51-勇者と少年
歯を食い縛り、ベルは飛ぶ。建物を突き破って、無理やり逃れて。瓦礫崩れる雨の中。バッと振り返れば、背後には悠々の歩く女王と、その足元からおどろおどろしく伸びる血の手があった。
「死者が出ないからって、好き放題しすぎですわ。
これでは、どちらが悪者かわからないじゃない」
無数の手は、こじ開けられた穴を掴み、安定させてから主を招く。振り注ぐ瓦礫は、尽くが手に受け止められ、戻されていた。背後の穴も、建物から流れる血によって自動で修復されている。
「勝ちゃいいんだ。どうせ負けたら悪になる。
管理してくださる女王様に逆らうから悪いってな。
なりふり構ってられねんだよこっちは!!」
横薙ぎに杖が走る。湧き立つ血の池を。
巻き上げられた雫は、個々に輝いていた。だけに留まらず、不自然にカーブし、揃って一点を目指す。
そのさきにいるのは、もちろんスカーレット。
彼を飲み込もうとしていた赤は、雫の弾丸となって弓なりにスカーレットの元に押し寄せていた。
「あら、基礎魔術ね? いつの間に習得したのかしら」
操るは風。大気に乗った弾丸は、自在の軌道で敵を穿つ。
しかして今回、相手はスカーレットだ。
血そのものである彼女に、血の攻撃は効かない。
煩わしそうに軽く払うだけで、ダメージはゼロだった。
「基礎ってだけあって、わかりやすかったぜ。
陣を描く手間が減る分、錬金術よりちょっとめんどいけど」
とはいえ、ベルも気にしていない。
目的は攻撃というより、邪魔な血を遠ざけることにあったから。おまけに、成功したということ自体が成果だ。
靴の力で浮かび上がると、壁にしゃがんで笑っている。
「習得のための道は、元からあったからな」
基礎魔術とは、一番初めに習うから基礎なのではない。
おおよそすべての魔術の始まりだから、基礎魔術なのだ。
つまりは、始まりにして終わり。極みの魔術。
汎用さのため体系化された他の魔術とは違った、純粋な力である。
それを知ってか知らずか、ベルは習ったいくつかの魔術から、源流に辿り着いた。
「それで、何を見せてくれるの?」
「テメェを打ち倒す姿!」
――風で描くのは、魔術王ので見た。あとは実践。
魔法陣は知らねぇから、他で応用。
地面……張り付いている壁に手を置くと、ベルは魔力を操作する。まずはお手本通りの風。同時に数個の錬金陣の軌跡が走るが、途中で揺らぎ、暴発する。
「ッ!!」
「わたくしの懐に、いらっしゃい」
スカーレットの体をすり抜けるベルは、爆散と同時に再生させられる。ほんの僅かな意識の断絶。彼は動じない。
「裏取り!!」
「これをそう言い張るのは、流石に見苦しいですわ」
次に魔力単品。同じように数個の錬金陣が生まれようとするも、途中で千切れ、暴発する。宙を舞うベルは、傍らに浮く魔導書を開いて、リカバリーを図っていた。
「燃えろ炎、"イグニッション"!!」
「英傑にはほど遠いけれど……これもまた、人間らしくて楽しいですわね。泥臭くも足掻く精神性は、とても英雄的」
着火の魔術は、吹き飛ぶベルの照準に合わせて、所構わず火を灯す。床、壁、空気中から乾いた血まで、そこら中で燃え盛る。加えて、シエルにもらったルーン石が数個、投げられていた。
砕ける石からは、各々に刻まれた魔術が溢れ出す。
あるものは風、あるものは水、またあるものは植物。
扱いやすく体系化された魔術とはいえ、1度に何個も制御するのは難しい。迸るルーン魔術は、制御を離れて手当たり次第に部屋を破壊し、街に出る。
「やりすぎと、言ったでしょう?」
しかし、好きにできるのはここまでだ。屋根の四隅から血が滲み、大波となって荒れる魔術を飲み込んでしまう。
"派手なドレスは好きかしら?"
同時に、あがこうとするベルさえも。鮮烈な赤で彩り、飾り付けられる。地面に広く伸び、上に行く程キツく締め付ける血の縛りが、モニュメントのように立っていた。
「わたくしはね、英雄が好きなの。御伽噺のような物語が好きなの。彼らを迎え撃つのが、好きなの。
そして、遂には悪を討つその輝きが、大好きなの。
なのにあなたはどう? どうせ生き返るからと、住民を巻き込んで、何でも使おうとして、見るに耐えない」
ドクン、ドクンと。一拍ごとに編まれた三角錐は縮み、ベルの全身を苛む。簡易的に作り出した杖も壊れた。このままでは圧死は必至だ。
――吐きそうだ。頭が痛い。魔力を使い過ぎた。
まだ順応させられる神秘が足りてないんだ。
身じろぐも、全身に張り付く赤から抜け出せはしない。
血を吐くベルは、かすれた視界でなおスカーレットを睨む。
「言っただろ。なりふり構ってられねんだよ」
「世界にあるのはそれぞれの正義。けれど、悪者と正義の味方はいるの。今のあなたは、助ける人とは言い難い」
肉が膨れ上がり、爆発する。
内側にへこみ、中身が吹き出す。
その度に、ベルの肉体は再生させられ、元に戻っていく。
「すべての人の技、なんて言っておいて、制御もできない。つまらない。つまらないわ。……期待外れね。
いっそもう、殺しちゃおうかしら」
ドロリと、潰れた肉が垂れる。その肉を伝って、血が滴る。
飛び出た骨も、混ざった内臓も、スカーレットにその気がなくなれば、もう元には戻らない。
「ねぇ、あなたはどう思う?」
今までと違って、ゆっくりじっくり体が再生する。
呼び戻された意識も、魂も、中途半端な状態が続く回復に、悲鳴を上げていた。
「まだ、調整中、なんだよ……!!
