3-2
カーテンが閉め切られた薄暗い応接室。
室内には三人の男女の姿。ソファに対面に座る男女と、ソファに座る男性の背後に控えている男性。
ソファに座る男性は、ラティオ共和国長老評議会の議員にして、旧貴族の重鎮、バルトローネ卿であった。
後ろに控えているのは、バルトローネ卿の信頼する護衛官である。
バルトローネ卿の対面に座るのは、昨日長老評議会で熱弁を奮った雫であった。
今日の彼女は一転、纏う空気を昨日とは別物としている。
例えるならば、何処か陰のある冷徹な謀略家といった趣であろうか?
バルトローネ卿は、そんな雫の変化を訝しんだ。
一体、彼女の本性はどちらであるのか? そんな疑問が突いて出る。
いや、どちらにせよ、ただの小娘と侮ることはできぬ。
バルトローネ卿はそう思い、目の前の少女への警戒度を引き上げた。
「今日は突然の申し出にもかかわらず、貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございます」
会談、いや、この部屋の様子を鑑みるに、密談と言う方が正確か。
兎に角、密談は、そんな社交辞令のような決まり文句から始まった。
「気になさるな、特使殿。して、話とはやはり、我が国の参戦についてかな?」
「はい。率直にお聞きしますが、評議会の感触はどのようなものでしょう?」
ふむ、とバルトローネ卿は白くなった髭を撫でつけながら、一拍時を置く。
「……そうですな。議員の多くは、マグナ王国を脅威に思っています。しかし、即座に参戦を決意するのには、二の足を踏んでいるようですな」
「なるほど」
雫は、バルトローネ卿の言葉に一つ頷く。
「では、バルトローネ卿、卿はどのようにお考えですか?」
「……私も多くの議員と同様です。マグナ王国を脅威に思う。それに何らかの対処が必要とも。しかし、開戦となれば、慎重にならざるを得ませんな」
毒にも薬にもならぬ、そんな曖昧な回答をするバルトローネ卿。
勿論それは、彼が優柔不断……というわけではない。
そんな人物が、海千山千の長老評議会にて、旧貴族派の重鎮という立ち位置に立てるはずもない。
つまりその回答は、開戦を決意させるために、お前らに何ができるのかという、問い掛けに他ならない。
「バルトローネ卿、貴国が開戦されるなら、我々は資金・物資の支援。そして、いくらかの援軍も派遣するつもりです」
「なるほど。心強いですな」
言葉の内容とは裏腹に、その声音は無感動なものであった。
なんだ、そんなものか。そんな副音声が聞こえてきそうである。
雫は一度口を閉じる。
バルトローネ卿は、そんな雫の顔をまじまじと見つめる。
無言の時が、数秒。
バルトローネ卿は、視線を外すと一つ咳払いする。
「特使殿の話はよく分かりました。この件に関しては、よく吟味して……」
「ファーテリス・テッラ……」
バルトローネ卿の言葉を遮り、雫がポツリと呟く。
「コンラート殿下が王位に就いた暁には、ラティオ共和国軍のファーテリス・テッラ地方への進駐を認めましょう」
「それは……」
バルトローネ卿は思わず絶句する。
ファーテリス・テッラ地方、それはマグナ王国とラティオ共和国の国境付近一帯の地名である。
そして、先々代のマグナ国王の時代から、マグナ王国とラティオ共和国が険悪な関係にある原因でもあった。
マグナ王国とラティオ共和国は共に、この地方の領有権を主張し、幾度となく小競り合いを続けてきた経緯がある。
そして、現在では、この一帯はマグナ王国の支配下となっていた。
「貴国が開戦されれば、マグナ王国に準備を整える暇を与えず、アルルニア・ラティオの二方面から一気にマグナ国内に攻め入るつもりでいます」
「………………………………」
「そして王都を陥落させ、コンラート殿下が新王として即位なさる」
「………………………………」
「コンラート新国王陛下は、王統を正す協力をされた貴国に、その礼としてファーテリス・テッラ地方への進駐権を認めるでしょう」
「……それは誠でしょうか?」
どこか恐る恐るといった風情に、確認の言葉を囁くバルトローネ卿。
雫は身を乗り出すと、同じく囁くような声音で答える。
「ええ。ただし、現状でそれを公表はできません。あくまで密約という形で。理由はお分かりですね?」
雫の言葉に、バルトローネ卿は神妙に頷く。
現段階で、この約定を公表すれば、コンラートはマグナ王国内での信望をなくすことになるだろう。
祖国を切り売りするような者を、国王として誰が迎え入れるというのか。
「バルトローネ卿、マグナ王国との開戦に賛同して頂けますね?」
「いや、それは……」
「良くお考え下さい。ファーテリス・テッラ地方への進駐権が貴国に与える国益を。そして、その密約を主導して纏め上げた功績は、卿のものとなるのです」
その甘い囁きに、ビクリと体を震わすバルトローネ卿。
「卿の長老評議会における立場は、さらに確固としたものになるでしょうね」
「……分かりました。前向きに検討させてもらいましょう」
バルトローネ卿の言葉に、雫はにっこりと、まるで純真な娘の様に微笑んだ。
「よかった。では、他の議員方の説得もお願いしますね」
まるで、断られることはないだろうといった風情である。
そんな図々しい雫の更なる要求に、バルトローネ卿は苦笑を返すことしかできなかった。
****
ゴトゴトと石畳の上を進む馬車の中で、身体を揺すられる。
お尻が痛くなるので、正直この移動法は好きになれない。現代日本の車が懐かしく思える今日この頃。
今の様に街中で乗る分にはまだましだが、アルルニアから遠路はるばるラティオまで馬車で移動した時は、新手の拷問か何かかと思ったほどだ。
私は溜息を一つ零すと、気分を変えるため、馬車の覗き窓から、街の様子を眺めることとする。
そうして考えるのは、先程のバルトローネ卿との密談だ。
ファーテリス・テッラ地方への進駐権、こちらの用意した餌に、思い通り喰らい付いてきたものだ。
私は通り過ぎる街並みを眺めながら、ほくそ笑む。
まあ、当然よね。餌としては十二分。大そう豪華な餌だもの。
しかし密談とはいえ、そんな大そうな餌を与える約束をして問題ないのか?
