バグダード - Baghdad - 6
◯アッバース国・首都直轄州・バグダード市・黄金門宮・外庭・処刑場
静まり返る処刑場に、イスマイールの声が響く。
「宮廷書記官、前へ」
青ざめた宮廷書記官たちが、おずおずと前へ出る。
イスマイール「これより、勅令の裁可を執り行う。
そなたらは、その証人となれ」
文書箱を捧げたホラーサーンの書記官が進み出る。
机が運ばれる。
ホラーサーンの書記官、文書箱から『協定遵守の勅令』を取り出し、読み上げる。
「『慈悲深く慈愛あまねき神の御名において。
信徒たちの長、カリフ・ラフィはここに宣言する。
我は先帝ハーリド・アル・シャリーフが定めたる誓約と協定を再び確認し、その効力を認める。
我は神と信徒共同体の前において、当該協定を誠実に遵守し、その定めを損なわぬことを誓う。
また、協定により定められた諸権利、諸特権、租税その他の財政上の定めおよび継承順位を尊重し、これを侵害せぬものとする』──」
読み上げが終わる。
イスマイール「ラフィ」
ラフィ、肩を震わせる。
イスマイール「俺がここへ来たのは、父上の協定を回復するためだ」
ラフィ「……」
イスマイール「勅令を裁可せよ。
協定を回復し、アッバースの分裂を終わらせよう」
ラフィ「…しかし、母上が…」
イスマイール「…拒むのであれば、お前もムーサも、ファドルと同じ裁きを受ける」
ラフィ、青ざめ、処刑台を見る。
石台の脇に、ファドル宰相の首なき骸が横たわっている。
「…わかった」
ラフィ、掠れた声で答える。
「裁可しよう」
侍従が勅令を机の上に広げる。
ラフィ、差し出されたペンを取る。
『裁可』
震える手で書き入れる。
続けて、指に嵌めた印章を外し、封泥の上に押し当てる。
ホラーサーンの書記官が勅令を回収する。
イスマイール「次」
ホラーサーンの書記官、次の勅令を読み上げる。
「『レイの戦い以後、帝国内において生じた争乱に際し、イスマイール皇太子に従い、またはこれを支援した者たちの行為については、その罪を問わないものとする。
官吏、軍人、学者、商人、市民その他すべての者は、過去の立場を理由として処罰、追放、財産没収その他の報復を受けない。
また、各地の城門を開き、降伏、和議または協力を行った者に対し、一切の追及を禁ずる。
本勅令に反して私刑、報復、告発、財産没収を行う者は、カリフの命に背く者として処罰される』──」
ラフィ、裁可を書き入れる。
イスマイール「次」
ホラーサーンの書記官「『イスマイール皇太子のホラーサーン総督としての権利と権限を改めて確認する。
ホラーサーンならびにその付属諸州の統治権は、従前の定めの通りイスマイール皇太子に属する。
これに反する任命、勅令、命令その他一切の措置は無効とする』──」
ラフィ「こ…これではムーサが総督ではなくなる…母上に何と申し開きすれば…」
イスマイール「裁可せよ」
ラフィ「……」
ラフィ、裁可を書き入れる。
ホラーサーンの書記官、残りの文書束をラフィに差し出す。
「こちらにも、ご裁可を」
侍従が文書束を受け取り、机の上に広げる。
ラフィ、順に裁可を書き入れていく。
『ホラーサーン経済権限包括勅書
ホラーサーン地方の歳入、鉱山、関税その他一切の経済権限は、従前の協定の定めに従い、イスマイール皇太子に帰属する』
『ホラーサーン鉱山採掘特許状』、
『ホラーサーン東方交易関税徴収令』…
最後の文書で、ラフィの手が止まる。
「…これは…?」
『ホラーサーン対外債務優先償還勅令
イスマイール皇太子が負う対外債務については、ホラーサーン地方の歳入、既存鉱山の収益および関税収入を優先的な償還原資とする』
イスマイールが静かに言う。
「裁可せよ」
ラフィ、顔を上げる。
「だが、このような勅令は…」
イスマイール、声を低める。
「──裁可せよ」
ラフィ、足元のファドルの血を見る。
処刑台の傍らに転がるファドルの首を見る。
仙道士に抱えられたムーサを見る。
──ラフィ、震える手を押さえ、
『裁可』
書き入れる。
イスマイール、ラフィの耳元へ身を寄せる。
「ムーサは、引き続きホラーサーンに留め置く」
ラフィの顔が強張る。
イスマイール「今日裁可した勅令が守られる限り、その身の安全は保証しよう」
ラフィ、冷たい汗を流しながら、うなずく。
イスマイール、身を起こして周囲の宮廷人たちを見渡し、宣言する。
「これらの勅令は、宮廷書記官と立会人の前で裁可された。
後で覆すことはできぬ」
「加えて──
この戦乱によって費やされた戦費は、その責を負うファドル宰相に負担させる。
ターヒル、ラビーア一族の財産を差し押さえよ」
「はっ」
ターヒル将軍、部下の隊長を呼び寄せ、命令を伝える。
イスマイール、放心したままのラフィに、
「無論、それだけでは足りぬ。不足分は、お前が償え。
これはホラーサーンが強いられた戦である。
その代償は払ってもらうぞ」
イスマイール、遠巻きに見守る重臣たちの前へ一歩踏み出す。
「お前たち、よく聞け!
我が弟ラフィは神より定められたカリフ、その地位は神聖なものだ。
ゆえに我は彼の命を奪わず、この都に生を許した。
だが、この慈悲は無条件ではない。
お前たちは、ラフィを支え、誤りあらば諫め、健全なる統治を行う義務を負う。
彼の放埒さが民の苦しみを招き、帝国の基盤を揺るがすならば、それはお前たちの怠慢でもある。
帝国の外を見よ。
諸外国は驚くべき速さで国力を伸ばしている。
鉄路は大地を貫き、工場は新たな富を生み、学問は日々進歩している。
我らも国家の礎を固め、諸国に後れてはならぬ」
イスマイール、処刑台の脇に立つ。
「忠義を尽くし、正義を貫け。
アッバースの栄光に恥じぬ統治を行え。
我はホラーサーンから、その行いを見ているぞ。
再び協定が破られ、民が苦しむならば──
我は軍を率いて戻るだろう。
神の導きがあらんことを」
重臣たち、一斉に頭を垂れる。
◯バグダード市・円城内・黄金門宮前の円形広場
イスマイール軍が馬首をホラーサーンへ向けて整列している。
イスマイール、その先頭に立ち、兵を讃える。
「勇敢なるホラーサーンの戦士たちよ!
この勝利は、お前たちの勇気、忠誠、そして神への信仰の証である。
お前たちは剣によってではなく、節度と規律によって勝利を掴んだ。
ホラーサーンの民は、お前たちを英雄として迎えるだろう」
イスマイール、右手を天高く掲げる。
「我らはこの勝利を胸に、ホラーサーンへ凱旋する!
勝利の祝宴が、お前たちを待っているぞ!」
兵士たち「おおおおおーーーっ!!」
黄金門宮前の円形広場に、兵士たちの歓声が響き渡る。




