第24話 そこに映っていた名前
昨夜は一睡もできなかった。
喫茶店での出来事が頭の中をぐるぐると周り続け、イノに休息を与えることを許さなかったのだ。
イノは考えることをやめられなかった。
ウラの泣き叫ぶ声、クルトの腕の中でうずくまるあの姿が脳裏から離れない。
魔石を受け取ったクルトの震える手、彼の言葉。
思い出せば思い出すほど、胸が痛くなる。
できるなら、何も考えたくないのだが、湯水のように昨日の一場面が湧いて出てくる。
イノの尊敬する人間、親しい人間が、『自爆魔法士』に選ばれてしまった。
それに対して、イノは何をすることもできなかった。
なぜだ。
どうしてだろう。
クルトがエルステリア人であることは知っていた。ならば、いつかそんな日が来てもおかしくなかったはずだ。
どうして昨日まで何もしなかった。
俺だけが、彼を助けられたのに————
いや。
俺だから、きっと助けられない。
今の立場が、この国が、この時代が、差し伸べようとした手を阻むであろう。
無理に手を伸ばせば、何をおいても守らなければならないものすら守れなくなってしまう。
何度も何度も解決策を考えては、ゴミ箱に投げ捨てるかのようにそれをどこかに放る。
それを朝まで繰り返していた。
気づけば、工廠の始業時間をとうに超え、時間は正午に差し掛かろうとしていた。
怒ってるだろうな、みんな。
昨日、あんなことがあったにもかかわらず、また仕事に出かけようとしている自分に嫌気がさす。
「……」
イノが会社に向かわなくても世界は回る。
特別作戦の日程が変わることもないだろう。
イノは仕事に向かうしかなかった。
中央街『レグルス』、いつもの道を通って工廠に向かう。
イノの家と仕事場はそれほど遠くはない。
歩いて五分ほどで着いてしまう。
ぼーっとした頭で歩いていれば、いつの間にか工廠の中に入り、廊下を歩いていた。
「そういえば……」
第七兵器開発部の教室に向かっている途中に思い出す。
昼になればルビアが工廠に来ていることだろう。
ルビアに真実を話す。
そんな話を、彼としていたんだった。
正直に言えば、あまり気は進まない。
そんな精神的な余裕はなかった。
今のイノには整理する時間が必要である。
チームのみんなに遅刻した言い訳を考えつつ、教室の戸を引き、中に入った。
「あ、イノ」
「もぉ、やっと来たぉ!」
セシリアが待ち侘びたように腕を引っ張って、イノを教室内に引き入れる。
教室内を見回してみると、状況がおかしかった。
整頓してあったはずの棚周りは散らかっている。
そして、オスカーは魔法を発動していた。
あれは暗号生成魔術だっただろうか。ずいぶん昔に開発したものだった。
「ねぇイノ! 手伝って欲しいの!」
「……手伝う? 何の話だ」
珍しくアイナが興奮していた。
話が見えないイノは、とりあえず状況説明を求める。
「実は、人を探してるんです。ルビアの依頼で」
「人探し?」
オスカーに話を聞くと————どうやら、ルビアがとある人間を探しているのでそれをみんなで手伝おうという話らしい。
唐突な話にイノは少々困惑する。
昨日の今日で、誰かに構っている気力などないというのに。
「ルビアはずっと人を探していたんだって。だから毎日、外に出かけていたの」
確かに、『アルディア』の至る所に外出する中、周囲を人一倍気にしていたり、街行く人に声をかけていたりと、挙動不審なところはあった。
箱入り娘で好奇心が旺盛なだけか、無駄に正義感が強いだけかと思っていたが、そういう事情があったのか。
憲兵でもないルビアが、パトロールをしていたのもそれだろう。
「ルビアの、大事な人なんだって!」
アイナがやる気に満ちた様子で、いつもより声を張っていた。
普段引っ込み思案な彼女がここまで前のめりになるのも珍しい。
ルビアという友人のために努力したいという、彼女の心の表れなのだろう。
他の三人のイノを見る目も期待が込められていた。
こうなれば折れるしかなかった。
「あー、わかったわかった」
イノは溜め息を吐きながら両手を上げる。
これだけ騒がしければ、昨日のことを考える暇などない。
「ほ、本当にいいのか? 無理とかはしてないよな……?」
ルビアが申し訳なさそうに聞いてきた。
今まで散々自分の都合で、あちこちに連れ回したことに罪悪感を抱いているのだろう。
イノはそれにすまし顔で答える。
「全然問題ありませんよ。お客様は神様ですからね」
「なんか、その言い方……むかつくなぁ」
軽口を叩けるくらいには、調子がいつも通りに戻ってきた。
ひとまずはこれでいいのかもしれない。
昨日のことは考えるなという、神のお告げなのかもな。
「それで、今どうなってるんだ?」
イノは気持ちを切り替えて、オスカーに状況の確認を行う。
「恐らく、偽名を使ってるんだろうって事で、この魔法で元の名前から今の名前を暴き出そうとしてるんです」
なるほど、偽名を本名のアナグラムになっていると仮定しているのか。
少々、安直な気もするが、とっかかりとしては悪くない。
「そしたら、リーダーがよく知ってる名前を見つけたんです」
「本当か? なら話早いじゃないか」
見せてみろ、とイノはリスト化された名前を辿る。
ボツになった案件とはいえ、この魔石はなかなか凝って作ったものだ。
投影された画面も見やすさを考慮して丁寧に————
「え……?」
イノは黒板に映っている文字を見た。
そして、目を見開いた。
切り替えようとしていた気持ちを一気に引き戻される。
抗えない、冷たい現実へと、引きずり込まれる。
「クルト・イステル」
ルビアが、リストの最も上にある名前を読み上げた。
「これが私の探し人の名前だ」