025 広がる噂
◇
「おい、聞いたか」
「ああ、聞いたぞ、出たんだってな」
日が沈む迄の数刻が酒場の稼ぎ時となる。魔法による照明の魔石はあるものの裕福層の道具であり、下町の酒場で使うような道具ではない。
辺りが明るくなるともに起き、日の出とともに働きだし、日中を過ぎると余暇を楽しむのが一般市民の生活であった。
もちろん、下層市民や奴隷あるいは職業によっては、その限りではない。
今、ある噂が酒場を楽しむ男女をにぎわせていた。
「おれが聞いた噂はこんな話だ、近隣の農家の若い男が……」
若い男が話しだした。
◇
近隣の農家の若い男が、毎日、野菜をカゴに入れて街に運んで売っている。
その日は朝が明ける前の薄暗い中、村を出発した。町に近づくと、何やら大きなものが歩く音がする。
男は若かったので好奇心があったのだろう、音のする方向へ近づいて行った。
そこで若い男は見た。一辺が人よりも大きい四角い石が歩いているのを。
それも何体も何体も。ズドンズドンと歩いていく。
若い男は怖くなり見つからないよう、ゆっくりと後ずさりをした。そのとき、踏んでしまった。小枝をボキッっと。男には大きな音に聞こえた。
すると、歩く大きい角石から「サムイヨー、サムイヨー」と聞こえる。
若い男は、それで怖くなり野菜の入ったカゴを放り出し、声も上げられずに走って町の西門まで逃げた。西門までたどり着いて若い男は思った。助かったと。
日が高くなって野菜とカゴが惜しくなった若い男は現場に戻った。そこには、カゴと中身の野菜は残っていたが、大きい角石が歩いたような跡はなかった。
◇
一気に噂話をした男は、自分の聞いた話は、どうだとばかりに自慢げにしている。
隣の席で若い男が飲み物を噴出したようで、周りにいる若い娘たちに睨まれている。話を聞いていたのだろうか?
男の噂話を聞いていた、妙齢とは言い難い女が噂話を始める。
「わたしの聞いた話はちょっと違うわ、こうよ」
◇
町の若い娘さんが、家の使いで近隣の村に住む叔父の家に行くことになった。村の叔父の家で、使いは済んだものの予想より遅くなってしまった。
急ぎ町への道を歩く。
そのうち、日が暮れて暗くなり心細くなってきた。
町に近づくと何やら大きなものが歩く音が聞こえる。若い娘さんは好奇心が出て音のする方向に近づいて行った。
そこで、若い娘さんは見た。一辺が人よりも大きい四角い石が歩いている。
それも何体も何体も。ズドンズドンと歩いていく姿を。
若い娘さんは怖くなって、声が出ないように自分の手で口をふさぐ。そして、見つからないようにゆっくりと後ずさりをした。しかし、自分の口をふさぐなんて慣れないことをしたためか、クシャミをしてしまった。若い娘さんには自分のクシャミの音が、世界崩壊の鐘の音のように聞こえた。
その直後に、シクシクと若い女の泣く声が聞こえてきた。シクシクと泣くその声は、闇夜からの招き声のような気がする。それはそれは怖かった。
若い娘さんは、声にならない叫び声を上げて西門まで駆け抜けた。
西門をくぐり町に入ると、ふっくら顔だった若い娘さんは、恐怖でげっそりと痩せた顔になっていた。
◇
「……と痩せた顔になっていたそうよ、うらやましいわ、わたしもそんな話ないかしら?」
一気に話をした女は、そんなうまい話で痩せた若い娘さんがうらやましいと話した。
隣の席で若い男が食べ物を喉に詰まらせたのか、ゲホゲホいっていて周りにいる若い娘たちに看護されている。話でも聞いていたのだろうか?
どこからともなく現れた老人が、噂話に参加した。
「わしの聞いた話は中年の旅商人の見たことだ、こんふうじゃ……」
◇
その中年の商人はこれまで王国の農村を回る善意の商人だった。商人自身が農村出身で、小さいころから農村の苦労を知っている。だからこそ商人になって、苦労している農村のために出来ることを仕事にした男だった。
ある農村をいつものようにロバに商荷を積み訪れた。そこで小さな娘さんが病を患っていた。
中年の商人が持っていた薬は切れていて、小さな娘さんを救うことが出来ず亡くなってしまった。
決して中年の商人せいではない。しかし、薬を切らしていたのを、中年の商人は自分がもっと薬を仕入れていればと悔やんだ。
失意の中年の商人は、商売を畳む潮時かと考えた。
内戦の王国を出て沿海州へ移り住もうと町に向っていた。日が沈んだころ、町に近づくと何やら大きなものが歩く音が聞こえた。中年の商人は、なぜか見に行かねばと使命感を感じた。そして、音のする方向に近づいていった。
そこで中年の商人は見た。一辺が人よりも大きい四角い石が歩いている。
それも何体も何体も。ズドンズドンと歩いていく姿を。
そして、先頭の石の上の立つ少女の影を見た。中年の商人は何故か農村で亡くなった娘さんの姿が重なって見えた。
亡くなった娘さんは冥界で元気に働いている。自分は商売から逃げようとしている。
それで良いのか? 中年の商人は思った。
気がつくと西門に着いていた。
中年の商人は町で数日ゆっくり過ごした後、ロバに荷物を積み西門から出発した。
また再び農村を回る商売をするために。
◇
「……わしが聞いた話はそんな話じゃった。」
老人は語り終え、いずこともなく去った。
隣の席で若い男が飲み食いせず、ただ静かに涙していた。周りにいる若い娘たちは若い男を慰めている。話を聞いていたのだろうか?
噂話でした。
隣席の若い男と、その周りの若い娘たちは誰だったんでしょう。
次回、承知の書




