第1話 酔って、夜道を歩く
「まぁ~た~♪ まっけ~たぁ~♪」
夜も更けて人通りもまばらになった裏通りに、泥酔した男の声が響く。
千鳥足で歩く彼は、先ほどのギャンブルで一文無しになったというのに声色に危機感はない。むしろ上機嫌で楽しそうな表情のまま、道端に倒れ込んだ。
短く逆立つ黒髪は寝ぐせのようにあちこちに向き、比較的整っている顔も、火照った頬とだらしない笑みのせいで台無しだ。
そんなだらしない雰囲気とは裏腹に、着ている紺色のジャケットも黒いシャツも、汚れや皴はなく、きちんと手入れが行き届いていた。
普段から飲んだくれているせいか、年相応の若々しいエネルギーはなく、落ちこぼれた中年のサラリーマンのような雰囲気が漂っていた。
彼の名前はハルト。五年ほど前にこの世界に転生してきた、いわゆる転生者だ。
ハルトはのそのそと体を起こし、建物の壁に背中を預ける。レンガ造りの壁は、昼の暑さなど忘れたかのように冷えており、火照った体を冷やしてくれる。
心地よさに包まれながら、ボーっと星空を見つめる。
「おい、大丈夫か?」
そんな彼が心配になったのか、通りかかった体格の良い女性が声をかけてくる。
まるで戦場の熱をそのまま写したような深紅の髪をたなびかせ、その気迫に負けない鋭い瞳がハルトをまっすぐ捉える。
普通の人なら、その瞳で捉えられただけで身がすくんでしまうものだが、今のハルトは泥酔状態なので無敵だった。軽く片手を上げて返事をする。
「うぃ~っく。ありがと~な~、綺麗なお姉さ~ん」
これだけ深く酔い、呂律も怪しいというのに、彼は異世界転生時に授かった特殊能力を自然と使っていた。
彼の特殊能力はスキャン。相手の戦闘能力を可視化できる能力だ。
目の前にいる女性、リーゼロッテの頭上に、種族や所持品、ゲームやアニメで表示されるようなステータスと数値が浮かんでいく。
その値は、どれも人並み外れており、素面なら驚き戸惑うほどの高さだった。だが、酔いつぶれたハルトはその規格外の数値すら、まったく意に介さなかった。
「あ! ハルトさん! こんなところにいたんですね」
「んぁ? メアリーか」
ハルトを呼ぶ声とともに、小柄で華奢な少女、メアリーが走ってくる。
ハルトを見つめる少し垂れ下がった目と、しっかりとした太眉が幼さと健気さを同時に感じさせる。
オリーブ色の髪は肩まで伸び、薄い茶色と白色の素朴なワンピースが、彼女の柔らかく落ち着いた印象を引き出している。
そんな幼気な彼女は泥酔したハルトを見て、眉間に皴を寄せ、顔をぷくっと膨らませる。
本人は怖い顔をしているつもりなのだが、その顔はハムスターのように愛らしく、誰も恐れを感じない。
「もう! 飲みすぎたらダメですって、いつも言ってるじゃないですか!」
「ごめんごめ~ん。ちょ~っと勝負で熱くなっちゃってさ。酒が止まらなくなっちゃって」
「また負けたんですか?」
「いやいや、ちょっとだよちょっと。ぜ~んぜん、すっからかんになんてなってないって」
パタパタと手を振るハルトを見て、メアリーは深いため息を吐く。そして、小さな声で「全部、すったんですね」と呟いた。
目尻が上がり、ハルトを問い詰めるように顔を近づける。
「もう、いつも言ってるじゃないですか! 熱くなってお金を使い切っちゃダメって!」
「いやいや! 今回はもうちょっと、もうちょっとで勝てたんだってば」
メアリーが稼いだ金をすべて賭け、いつも負ける彼の言い訳は、これまたいつもと同じだ。
これ以上言っても無駄なことを悟り、彼女は叱る代わりに大きなため息を吐いた。
「言い訳はお部屋で聞きます。とにかく帰りますよ」
「はいは~い」
メアリーはやや後ろで二人のやり取りを見ていたリーゼロッテの方を振り返り、深くお辞儀をする。
「どなたかは存じませんが、ハルトさんを介抱していただいてありがとうございます」
「いや、礼を言われるほどのことはしてないさ。ところで、キミたちは結婚しているのか?」
リーゼロッテの何気ない質問に、メアリーが顔を赤くして俯く。
ハルトは酒で赤らんだ顔のまま立ち上がり、リーゼロッテの肩に手を置いた。
「そうだぜぇ~。俺の嫁さんだ。どうだ、可愛いだろぉ?」
「ちょ、ちょっとハルトさん。あ、あの、本当にそういう関係ではないので!」
メアリーは必死の形相で否定する。実際にハルトとメアリーは結婚どころか、付き合ってすらいない。
しかし、はたから見れば彼女が恋心を抱いているのは明らかで、二人はおしどり夫婦にしか見えない。初めて二人に会ったリーゼロッテもそう感じた。
ならば、金を使い切って嫁を困らせている、このだらしのない旦那に一言言っておくか。正義感が強いリーゼロッテはそう思い、一歩前に出て、
「お前、こんなに可愛い嫁を困らせるなよ」
顔を近づけて、低い声で静かにそう言った。
ハルトは驚き、目を大きく開いてから、慌てて「わるい」と言った。
「わかればいい。では、達者でな」
颯爽と去っていくリーゼロッテ。その背中は誰よりも大きく見えた。




