1 隣の席の伊月さんはインフルエンサーらしい
伊月アズキさんは少し変わってる。
「やっほう、私の青輝ハルノくん」
「私の『隣の席の』青輝ハルノくん、でしょ」
「形容詞、抜いてみた」
「動画のタイトルみたいに言うのやめて」
伊月さんは満足そうに「ふへ」と笑う。
低めの身長とジトっとした目。ボブヘアはいつも猫耳っぽくヘアアレンジされている。可愛くてどこか掴めない、本当に猫のような女子だ。
「あれ、伊月さん。なんか目のクマすごいけど、元気?」
「病気ではない」
「想像の余地がある言い方しないで」
伊月さんは「ふふ……」と笑って席に着く。
時刻は十二時。すっかりお昼時である。
高校2年生ともなれば、食堂と購買のラインナップはだいたい把握している。今日はガッツリ食べたい気分だから食堂に行くか。そう思っていると、伊月さんは再び話の種を蒔いてきた。
「私はね、実は結構忙しいんだよ」
「忙しい?」
伊月さんは頷いてリュックからお弁当を取り出した。
「これ、私が作ったからね」
そう得意に披露する。
机に置かれたお弁当はゴトリ、と重さがありそうな音を立てた。
「すごい。また自作?」
「もちろん」
伊月さんは頷く。彼女はたまに、俺にご飯を作ってきてくれる。
「おおー。俺も自炊たまにするけど、弁当までは自分で作らないな」
「意外と簡単だよ。今はレシピもショート動画で探せるからね。工程が少ない分、作る時間も短くなるし」
伊月さんは「ほら」と、YouTubeショートを見せながらスワイプする。そこには手際よく、かつ労力は最低限で済む、お手軽レシピたちが連なっていた。
「実は俺もネットでレシピ集めててさ、伊月さんにおすすめな料理垢があるんだ」
俺は自分のスマホ画面を見せる。
「バズグルメクリエイターのまめ吉」
「それ私」
俺は彼女の言葉を理解するまでに数秒かかる。
「ええ!?」
ややあって、俺は大きな声を出してしまった。
伊月さんはというと「ふへ」と笑ってピースサインをしている。
「ふふん。驚いたか」
「驚くよそりゃあ! だって、俺まめ吉ちゃんの大ファンだもん!」
「まめ吉ちゃんって誰その女。私のことアズキちゃんって呼ばないくせに」
「自分自身に嫉妬してどうするの」
しかし、俺は俺として伊月さんを驚かせられるネタを持っている。
俺は惜しむことなく告白した。
「俺、まめ吉ちゃんの最初のフォロワーなんだぞ! サブスクも開設時一番に入ったし! 最初期からずーっと応援してるんだ!」
俺は興奮冷めずに言った。それと同時に、今度は伊月さんが驚く番だろうとも思う。
が、しかし。伊月さんは驚くどころか冷静にコクンと頷いて続けた。
「知ってる」
「え」
「だってリア垢でずっとコメントしてたじゃん」
俺は自分のアカウントを見た。伊月さんは続ける。
「本名だしアイコンはハルノくんの自撮りだからすぐわかるよ」
「自撮りって言っても顔見えてないじゃん。ミッキーのサングラスつけてるし、カチューシャもつけてるから普段より分かりにくいと思うんだけど」
「そんなことより、この時のディズニー誰と行ったの」
「友達だけど」
「men? 長い方のmen?」
「普通に男子か女子か聞けばいいじゃん。menだよ」
「ふうん」
伊月さんは嬉しそうな声を漏らす。その調子のまま、彼女は言葉を続けた。
「てことで」
パカ、と開かれるお弁当箱。中からはいい匂いがした。
「食べて。私のお弁当」
色とりどりな弁当だった。センターにご飯が進む肉そぼろ。左右には艶めくスクランブルエッグとごま油香るほうれんそう。
「まめ吉オリジナル、三色丼弁当」
伊月さんはずいずいとお弁当を俺の机の上に置く。そして食べろ食べろと言うように、箸まで差し出してくる。
「いただきます」
俺は箸を三色丼に通す。最初は鶏そぼろ。ひとくち噛めば醤油と砂糖の間違いない味付けが舌を転がった。そこに鶏そぼろの油が口の中をコーティングする。そしてそこに白米がダイブした。油と醤油が乗った白米はひと粒ひと粒が活き活きしている。
俺は食べる手を止められなかった。
次は鶏そぼろを口に入れてすぐに、ほうれん草とスクランブルエッグを口に放り込む。
「さ、三重奏~……!」
味の濃さが凝縮された鶏そぼろにたまごが優しく包み込む。もはや母性そのものだ。そしてヤンチャなそぼろと包容力のたまごを調和を促しているほうれん草。そこに白米をかきこむ。
「うっま……」
沁みる……沁みてしまう……。
こんなの手を止めろというほうが無理だ。このまま完食まで完走してしまう。
「いい食べっぷりだね」
伊月さんは感心したように言った。
「めちゃくちゃ美味しいから食べる手が止まんないんだよ」
