神崎仁・五日目・01「一等」
昨日から詩季は俺と一切口を利かなくなってしまった。
いつもは一緒に登校するのに、今日に限っては俺を置いてさっさと行ってしまった。
かなりご機嫌ななめのようだ。
詩季の機嫌を直すのも重要なことだが、それよりも今日はもっと重要なことがある。
──桜木さんと柊の落下だ。
詩季の機嫌を直す前に、俺は神崎ではなくなるだろう。
桜木さんと柊の落下によって、俺は柊に戻るか、それともまた別の人間に乗り移るかする。
どうなるかは俺にも分からない。
昼休み俺は裏庭の見える階段の踊り場にやってきていた。
これから磯谷と姫宮が対峙するので、俺はそれを確認しに来ていた。
やがて磯谷がやって来て、木に寄りかかりる。
そしてスマフォを弄り始める。
もうすぐ姫宮もやってくるだろう。
「神崎先輩、こんなところで何してるんですか?」
ふいに背中に声を掛けられた。俺はゆっくりと振り返った。
「……支倉さん」
ついさっき振り返って誰もいないことを確認したはずなのに、支倉は俺のすぐ後ろに立っていた。
俺は少しだけ背筋がぞくりとした。
「ちょっと考え事をしていただけですよ」
俺はそう言って美咲に体を向けた。
美咲に裏庭の様子を見られるとややこしいことになるので、これ以上近づいてこないように暗に制したのだ。
「考え事……ですか? それは霧野先輩のことですか?」
美咲が探り探り訊いてきた。
「それもあるんですが、妹のことで少し……」
「妹さん?」
「ええ、昨日ケンカをしてしまって、どうやって仲直りをしようかと考えていたんです」「ケンカの原因は、霧野先輩なんですか?」
美咲は鋭く言い当てる。
まったく女の感は鋭い、鋭すぎてチクチクと胃が痛くなる。
「まあ、そうです。妹は霧野さんのことが気に入らないらしくて、……それで」
「だったら……。だったら、別れたらどうです?」
「……そうですね。そうすればてっとり早く仲直りは出来ると思います」
「……先輩は霧野先輩のことを好きって感じがしません。本当に付き合っているんですか?」
美咲の言う通り、俺はそんなに霧野のことを好きではない。
別に嫌いでもないが、弱みを握られて仕方なく付き合っているだけだ。
どうやら、そのことを美咲に見透かされてしまったようだ。
「色々と事情がありまして」
俺は苦笑いを浮かべる。
まさか脅されて付き合ってなんていえるはずがない。
「先輩、これを見てください」
唐突に美咲はポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「宝くじ?」
美咲が取り出したのは、休みの日に買った宝くじだ。
それも俺が買った番号のクジを美咲は手にしている。
たぶん喫茶店を出る時の会計で落としてしまって、それを美咲が拾って持っていたのだろう。
財布に入れた宝くじがなくなるとしたら、そのタイミングしかありえない。
俺はなるほどと納得する。
「はい、休みの日に先輩と一緒に買った宝くじです。それで当選番号を確認したら、な、な、なんと──」
「一等だったんですか?」
「な、な、なんで分かったんですか?」
なんでって一等になる番号を買ったんだから、知ってて当たり前。
だが、それは内緒だから言えない。
「なんとなくです。それでその宝くじを僕に返してくれるんですか?」
「こ、こ、この宝くじは私のです! 私が買った宝くじです! だから、私のものなんです!」
美咲は興奮のあまり声が震えている。
「僕は自分の買った番号を覚えています。支倉さんが今手にしている宝くじは、間違いなく僕の買った宝くじです」
「た、たとえ先輩が買った宝くじだろうと、今は私のものです。絶対に誰にも渡しません! ……だけど、条件次第では、当選金の半分を先輩にあげてもいいですよ?」
探るような瞳を美咲は向けてくる。
まるで悪魔の取引だ。
「……条件ですか?」
「はい、交換条件です。……神崎先輩が霧野先輩と別れて、私の恋人になる。そしたら当選金の半分をあげます。どうですか? 悪くない条件だと思いますけど?」
嬉しさのあまりかニヤニヤと顔が引きつっている。
俺が条件に必ず乗るだろうと確信している顔だ。
そもそも当たりくじが俺のものなのに、なぜ俺が美咲の条件に乗らなければいけないのか納得出来ない。
それに金で全てが手に入ると思っている美咲にもムカつく。
「支倉さん、悪いんですが、その条件には乗れません」
「ど、ど、どうして! 五千万円が欲しくないんですか?」
信じられないといった様子で、支倉が問いただす。
普通の人間なら喉から手が出るほど欲しい金額だ。
だが、あいにく今の俺は普通じゃないのさ。
「…………」
哀れな美咲に俺は言う言葉が思いつかない。
「わ、分かりました。先輩、もっと欲しいんですね? なら、六十パーセントでどうですか?」
「…………」
「じゃ、七十……。八十……。九十……。まさか百……ですか? ……分かりました。全部あげます。その代わり私に色々と買ってくださいね? ブランドバックとか宝石とか、そのうち車も欲しいかなぁ~」
「……はあ。その宝くじは支倉さんにあげます。その代わり、もう僕に話しかけないでください」
大金を目の前にしたら、こうも人は汚くなるのかと思うと、俺はうんざりした。
「神崎先輩……。どうして? 私と恋人になれば一億が手に入るんですよ?」
「支倉さん、今の自分の顔を鏡で見てきたらどうです? とても醜い顔をしています。僕はあなたみたいな醜い人とは、いくらお金をもらったとしても付き合いませんから、安心してください」
俺は笑顔で美咲に告げる。
「みに、み、醜い? 私が?」
美咲は顔に両手を当てて、ガクガクと震えている。
「支倉さん、話はそれだけですか? なら、もう消えてください。それと二度と僕に話しかけないでくださいね」
美咲から目をそらし裏庭に目を向けると、姫宮が一人で膝をついて倒れていた。
どうやら美咲と話をしている間に、姫宮の方も話が終わってしまったようだ。
視線を戻すと、美咲が何かをぶつぶつと呟きながら頭を抱えていた。
俺は支倉の横を通り過ぎて、教室に戻った。




