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1.



「お前の姿など見たくもない。どうしても傍に侍りたいというなら、俺を守るための守護鳥くらい持って来い」

 

 王子妃教育の帰り、毎月1度行われるはずのお茶会の席で、未だお茶会に来たことのない婚約者である第二王子ロンダルを待っていたミルファは、1時間以上遅れながらも初めて参加したロンダルにいきなり罵倒された。


 ロンダルが自分のことを嫌っているのは知っている。というか、ロンダルは自身の乳母――さすがに今16歳となるロンダルに対して乳母という肩書で傍に控えるわけにはいかず、現在は侍女頭としてその任についている――とその乳兄弟以外、誰も信じていない。過去に何度も食事に毒を盛られていたからだ。死に至るものではないにせよ、それは幼かったロンダルを人間不信にするには十分すぎた。


 ロンダルが命を狙われている理由は、彼の出生に由来する。ロンダルの母、即ち現王妃は後妻で、もともとは隣国の王女が王妃であった。彼女は王太子となる第一王子を出産したが、その後二人目の出産時に子供共々命を落としてしまった。王位継承者が一人しかいない状況は王家の存続が危ぶまれるため、国内から侯爵家の娘を新たな王妃として迎え、生まれたのが第二王子である彼だ。新王妃は分を弁え、第一王子が王太子であることに異を唱えることはなかったが、王妃の実家である侯爵家は、自分の孫であるロンダルを王太子としたいらしく、事ある毎に王に自国由来の王をと進言した。


 そうした意見が声高に叫ばれているのを知り、ロンダルに王太子の地位を奪われたくない第一王子及び隣国の思惑により、間諜が第二王子の食事に何度か毒を盛っていたと思われる。これは、おそらく警告であり本当に殺すつもりではない程度の毒ではあったが、幼かったロンダルにとって、自身が死を願われていると察するに余りある出来事であり、献身的に自分を介護してくれた乳母と乳兄弟以外誰も信用できなくなった。母の実家である侯爵家が原因と噂されていたため、侯爵家に連なる母すらも信頼できなくなっていたのである。


 こうして人間不信に陥ったロンダルのことを、信じてはもらえないものの母である王妃は大変心配していた。そこで、並外れた魔力を持つ伯爵家のミルファに、婚約者としてロンダルを守ってほしいと依頼してきたのである。



 幼い頃から体が弱く、長く生きられないといわれていたミルファは5歳の誕生日を迎えて直ぐにひどい高熱を出したが、その際に魔力を暴走させ、魔力コントロールができないほど高魔力に晒されることとなった。この状態は人間が持ちうる魔力値をはるかに上回るため、魔法回路が焼き切れ死ぬしかないと言われている。少なくともミルファの両親は早々にミルファの命を諦めた。

 しかしながら、稀にこの状態で生き延びる者がおり、それが『死神の足音』を聞いたと言われる者である。これは、その魔力が一般的な人間のそれをはるかに凌駕する、いわゆる化け物と呼ばれるほどの魔力を有し、また他者の高魔力に対し耐性を持つ者の蔑称だ。彼らは高熱を出した際に、耳元で人間のものとは思えない足音、時には地響きを聞いたというために『死神の足音』を聞いた者と呼ばれている。

 彼らはその高魔力の力ゆえに、一旦感情を爆発させれば岩をも劈き海が割れるとも言われていると逸話に残されているため、その存在は多くの人間に恐れられている。勿論、一部の良識ある人間はそれに懐疑的であり、眉唾物であるとしているのだが。だが、ミルファの両親を含む大多数の人間は、彼らを化け物として扱ってしまう。ミルファ自身は高熱で魘されている間『死神の足音』を聞いた覚えもないのに。


