の軍議でラティオ共和国軍からの心証を少しはよくできた。
立派な成果だ。
それに……事前の仕込みが、上手く機能するかの確認もできたしね。
中々有意義な軍議だったわ。
私は満足気に笑みながら、陣中を歩き抜けたのだった。




