2-5
そこは、大広場に面する建物の中でも一際高い建造物の最上階。
故に、大広場を眺めるには、まさに特等席と言えた。
この日、その特等席から見下ろした大広場の様子は、常とは随分と異なるものだった。
大広場の中央には、何やら急造されたと見える木製の舞台。それを中心にぐるりと、同じく木製の柵が連なる。
そして、その柵の外側には、多くの群衆が詰めかけてきていた。
群衆たちのざわめきや、熱気が、特等席から見下ろす三人の武官にも、はっきりと感じられた。
三人の武官、総じて立派な身形をしている。それだけで、彼らの階級の高さが窺えるというもの。
事実、彼らそれぞれが、一軍を率いる資格を持った将軍たちであった。
三人の将軍たちは、無言のまま広場を見下ろし、その時が来るのを待っている。
もっとも、共通しているのは、無言であるということのみ。
それぞれの将軍の態度は、三者三様だ。
生真面目そうな将軍は、不満を隠しもせず両腕を組んでいる。
武人にあるまじき、肥満の将軍は、キョロキョロと落ち着かない様子だ。
飄々とした空気を纏う将軍は、何とも掴みどころのない表情をしている。
張り詰めた空気の中、物音一つ無く静まり返った、その一室。しかし、唐突に廊下を駆けてくる足音が、その静寂を破った。
そして、時をおかずして、荒々しく開かれる扉。
入ってきたのは、まだ若い士官であった。
その様子から、ひどく切羽詰まっていることが察せられる。何せ、将軍たちのいる部屋にノックもなしに入ってきたのだから。
慌ただしく入室した士官に、三人の将軍の視線が集まる。
普通なら、そこで自らの非礼に気付き、すぐさま謝罪するのだろうが……。
この士官は、捲し立てるように、自らの用件を話し出す。
常軌を逸した行動。しかし、この士官を責めるのは酷というもの。
何せ、彼はそれほどまでに焦っていたし、何よりその行動は、彼なりの正義感に駆り立てられたものであったのだから。
それでも、一言苦言を呈すると、彼の正義は余りに青く、何より無鉄砲であった。
「お願いします、将軍閣下! どうか、あの女を止めて下さい!」
若き士官の懇願に、三将軍はやはり三者三様の態度を示す。
生真面目そうな将軍は、ますます顔を顰めてみせる。
肥満の将軍は、額の汗を拭いつつ、他の将軍たちの顔を窺う。
飄々とした空気を纏う将軍は、まるで傍観者のように、事の推移を見守っている。
共通しているのは、やはり、それぞれが無言であるということだ。
そんな、将軍たちの煮え切らない態度に、若き士官は声を荒げそうになるのを必死に抑えた。
そして、努めて冷静な声を心掛け――上手くいっているとは言い難いが――将軍たちを説得するため、言葉を重ねる。
「このようなこと、どう考えてもおかしい。軍監の領分を大いに逸脱している! そうは思いませんか、ラザフォード将軍!?」
若き士官は、三将軍の中で、生真面目そうな将軍に言葉を投げ掛ける。
まあ、無難な選択であろう。他の二将軍より、まともな話ができそうではある。
名指しされた、生真面目そうな将軍――ラザフォード将軍――は、ようやく重い口を開く。
「確かに軍監の権限を逸脱している。ただし、彼女の独断であるなら……だがな」
その言葉に、士官の表情が歪む。
そんな士官の顔を眺めながら、ラザフォード将軍は、更に言葉を重ねる。
「命令は、軍監が発したものではなく、陛下の勅命によるものだ。何ら問題ない」
確かに理屈であれば、ラザフォード将軍の言う通りである。
だが、とてもではないが、若き士官を納得させるものではなかった。
彼は怒りに身を震わせると、声を荒げた。
「あの女だ、あの女が、陛下を唆したのです! でなければ……!」
「黙れ! 貴様、それ以上の言は不敬であるぞ!」
ラザフォード将軍が叱責の言葉を上げる。
確かに、士官の言葉は危ういものであった。軍監に対する不服だけならいざしらず、それが国王にまで及べば、流石の将軍たちも庇いようがない。
若き士官も、自らの言の危うさに気付いたのであろう、慌てて口を噤む。
そして、少しは激情を抑えられたのか、縋るような声で再び懇願する。
「どうか、どうか、お力をお貸しください。我が主家フーバー家は、建国以来の武門の名家、七将家の一つです。それを悉く処刑するなど……」
ラザフォード将軍は、若き士官から目を逸らす。そして苦しげに呟いた。
「……許せ、陛下の勅命には逆らえぬ」
その言葉に若き士官は、崩れ落ちる。
痛ましいものを見るような目で、ラザフォード将軍は彼を見つめた。
そう、ラザフォード将軍もまた、今日の処刑に内心では反対であった。
確かに、先遣軍の指揮官フーバー大将は、自軍より劣る敵軍に惨敗した。
それは、責められるに十分な罪だ。何らかの罰が下るのも、致し方の無いこと。
だが、先の戦いでは、フーバー大将と、その長子クラウスが戦死している。
