4.書くことが楽しいので
このエッセイ、書きたいことが溢れて楽しいです。
わくわくと目を輝かせながら手を動かしています。
こんなのは久々で、本当に嬉しい。
元々自分の考えを文章にして分析することが好きだからか、これを始めてからどんどん文章が生まれて嬉しいことこの上なし。
最近は文章が書けなくて落ち込むことばかりだったので、本当に良かったと思います。
書くことに悩んで、その悩みを書くことで消化する。
これって書き手は結構やることなんじゃないかなぁ……個人的な想像ですけどね、何となくそんな気が。
去年やった1ヶ月のお休み期間も、他のサイトで徒然草みたいなことやってました。ふと思ったことや、普段言葉にしない自分の価値観とかを、てけれてけれと適当に文章にして、自分の中の曖昧なところを明確なものに変える作業です。かなーり自分の素に近いことばかり書いていたので、もう削除してしまいました。
書かないことは「書けなくなるんじゃ」と思うと不安でたまらなかったので、書けないときはいつもそういうことをするようにしています。根っからの書き手だからでしょうか。
ただ、まさかこれを小説家になろうでやるとは思っていなかったので、ほんと人間って何するか分からん生き物だなぁとしみじみです。
つまりまとめると、書くこと自体が嫌になったわけじゃない自分に安堵しているということで。
このエッセイを書いて、こうして楽しいと思いながら己の思考を綴っていることが、綴れていることが、とても嬉しいです。
物を書けなくなったら死んじゃうなぁと思うほどに、やはり物を書くという趣味は私の中の大きな部分を占めています。今の私を形作ったものの内の1つだからでしょうか。自分の手によるもの、人の手によるもの問わず、何らかの創作物に触れることは私の幸福です。
空想や幻想を創作する泉はいつか枯れてしまうかもしれないけれど、自分の思いを綴る力はずっと持ち続けていたいですね。
強制されなければ、好きなことをするのはとても楽しい。自分で自分に趣味を強制することはやめて、やりたくないと思ったら素直にやらずにいようと思います。
このエッセイを書き始めた頃(と言っても数日前だけれど)、私は「もう疲れた」という気持ちで、死んだ目をしながら読者を失う覚悟すら決めていました。
連載の更新をするのが辛くて、読者からの反応が欲しくて、でもその反応が望むものじゃなきゃ重荷に感じる、けどやっぱり反応が欲しい……と矛盾、というより自分勝手な思いでぐちゃぐちゃしていました。
でも、これを書きながら自分で思考を分析して、停滞している思考を動かして……そして暖かい励ましの言葉をいただいて、にこにこしながら「書くことは楽しい」と言えるくらいになることができました。
書き始めに祈っていたことは迷いが晴れること。読者のための作品だとか、更新は義務だとか、そんな迷いが晴れることを切に願っていました。
完璧に晴れたとはまだ言えません。けれど、かなりマシになったと思っています。私は自分の読みたいものを書きたいように書く、そして更新は義務じゃない……自分が更新の度に感想を欲しがっていた理由も分かったことですし、書いて良かったと思っております。
今まで私は小説家になろうで思い悩んだ時は詩を書いてきましたが(だから私の詩は暗いのが多い)これからはこういうエッセイにしてもいいかなと考えます。
相変わらず地図がないので文章構成はガッタガタ、好き勝手思い付いたことを特に練るわけでもなく書いていますから読みにくいことこの上ない。でも、楽しけりゃいいかなとすら思えるようになったので、今回はもうこのエッセイの役目は終わったのだと思います。
また必要になったら……必要になるようなメンタルになることは望ましくないですが……書くのだと思います。これは完結ボタンをぽちりと押してから投稿しますから、ここまでで終わりです。
私の趣味を楽しむために、少しこれからインプットに専念しようと決めました。好きなものを好きなだけ読んで、観て、心にときめきを貯めていこうと思います。あらゆるときめきはアイデアの泉の底に沈んで、湧く水をよりいっそ私好みにするからです。
……こういうお話っていつも締め方に悩むんですよね。
よしっ。
これにておしまい、です。
これにて完結。終わらせ方、もっとやりようがあったろうと笑っています。
ここまで元気が戻ってきたのは読んでくださった皆様、感想で言葉を届けてくださった皆様のお陰でもあります。感謝申し上げます。
それではまた、この広大ななろうの地のどこかでお会いしましょう。