使い方が、わかれば。周り、巻き込むかっての」
「英雄になりなさい。演技でも、外面だけでも。
そうすれば、あと数年くらいはあなたで遊んであげる」
"甘露な命を愛でましょう"
拘束が砕け、ベルは飛ぶ。逃れられた。チャンスだ。反撃の時だ。しかし彼に、もう自由はなかった。糸で操られたように手足を動かし、不自然に女王に向き合い、構える。
清廉潔白な、絵に描いた英雄のように。
「あなたは吸血鬼の街にやってきた英雄。幹部を打ち負かし、道を開き、今魔王に挑む勇者。
こういう遊びはいかがかしら?」
「いいとも! 我が誇りに懸けて、君を打ち倒そう!」
口も声帯も、血が巡る以上はスカーレットだ。
魔導書を閉じ、銀剣を構える騎士ベルは、望まれるまま英雄としてこの街に――
?
あぁ、そういうことね。
闇が晴れる。唐突に街を包んだそれは、ある一点に収縮され消える。初め、それは世界だった。少年を取り巻くすべて、果てのない苦しみ。光の中に出てきても、その事実は変わらない。今の少年は、操り人形である。
「お、れ、ガッ……!! おま、エ!! ヤ、めろ!」
ベルの目の前に、リチャード?が立っていた。
綺麗だった瞳を、漆黒に染め上げて。
暗い感情に燃えている。
体は不規則に揺らぎ、流体のよう。
時に炎、時に風、時に水。様々な物質を思わせる性質を得て、燃え上がり、逆巻き、滴っていた。
それはもはや、勇者どころか人とすら呼べない。
神秘という名の自然現象。怪物だ。
壊れないものを好まないスカーレットは、今のリチャード?を見て大いに喜んでいる。
「あらあら、あなたって感情を出せたのね?
散々負荷をかけたとはいえ、そんなに救世の傀儡が認められなかったのかしら? でも、今の在り方はとても好み。
人はこうでなくちゃ。もっと壊れた命を見せてちょうだい」
「――」
微笑む表情が、鮮烈に浮かび上がる。
圧やオーラなどといった話ではない。
実際に、物理的に、女王の首は飛んでいた。
「ち、ガウ!! イシを、ノゾみを、オれの、すいコう!!
誰モ、俺ヲッ……!!」
一瞬で首を斬ったのは、もちろんリチャード?だ。
気づいた時には腕を振り切り、その体勢のまま呻いている。
いや、正確には動けないのか。制御の効かない彼の体は、様々な形になろうと荒れ狂い、人の原型を留めない。
先ほどの戦いは制したはずなのに、誰よりも苦しげだ。
「人の獲物ォ、奪ってんじゃねぇ」
スカーレットは死んだ。ならば自ずと支配も解ける。
血を操られ、人形と化していたベルは、自由になって真っ先にリチャード?の肩を掴み、怒りを顕にしていた。
一部流体になっており、不定形だが、体がない訳ではない。
燃える手で無理やり押さえ、敵意を向けている。
返ってくるのもまた敵意だ。
敵が消えたからこそ、他にそれをぶつける相手もいない。
リミッターが外れた2人は、感情の荒ぶるままに互いへ剣を向ける。
「英雄って、そういうのじゃないでしょう?」
しかし、できたのは向けるまでだ。
両者の体はピタリと止まり、それ以上の同士討ちを認められなかった。
「壊れて散る様が美しい。壊れてなお足掻く姿が美しい。
でも、悪人に堕ちるのは、英雄譚には相応しくないのよ」
彼らの頭上には、死んだはずのスカーレット。
実際は、体が死んだだけで滅んでいなかった魔王種だ。
ベルたちに余裕がなかっただけで、身体が倒れてもいなかった彼女は、すっかり元通りになって圧を放っている。
殺されたからではなく、少なからず持っていた英雄性を、損なったから。
「もっと明確な悪が必要かしら?
打ち倒すべき敵と見なすにはまだ足りない?
では、なりましょう。わたくしは、死を弄ぶ人類の敵!」
2人の視線を一身に浴び、スカーレットは高らかに宣言する。瞬間、街の建物はひび割れ砕け、籠もっていた人々の姿を曝け出す。
「じょ、女王様……?」
突然の変化に、ベルたちは動けない。
同じく戸惑う住民たちは、浮かぶスカーレットを怖々と見て言葉をこぼしていた。
「長らくの平穏の対価として、血を頂きますわ。
安心なさって? あの外敵を排除したら、また穏やかな生活ができますから」
自信を持って告げられた言葉に、住民たちは沸き立ち、身を委ねる。拝めるように頭を垂れ、両手を合わせて祈り出す。
直後、彼らは爆散した。瑞々しい赤が吹き出し、鮮やかに世界を染め上げる。
あまりにも地獄絵図。その光景には、我を忘れていた少年たちも唖然として固まっている。
唯一、最恐の女王スカーレットだけが、血の迸る中心で楽しげに笑い声を上げていた。