敗戦の責というのなら、既に己が命で贖ったといえなくもない。
にもかかわらず、一門に連なる者、その全てを処刑するなど……まさしく、前代未聞のことであった。
そもそも、勝敗は兵家の常である。百戦百勝などありえぬこと。
一々、敗戦する度に、指揮官の一族を族滅していては、この国から武門の家系が、根絶やしになるというものだ。
「誰か、誰かおらぬか!」
ラザフォード将軍が言葉を発する。ほどなくして、衛兵が駆けつけた。
「彼を、何処か休めるところへ」
将軍の言葉に頷き、衛兵は若き士官を支えるように、部屋から退出していった。
三将軍が無言で、その背中を見送る。
「よかったのかね、ラザフォード大将?」
飄々とした空気を纏う将軍が、ラザフォード将軍に問い掛ける。
「良いも悪いもない。王の命は絶対、絶対でなければならぬ」
その返答に、問い掛けた将軍は肩をすくめた。
「変わらぬな、堅物。しかし、我々にとって都合の悪い前例を作ることになるぞ」
「……………………」
「建国以来、七将家に連なるものの処刑など皆無であった。だが今日を以て、七将家ですら、王の勅命一つで、断頭台送りになることが明らかになるわけだ」
その言葉にビクリと震えたのは、ラザフォード将軍ではなく、横で聞いていた肥満の将軍であった。
「わ、我ら七将家は、け、建国王と共に、この国の礎を、礎を築いた英雄の末裔。そ、そのようなことが許されて良いわけ……」
「おお! よく言った、レグーラ大将! 是非とも、そのように軍監殿を説き伏せ、卿の手で処刑を中止させてくれたまえ!」
飄々とした空気を纏った将軍は、諸手を上げながら喝采する。
「ななな、マクシミリアン大将、何を言って……」
突然の話に、肥満の将軍――レグーラ将軍――は面食らってしまう。
その一連のやり取りに、ラザフォード将軍は溜息を零した。
「マクシミリアン大将、そのように人をからかっている場合ではない」
「何を、ラザフォード大将! 私はいたって真面目だとも!」
ここに至って、レグーラ将軍も、飄々とした空気を纏った将軍――マクシミリアン将軍――の真意に気付いたようで、顔を赤らめる。
「け、卿は、私を愚弄しているのか!」
「まさか、まさか。卿なら軍監殿に恐れず突進していけると見込んでのことよ。何せ、猪も豚も似たようなものであろう?」
「……? ……! ふ、不快である! 私は中座させて頂こう!」
そう言い捨てると、レグーラ将軍は、肩を怒らせて部屋を出て行った。
「…………マクシミリアン大将」
ラザフォード将軍が、ジロリとマクシミリアン将軍を睨みながら、咎めるような声を上げる。
「そう睨むな、卿と二人きりでゆっくり話したかったのだ」
「…………それで、話とは?」
「決まっている、軍監殿のことだ」
ラザフォード将軍は、無言で頷くと話の先を促す。
「軍監殿は狂人だが、馬鹿ではない。言わば、理性ある怪物といったところか」
「…………それで?」
「つまり、今回の処刑も意味無きものではない。我々、七将家を押さえつけ、コントロール下に置くことが目的よ。卿も見ただろう、豚将軍の怯えようを。あの様子では、軍監殿に盾突こうなど、夢にも思うまい」
やれやれと言わんばかりに、首を左右に振るマクシミリアン将軍。
「……だからどうした。私ははただ、将としての務めを果たすのみ。内輪での主導権争いには興味がない」
「ふん、堅物が。豚は怯え、石頭は我を出さぬ。これでは、私も動きようがない」
再び、首を横に振るマクシミリアン将軍。
そんな彼を、ラザフォード将軍が睨み付けた。
「卿、仮に自由に動けたとしたら、何をする気だったのだ?」
「ふむ? ……そうさな、豚か石頭の何れかを籠絡し、共に敵軍に寝返る……待て、待て、例えばの話だ」
マクシミリアン将軍は、手を上げて目の前の将軍を制止する。
「心配せずとも寝返りはせんよ。私一人では、卿ら二人の軍勢を相手取るのは、ちと荷が重すぎる。アルルニアの弱兵が加わっても、同じことだろうよ」
そのように釈明するマクシミリアン将軍。
忠誠や道義に因るものではなく、純軍事的な理由から裏切らないというわけだ。
無論、褒められた理由ではない。しかし、忠義を誓うなどと嘯かれるより、よっぽど信用できると、ラザフォード将軍は思った。
そう、少なくとも、マクシミリアン将軍に関して言えばだが。
「話は終わりか、マクシミリアン大将?」
「ああ、終わりだ。後は……マグナ王国史に残るであろう、処刑劇を観覧しようか」
そのように言うと、マクシミリアン将軍は大広場を見下ろす。
すると、見下ろした矢先、大広場からはこれまで以上の声と熱気が溢れ返る。
どうやら、マクシミリアン将軍が言うところの処刑劇、それが丁度始まろうとしているようである。
両将軍は、それぞれ別々の思いを抱えながら、その光景を見下ろしたのだった。