 以後、ミルファは家族から恐れられ、怯えられ、近寄られなくなった。世話はされるものの、侍女たちは一切口を利かない。何がミルファの感情の発露となるかわからないから近寄りたくないのだそうだ。伯爵家として問題ない程度の部屋を与えられ、決まった時間に食事と就寝、そしてそのための世話係。人形を相手にしているかの如く、一切差異のない毎日。それは酷くミルファの心を蝕んだ。ミルファは、ただ他の人間と同様、教育や他者との会話を望んだだけなのだが、与えられたものは机の上に置かれた教科書のみであった。時間だけは無限にあったミルファは、既に読み書き能力が最低限自分にあったことに感謝しつつ、辞書を片手に渡された教科書を繰り返し読み込み、知識を得ようとしていった。いずれ大きくなったら状況が改善すると信じて。


 本当は、ミルファは誰かと話をしたかった。今日有ったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、以前までは当たり前に享受していた日常生活を送りたくて仕方がなかった。母にもう一度抱きしめてもらいたかった。父に、もう一度高い高いと持ち上げてもらいたかった。両親にそれを願えないならば、もう誰でもいいからただ誰かに優しく接してもらいたかった。




 そうした中で、お忍びでミルファに会いに来た者がいた。それが現王妃である。王妃は、ミルファの存在を肯定してくれ、自分が息子に嫌われていてもなお、命を狙われている我が子を守るためにその魔力で盾になってほしいと懇願してきた。その、王妃の第二王子に対する愛情に心を打たれた。だからミルファは王妃のためにこの命を懸けようと思ったのだ。誰からも望まれていないと思っていた自分に頭を下げる者がいる。自分を必要としてくれる者がいる。それは、ミルファにとって信じられないほど嬉しいことであった。更に王妃は、嫌われている我が子にそれでも愛情を捧げ続けられるという信じられないほどの慈悲深さを持っている。ならば、その慈悲深さはロンダルの婚約者となる自分にも与えられるのではないか、と少しだけミルファは期待したりもしたのだ。



 王妃の名のもと婚約が調い、顔合わせが行われた。

 ミルファの両親はこの場に現れはしたが、彼らはミルファと距離を優に人二人分は空けている。ミルファの体の中に流れている高魔力から少しでも遠ざかりたい、そう考えているのが丸わかりの距離感である。王妃の前でそれはあんまりではないかという気はするが、それが『死神の足音』を聞いた人間に対する一般的理解なのだろうと思い、ミルファはもう何も言う気はなかった。

 対するロンダルは終始不機嫌そうであったが、王妃の顔を立てたのかとりあえず顔合わせには参加していた。ただ一言も話そうとしないロンダルの様子を見て、王妃はロンダルにせめてミルファを王宮の中庭に案内するよう命じた。

 エスコートするつもりはないらしく、嫌々ながらという感じを前面に出しつつロンダルは勝手にズンズン進んでいく。ミルファは慌てて後を追った。


 中庭に着くと、用は済んだとばかりに帰ろうとするロンダル。ミルファは慌ててロンダルに声をかけた。

「第二王子殿下、お話を聞いていただきたいのです」


 足取りは止まったものの、振り向く気配はない。

 ミルファは話を続けた。


「私を信じられぬとお思いでしょう。なので、隷属の首輪を作成して参りました。よろしければ、殿下の手で私にお着けください。隷属いたします」


 殿下の前へと回り込み、チョーカーをその手の上に置いた。そして、殿下に背を向け、髪をあげてうなじを晒した。


「お着けいただければ幸いです」


 しばらく動きがなかったが、やがて大きなため息とともに荒々しく首にチョーカーが回された。


「これで満足か。馬鹿げた茶番を」


 怒りを抑えたような、低い声だった。あぁ、信じていただけていない。ミルファは悲しくなったが、まだ今日は顔合わせをしただけ、これから少しずつ歩み寄っていければ、と未来に望みをかけた。