世辞でもなんでもなく食べる手が止まらない。
実際、俺は言葉を交わしてすぐにまた手を動かす。
しばらくむしゃむしゃとご飯を食べてると、ふと伊月さんの視線が気になった。
目が合うと、伊月さんは優しく微笑む。
俺は食べる手が止まる。食べてる姿をまじまじと見られると照れてしまう。
しかし、見るのをやめてくれない伊月さん。気まづくなった俺は間を繋いでみる。
「な、なに……?」
聞くと、伊月さんは含みのある笑顔を浮かべてこう言った。
「ハルノくんの700カロリーを私が作ったんだなぁって」
事実だけど含みのある言い方だ。俺はなんて言うか少し迷って「ありがとう」とだけ言っておいた。
伊月さんは何やら袋をピリピリと開けている。菓子袋かと思ったが、どうやら違うっぽい。取り出したのは卓上サイズのマヨネーズだった。
「ではここで必殺マヨビーム」
「殺?」
「悪を成敗」
「食べるのって俺だよね? つまり俺が悪?」
伊月さんは答えなかった。
代わりにマヨネーズがたっぷり乗った三色丼を寄越してくる。俺は素直に受け取った。
「いただきます」
再び食材に感謝を告げて、早速マヨ三食丼を口に運ぶ。
――ウマいッ。
さっきまでのあまじょっぱに、マヨネーズのまろやかさがドロリと織りなす。鶏そぼろとマヨネーズの油ってどうしてこんなにも合うんだ? 弁当箱を見ると、混ぜて混ぜてと視線を送ってくる卵とほうれん草。大丈夫だぞ……! 今すぐ、俺の口に送ってやるからな!
俺はさらなるハーモニーを奏でようと急いで卵とほうれん草を鶏マヨたちのところへ連れていく。
「んあ~ッ!」
思わず声を上げてしまうぐらいウマい。
ついさっきまで、ソプラノ、アルト、テノールだった合唱団に突然入隊してきたバス。今まで彼らだけでも十分綺麗にハモっていたのに、もうバスがいないと物足りない身体になってしまう。
マヨネーズ、恐ろしき底上げ力。
俺はなんの抵抗もなく追いマヨをする。
こってりしてるのにまろやかなのが悪い。食べやすすぎて、マヨネーズは本当にカロリー爆弾なのだろうか? 白いし、まろやかだし、むしろカロリーオフだと思う。
俺が夢中で食べていると、またもや伊月さんはボソりと呟く。
「これでプラス200カロリー……」
イヒイヒと悪い顔をしている伊月さん。やけにカロリー計算をしている気がする。
「ひょっとして俺を太らせようとしてるの?」
「違う違う。ハルノくんの体積を増やそうとしてるの」
「それ太らせようとするのと何が違うのさ」
「ハルノくんがいっぱいになれば喜ぶ層がいる」
なんだその層。
俺が説明を求める前に、伊月さんは続ける。
「私は欲しいものは全て手に入れないと気が済まないの」
俺のことをじっと見つめる。俺はつい口にしてしまう。「それってさ……」
しかしその先が放たれることはなかった。
伊月さんは被せるように言葉を紡ぐ。
「地位と名誉と……」
伊月さんは俺を指さす。
「え……お、俺?」
すると伊月さんの指はスーッと下に降りていく。そして胸の下あたりで止まった。
「ハルノくんの胃袋」
俺は面食らう。なんて返事をすればいいかわからなかった。
言葉を選んでいる合間に、伊月さんは続ける。
「ハルノくんがいーっぱい食べくれたら、ぷよぷよするでしょ? みんなはどうか知らないけど、私はハルノくんがどんな姿になっても好きだもん」
そう言って、俺の頬をつねる。むに、と脂肪が広がる感覚がした。
「いずれ私のご飯しか舌に合わなくするからね」
彼女のジト目と目が合う。口の中の甘味が増した気がする。
「よーし、手始めにフォロワー3万人」
伊月さんの手はいつの間にか俺の頬から離れていた。細い腕で力こぶを作って、やる気を示している。
「気になる人を太らせるには、まずは大衆の舌にも合うか確かめなきゃだし」
「やたらと俺を太らせようとしてくるけど、伊月さんってフレネミーなの?」
「エネミーかもよ」
「友達ですらないの!?」
「さっきの必殺マヨビームは伏線って言ったらどうする?」
「やっぱり俺殺されるの?」
すると伊月さんは「ふへへ」と曖昧な返しをする。
俺は彼女に敵わない。
「伊月さんってどこか掴めないんだよなー……」
俺がごちると、伊月さんは聞こえるか聞こえないかというぐらいの声量で話す。
「……全部わかられちゃったら飽きられちゃうかもだもん。絶対に私のペースにし続けるもんね」
「……? 伊月さん何か言った?」
聞き返すと、伊月さんは普段通りの声量で言った。
「ハルノくんに料理を教えるとき、なにから教えようかなって。やっぱ根性焼きからかなぁ……」
「それは調理法じゃないでしょ」
本日の摂取カロリー、約800カロリー。
まめ吉のフォロワー、約2000フォロワー。