全く、問題ないのである。
バルトローネ卿に話した通り、今後の戦略は、アルルニア・ラティオの二方面から攻勢をかけていくことになる。
そこで気になることが一つある。
そう、首尾良く王都を陥落させ、コンラートを王位に就けたとして……。
『戦争は終わりました。御協力ありがとう。さあ、大人しく帰国してね』
なんて言葉を、ラティオ共和国軍に言ったとしよう。
彼らは大人しく帰国してくれるだろうか?
答え、そんな馬鹿なことはありえない。
連中は切り取ったマグナ王国西部を不法占拠するに決まっている。
なら、ファーテリス・テッラ地方への進駐権を認める、認めないにかかわらず、どうせ奪われるのは目に見えている。
だったら、失うことが分かり切ったそれを、精々高く売りつけてやるのだ。
そして、この密約は餌であると同時に、保険であり、罠でもある。
我々が進駐権を認めたのは、あくまで国境付近のファーテリス・テッラ地方のみ。
それ以上侵攻してきた土地を、彼らは戦後放棄しなくてはならない。
そう、密約を遵守するのならば……。
彼らが密約を守ればそれでよし。ファーテリス・テッラ地方という、国境近辺を失地するだけで、他の王国領を全て手中に収めることができるのだ。
決して、悪い取引ではない。
そしてもしも、ラティオ共和国が密約を破り、ファーテリス・テッラ地方以上の土地を不法占拠したならば……。
我々は大義名分を得るわけだ。堂々と裏切り者に攻撃する大義名分を。
その時は、不法占拠した土地と共に、元々進駐権を認めていたファーテリス・テッラ地方をも奪い返す。
先に密約を破ったのはラティオ共和国の方だ。そこに非は一切ない。
それどころか、逆侵攻をして、相手の国土を奪うことさえ不可能ではない。
ふふふ、私って謀略の天才じゃないかな、かな?
いやいや自分の才能が恐ろしい……うん? あれ、何かおかしくない?
私は覗き窓から身を乗り出すように、外の街並みを注視する。
どうやら、馬車は大通りから曲がり、高級そうな住宅街の方へと向かっている。
特使である私に、評議会が用意した宿は、大通り沿いにある高級宿だ。
大通りから逸れる必要性は何処にも無い。
「すみません、馬車を止めて下さい!」
窓から首を出し、前方で馬車を操る御者に向けて声を発する。
しかし、御者は馬車を止める様子も見せないし、何の返事も返さない。
「馬車を止めなさい! 何処へ連れていく気ですか!?」
「……さる御方から、特使様をお招きするように言われております」
今度は御者から返事がある。
さる御方……ね。何者だろう?
扉を開けて、馬車から飛び降りるべきか? あるいはお招きにあずかるか?
……虎穴に入らずんば、虎子を得ず。
こんな強引なお招きの主催者が誰なのか? そして、その目的は?
気になる。ここで飛び降りれば、それが分からない。
仕方ない。お招きに応じることにしますか。
私は窓から首を引っ込めると、腹をくくって大人しく座る。
ほどなくして馬車は、一つの屋敷の中へと入って行った。
門を抜けたところで止まると、外から馬車の扉が開かれる。
私は無言で馬車から下りると、屋敷の方を窺う。
年の頃三〇そこそこの、身形の良い男性がこちらに向かって歩いてきていた。
その男性は、私の前まで歩み寄ると、軽く頭を下げる。
「特使殿、急なお誘いになりました。御容赦ください」
「本当に急でした。ラティオの紳士は、レディの誘い方を知らぬようですね」
「これは手厳しい。それでは会談の中身で挽回するとしましょう」
「ええ、本当に。そうであって欲しいと思います」
全く、本当にね。
こんな強引な誘いで、中身のすかすかな茶飲み話を聞かされたのでは堪らない。
「申し遅れましたが、私は長老評議会議員、テオ・カザリーニと申します」
「雫です。よろしく、カザリーニ卿」
私はカザリーニ卿の案内で、彼の屋敷に、虎穴の中に飛び込んだのだった。