 まずはロンダルに自分が敵でないとわかってもらわなくてはならない、とミルファは月1度のお茶会を定例で開くことを王妃に確約してもらったが、ロンダルが顔を出すことはついぞなかった。さすがに4カ月目、つまり4回目のお茶会となる本日は、今まで3回とも欠席されている旨を王子妃教育の際に王妃にお伝えしたところ、おそらく王妃からロンダルへとお叱りがあったのだろう。こうして遅れはしたものの顔を見せにきたと思われる。罵声と共にではあるが。


 叫ぶだけ叫んで、お茶会の席にも着かず王子は踵を返した。ミルファの話を聞く気はないということだろう。


 はぁ。思わずため息が零れる。

 確かに守護鳥がいれば、ロンダルが毒に晒されることはないだろう。守護鳥は確実に自らの主としたものを守るから。けれど、それを手に入れるのは簡単なことではない。守護鳥はドラゴンと共生していると言われているのだ。

 仕方がない。

 ミルファはそう呟くと、1時間以上待たされて既に冷めてしまった紅茶を一口だけ飲んで立ち上がった。



 隷属の首輪とは、過去に『死神の足音』を聞いたものが、自分の存在を怖がらせないために作成したと言われている。かなりの高魔力を必要とするが作成方法は秘匿されているわけではなく、『死神の足音』を聞いた人間が神殿に自己申告すれば作成方法は開示される。

 もちろん高魔力保持者でないと作成できないもので、且つ作成者が隷属される側となるため、勝手な、あるいは違法な隷属は起こり得ないとされている。

 ミルファも神殿に申告し、作成方法を開示してもらった。ロンダルに着けてもらったものは、そうやって作った代物だ。隷属される者が作成し、隷属させたい者がそれをはめる事によって完成する主従の誓い。自分の存在を盾とするために、ロンダルに隷属するためのもの。これは冗談などではなく、しっかりとした契約である。


 ミルファは王妃からの懇願で婚約者となったため、ロンダルはミルファが『死神の足音』を聞いたと言われる者であることは知っていると思っていた。それ故にロンダルの信頼を勝ち取るためにわざわざ作成し、隷属の首輪を渡したのである。けれど、彼は隷属の首輪に対して茶番と言い捨てた。すなわち、信じていなかったということだ。

 ミルファとしては、ロンダルはミルファのことを、『死神の足音』を聞いた人間であるということくらいは知っていると思っていた。ただロンダルが、自分に対して隷属の首輪を渡す人間などいない、という人間不信的な意味合いで茶番と断じただけだと思っていた。けれど、ロンダルはミルファが『死神の足音』を聞いたと言われる人間だということすら知らなかったのではないだろうか?


 確かに、『死神の足音』を聞いた者が誰かということはあまり公にはされることはない。

 何故ならば、そうなった者の多くは、感情を爆発させることなく、冷静に自らの状況を鑑みて静かに国を去り、冒険者などへと転じることが多いからだと言われている。

 『死神の足音』を聞く人間は、基本的に20歳前後の者が多いようだ。何故ならば、酷い高熱に晒され、体を作り変えるような激痛から復活できる者は、身体能力の一番優れている時期くらいしか一般的にはあり得ないからである。ミルファのように幼い時期にこの体験をしたという例は聞いたことがない。だから、体調が戻り次第そのまま消息不明となる者が殆どなので、あえて広めるほどではないのだ。勿論秘匿されているわけでもないので、調べればすぐに分かってしまうだろうが。

 もともと、ミルファ自身もある程度の年齢になれば家を抜け出して冒険者となるつもりであった。実際、ギルドには13歳となった昨年から登録はしており、既に簡単な依頼はいくつかこなしている。感情を爆発させれば問題があるかもしれないが、自分の身に危険が迫るなど特別なことでもない限り、感情の暴発を起こすような出来事はほぼない。それであれば、単なる高魔力保持者でしかないのだ。両親はかなりミルファに怯えているが、本来そこまで怯える必要はないのだとミルファは思う。感情の高ぶりは、日常生活のこまごました程度では爆発には至らない。

