2-4
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中。
椅子に腰掛ける俺の目の前には、厳しい顔立ちの壮年の男性。
その男は、父王の代から宰相を務める人物、王宮内で並ぶもののない重鎮である。
その宰相殿は、直立不動の姿勢のまま、椅子に腰掛ける俺に対して、鋭い視線で見下ろしてくる。
……お世辞にも、主君に向けて良い類の視線ではないな。
無理もないかと、心中で嘆息する。
何せ彼は、父王がまだ王太子であった頃から、側近として父の傍にあった人物だ。
そして、そんな彼が忠誠を捧げた主、父王を殺したのが、他ならぬ俺であるのだから。
むしろ、よく謀反を犯さぬものだと感心する。
宰相の、自らの感情より、公人としての責務を優先する姿勢は見事なものだ。
もっとも、そんな生き方で人生楽しいだろうかと、いらぬ心配もしてしまうが。
まあ、俺が未だにこの男、カーディナル侯爵を宰相の地位に留めているのも、そんな彼の性格を理解しているからだ。
そうでなければ、いくら有能とはいえ、宰相の地位に留めておくものか。
いや、例え謀反の心配なく、有能であろうと、それだけでは既に粛清している。
そうしない、そうできないのは、カーディナル侯爵の人望の高さ故だ。
宮中にあって、私心なく清廉な官吏。そんな絵に書いたような臣下の鑑である名宰相。そんな侯爵に、敬意を抱く者は余りに多い。
カーディナル侯爵を殺しては、それこそ謀反の心配をしなくてはいけなくなる。
逆に、彼が俺の傍にあるという事実が、纂奪者に反発するような正義感の持ち主たちを歯止めしてくれるわけだ。
そんな連中に限って、侯爵のことを慕っているものだからな。
「それで侯爵、つまり卿の意見は、遠征軍を撤退させるべきということだな」
「その通りです陛下。先遣軍の敗北、先の王太子の挙兵、遠征軍は大いに動揺しています。このまま進軍させるのは、余りに危険です」
冷ややかな目で、俺を見下ろしながら淡々と発言するカーディナル侯爵。
本当に王に対する態度じゃない。肝の太いおっさんだ。
「ふん、兵の動揺など……。それを抑え、軍の統制をとるのが将の役目だろう。泣き言など聞いていられるか」
「動揺するのが、兵だけとは限らぬでしょう」
「……それは、遠征軍の将たちが謀反を犯す、兄上に寝返るという意味か?」
「…………………………」
俺の問い掛けに沈黙する侯爵。しかし、その沈黙が何より雄弁な回答だ。
「成程、侯爵の危惧するところは分かった。だが、それでも遠征軍を撤退させる必要性はない」
「……何故でしょう?」
「実は、動きの鈍い遠征軍の尻を蹴っ飛ばすために、既に軍監を派遣していてな」
「軍監? ……何者か知りませんが、その者一人で、遠征軍が反旗を翻すのを阻止できると?」
言外に、そんなことできないだろうと言わんばかりのカーディナル侯爵。
ふん、確かに普通の軍監では、本当に遠征軍の将が謀反を犯す気になれば、それを阻止することなどできないだろう。だが――。
「ああ、あの娘なら、それぐらい造作もなかろうよ」
「あの娘? ……! まさか、あの娘か!?」
おいおい、驚愕のあまり言葉が乱れているぞ、侯爵。
「そう、その娘だ。ついでに、軍内で動きやすいよう、白紙の命令書を何枚も持たせてやった」
「白紙の……命令書?」
「ああ、マグナ王である俺の署名と、印璽だけを押した命令書だ」
「馬鹿な! そんなものを、あの娘に持たせては……!」
狼狽の余り、今度は、目が飛び出しそうになっている侯爵。
……気持ちは分かるがな。
白紙の命令書、つまりマグナ王の勅命を好き勝手に偽造――いや、偽造という呼び方が正しいか分からんが――できるとすれば……。
あの娘は間違いなく、途方もないことをやらかすに違いない。
「今すぐ、今すぐ連れ戻して頂きたい!」
「却下だ、侯爵。今は国家の一大事。多少の劇薬を使うのも、やむを得まい」
あれが、多少の劇薬であるかは、定かではないが。
「劇薬? あれは、患者を即死させる猛毒の類です! 御考え直しを、陛下!」
そこまで言うか、侯爵。まあ、確かに否定するのは難しいが。
「ならん。既に矢は放たれた、後は結果を見守るのみよ。もう下がれ、侯爵」
そう言い捨てると、顔を横に逸らしてやる。
まだ何か言いたげに、暫しその場に立ち続ける侯爵。
だが、俺が聞く耳持たないと判断したのだろう、肩を怒らせて部屋を出ていった。
やれやれ、やっと出ていったか。
それにしても、猛毒……か。確かに猛毒に違いない。しかし、その毒は抗い難いほどに、甘美なものなのだ。
初めて、あの娘と会った時のことを思い出す。
まだ、父王が健在で、兄上が王太子として、自分の上に立っていたあの頃。
正室の息子として、何ら瑕のない王子である兄上と違い、庶民上がりの側室の息子である自分は、王宮内で居場所が無かった。
しかし、それも仕方ないことだと思った。
そう、生まれだけはどうしようもない。それは、神の決めることだ。
誰一人として、自分がどのような境遇に生まれるかなど、選べないのだから。
だから、仕方ない。自分は甘んじて現状を受け入れるしかないのだと。
貧民の息子に生まれるより、よっぽど良かったではないかと、自らを慰めた。
まかり間違っても、その境遇を引っくり返そうなど、夢にも思わなかった。
ただ、ただ、諦観と共に、その境遇を受け入れ続けた。
そんな鬱屈とした日常の中、唐突に俺の前に現れた娘の囁きは、余りにも甘美な毒であった。
――曰く、『汝の欲するところを為せ』と。
その甘い囁きと、娘の持つ魔性に当てられて、俺はおかしくなってしまったのだ。
そう、おかしくなった。なにせ、理性という鎖で縛り続けてきたそれを、あっさりと解放してしまったのだから。
しかし、後悔はしていない。
自らを抑圧する、鬱屈とした人生より、全てを曝け出し、思いのまま生きる享楽の人生の方が、よっぽど満足いくものになる。
例え、その結末が如何なるものになろうとも……。
そう、既に矢は放たれたのだ。ならば、後はこの道を突き進むだけ。
侯爵に言った言葉を、再度心中で呟く。
そうだ、もう引き戻せる場面は、とっくに踏み越えてしまった。
ならば、楽しむしかない。この命運が尽きる時、思い残すことが無いように、存分に生を謳歌するのだ。
……差し当たっては、前線に赴いたあの娘が、いったい俺に何を見せてくれるのだろうか?
きっと、それは多くの人が目を覆うような惨状なのだろう。
だが、おかしくなってしまった自分は、何処かでそれを期待しているのだ。
椅子から立ち上がると、カーテンを閉め切った窓の方へと歩み寄る。
カーテン、次いで窓を開け放つ。
見えたのは綺麗な青空、そして歴史ある城下町の姿。
この都の支配者のみが許される、城の最上層から見下ろす俯瞰風景。なんとも美しい光景だ。
しかし、俺が見たいと願ったのはそんなものではない。
それらを通り越して、見えるはずもない、遥か南の戦地の方角へと視線を飛ばす。
「ああ、俺を楽しませてくれ、――――」
若き纂奪王の呟き、その言葉尻を、急に吹き付けた風が飲み込んでいった。




