第33話 止められない
「うわああああああああっ!」
ルビアは咆哮を喉から迸らせながらイノに突進した。
目にも止まらぬ速さで、あっという間にイノとの間合いを詰めていく。
魔法士ではない、それどころか軍人ですらないイノには、ルビアの攻撃に対処する術を持っていなかった。
イノは、ルビアを信じて目をつむる。
ルビアの剣が、イノの元に届こうとした、その時————
「やめろおおおおっ!」
突如、イノの後ろから声が聞こえた。
その声に反応して、ルビアの剣はすんでのところで止まる。
それは聞き覚えのある声だった。
イノはつむっていた目を開き、声の主を確認する。
そこにいたのは————
「おじ、さん……」
そこにいたのは、クルトだった。
ルビアの手から剣が滑り落ち、カランカランという音を立ててその場に転がる。
クルトの声、その姿を見て、彼女がずっと会いたかった人だと分かったようであった。
「久しぶりだね。ルビアちゃん」
クルトはイノとルビアの元に駆け寄る。
いつも通りの、優しい笑顔だった。
「ごめんな、こんな形で再会するなんて。もっと早く連絡できればよかったんだが」
クルトも四年前に交流したルビアのことを覚えているみたいだった。
ルビアが原因で、クルト達の穏やかな日常が壊れてしまった。
クルトがそのことを恨んでいる様子は、まったくと言ってなかった。
ルビアが謝る必要なんて、元々なかったのだ。
「クルトおじさん」
ルビアはクルトを真っ直ぐと見据える。
再会の喜びを噛み締めることなく、彼女はここにきた目的を果たそうとする。
「『エンゲルス』を辞退してください」
ルビアは心の底からクルトに懇願した。
これが彼女の最大の願いだった。
ルビアの願いを聞いたクルトは、難しい表情を浮かべる。
そして、彼は少し考えてから、ルビアに答えを告げた。
「それはできない」
「どうして!?」
ルビアの顔が絶望に満ちる。
クルトは『エンゲルス』として戦場に出ることを強いられていると思っていた。
命を捨てたくはないと、誰かが救いの手を差し伸べるのを待っていると考えていた。
だが、そうではなかったのである。
クルトは自らの意思で、この場所に来たのだ。
「俺が、俺達がやるしかないんだ。愛する人を守るために」
クルトは穏やかな表情のまま、ルビアに話す。
愛する人、ウラのために彼はここにいるんだと。
だが、ルビアは首を横に振った。
「そんなの! 私が守るよ! 私がおじさんも、アステも守ってあげるから!」
必死な声をあげて、ルビアはクルトに縋り付く。
クルトは小さく息をつき、ルビアの頭に優しく触れた。
そして、ゆっくりとその頭を撫でる。
「ルビアちゃんの活躍は聞いていたよ。信じられないくらいに努力して、軍のエースになったのも知ってる。叙勲された時は、アステと一緒に大喜びしたもんだ」
クルトは、ちゃんとルビアの活躍を把握していた。
ルビアのことを忘れることなく、陰ながら彼女のことを応援していたのである。
貴族という立場を失っても、ルビアとの絆はちゃんとそこにあった。
ルビアの瞳からポロポロと涙が落ちていく。
「でもこの仕事だけは、俺達にしか、できないんだ」
それは覚悟を決めた男の目だった。
家族を守ると言う強い意志、『エンゲルス』として任務を課せられた者の確固たる信念を、その目を見るだけで感じ取ることができた。
そんなクルトの姿を見せられては、ルビアはもう気持ちを保つことができなかった。
「そんなのって……ないよぉ」
ルビアは膝から崩れ落ちた。
両手で顔を抑え咽び泣く彼女を、クルトは支えてやる。
「ルビアちゃん、俺の妻と、それから、子供を守ってやってくれ」
クルトは再び、ルビアの頭を撫でてやった。
手の隙間から、大粒の涙が溢れ出すルビア。
クルトは彼女の肩を持って、彼女の思いを受け止めていた。
彼の喫茶店で、同じような光景を見たような気がする。
その時も、結局イノは、後ろで見ていることしかできなかった。
「やあ、青年」
しばらくルビアの体を支えていたクルトは、後ろを振り向き、イノと目を合わせた。
「彼女を頼むぞ」
クルトは支えていたルビアの肩から手を離し、イノに委ねた。
ルビアの体は嗚咽をするたびに、プルプルと震えている。
クルトはそんな距離感の近い二人を見て、何か納得したかのように頷いた。
「こんなふうに、俺がルビアちゃんと再会できたのも、青年のおかげだな」
「俺は何も————」
俺は何もしていない。
結局クルトを助けることもせず、ルビアの願いも叶えられなかったのだ。
ただただ周りに流されて、大切な人一人、守ることができない。
あまりに無力な人間だった。
だが、イノがうだうだと考えているのを吹き飛ばすかのように、クルトはイノの背中を叩く。
「いいや! お前のおかげだ!」
イノは目を見開く。
クルトの方を見上げると、いつも通りの彼の笑顔があった。
「俺が今こうして堂々としてられんのも、妻と子供を安心してこの国においていけるのも、全部お前がいるからだ」
イノは涙腺が熱くなるのを感じる。
どうして、何でもない、いつも通りに振る舞っている彼の姿が、こんなにも心を揺り動かすのだろう。
一番辛いのはクルトであるはずなのに、どうしてこんなに普段通りでいられる強さがあるのだろう。
クルトはイノの肩に優しく手を置いた。
「お前はちゃんと、人を助けられてるよ」
「ありがとう……ございます」
感謝の言葉は勝手に出た。
こんな言葉では返しても返しきれない。
今まで散々お世話になった。何度も相談を聞いてもらい、その都度励ましてくれた。
それに対して、俺はなんにも返せなかった。もう返す時間がない。
だから、もっと彼に生きてほしかった。
クルトは満足したような顔をして、イノ達に背を向ける。
そして大隊の方へと歩いていった。
「またな、青年! 幸せに生きろ」
彼はこちらに背中を見せたまま、イノに別れの言葉を言った。
イノはその後ろ姿を見えなくなるまでずっと見ていた。