 それでも両親が怯えるのは、実際に感情が爆発して大掛かりな問題を起こした者の話が逸話として面白可笑しく伝えられているからであろう。せめて我が子が『死神の足音』を聞いたとわかった時に、神殿で話を聞くなりして、もう少信憑性のある情報を仕入れてほしかった、とは思うが、あまり深く考えることのない両親にそこまで頭を回せというのは無理なのだろうと今は思えるくらい、ミルファは自分が大人になったと思っている。


 とりあえず、とミルファは思う。

 ロンダルはおそらく、周りから情報を仕入れていなかった、あるいは王妃から言われても聞いていなかったのではないか。だから知らなかったのではあるまいか。

 それとも知っていて、それでもドラゴンの元にいる守護鳥を取って来いといったのか。だとしたら質が悪いが。


 …どちらでもよい。どの道命令は下されてしまったのだから。ミルファはたとえドラゴンと刺し違えても守護鳥を手に入れないといけないのだ。



 ドラゴンがいると言われているエーデリオン山は、この王国の外れにある。本当に住んでいるかはわからないが、行くしかあるまい。

 ミルファは、伯爵家にしばらく戻らない旨を記載した置手紙を残した。おそらく伯爵家はミルファがこのまま戻ってこないことを歓迎するのかもしれないが、残念ながら一生戻らないわけではない。いや、当初の予定では一生戻らないはずではあったが、今のミルファは王妃のためにロンダルに尽くすと決めたのだ。ここを離れ冒険者になるという夢は潰えたため、申し訳ないが任務を終えたら戻ってくる旨も併せて記載しておく。


 それでも、冒険者ギルドに登録をしておいて良かったとミルファは思った。ギルドに登録することによって、冒険者の心構えや装備、応急処置の仕方など、冒険者として生きるためのあれこれを教わることができた。だからこそ、こうやって旅に出ることができる。さすがに何の備えも知らない伯爵令嬢のままではドラゴンの元へ行くことは不可能だったろう。安全を考えて、簡単な依頼しか受けていなかったが、ミルファの魔力は高い。ソロで、他者が来なそうな場所で少しずつ魔法の練習を兼ねながら依頼を受けていたが、自分なりにもっと高度な依頼も可能だろうとは認識していた。ただ、年齢的なことや、仮にも伯爵令嬢という身分を考えると、今現在怪我などをした場合に後々問題になりそうであったため、安全のために抑えていたにすぎない。

 とはいえ、ドラゴン討伐――とならないことを祈りたい、できれば穏便に守護鳥を譲ってもらえないかお願いはしてみよう――は、最高ランクの難易度のものである。果たして自分にできるだろうか、とミルファは考える。まともにドラゴンとやり合ったら、確実に負けるのは分かっている。それでも、隷属している限り、やれと言われたらやらざるを得ないのだ。


 いつもギルドに向かう時のように少年の恰好をして、最低限の旅支度をする。足りないものは、町で購入しつつ出かけるしかない。幸い、10歳の時にいずれ冒険者ギルドに登録し家を出ていくつもりでいる旨を文書で認めておいてから、以降半年に一度まとまった金額が机の上に置いておかれるようになった。おかげで、中古ではあるが武器や防具をそろえることができたし、今日の旅支度にも回すことができる。おそらくそれが、両親からの愛情の表れだと信じている。顔を合わせることは殆どなくとも、手紙を出しさえすれば、それが教科書であれお金であれ、何かしら机の上に置かれている。恐れられているものの嫌われているわけではない。少なくともミルファの両親は、ミルファに対して何某かの愛情はまだ残っているはずなのだ。それが、ミルファが望んだような抱きしめてくれたりする形の愛情でないだけで。そう信じることでミルファの矜持は保たれているのだから。

 ミルファは心の中でいつものように両親に愛してる、と呟きながら、静かに家を後にした。


誤字報告いただきました。ありがとうございます。修正いたしました。

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