乙女ゲー異世界転生者(♂)は悪役令嬢を救いたい その七十八
結局花恋も連れていくことになり、みんなで凛香のプライベートビーチに遊びに行く前に家の掃除をする必要があるが、さらにその前に一つ重要なイベントがあった。
「ほい、これでギプスともおさらばだよ少年。すぐには力が入らないからリハビリを頑張るように……」
「わかりました、ありがとうございました」
骨折して骨を折ってから約一ヵ月、ようやく指のギプスを取ることを許され外してみると、ギプスをしていた部分だけ色が変わっていた。どうやら垢で肌が変色して見えるらしい。
久しぶりに空気に触れたからか、なんだか無性にかゆくなってきたので、早々に家に帰って洗おうと、もう一度お礼を言ってから椅子から腰を上げてそのまま診察室を後にしようとすると「少年」と呼び止められた。
「? なんですか?」
「少年の骨折の件はもう大丈夫なんだけどさあ、一つ聞きたいことがあってね」
「はあ……」
聞きたいことってなんだろうと思いながら、再び腰を下ろすと、先生はにっと頬をつり上げて笑った。
「めいちゃんの様子はどうなのかな?」
そう言えば最初にこの先生の診察の際にめいと知り合いっぽい雰囲気を出していたか。
「めいさんの様子ですか? 別に普通だと思いますけど……」
本当に普通なのでそれ以上言いようがなくて困っていると、何故か先生は満足そうに頷いていた。
「そっか……それなら良いんだ……それじゃあリハビリを頑張るように!」
嬉しそうに笑った先生は、くるっと椅子を回転させ机に向かうとひらひらと手を振った。
……それだけ?
めいが普通にしていると言っただけで、満足するというのがよくわからなかったが、これ以上追及できる雰囲気でも無い。
「ええと、ありがとうございました。それじゃあ俺はこれで」
別れの挨拶と共に、今度こそ診察室を出ると、花恋が駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん! どうだった!」
「ああ、ギプスはとれたけど……」
軽く右手を上げると、人差し指と中指に痛みが走った。
よく見ればこの一ヵ月ほとんど動かさなかったせいか、筋肉が衰えてしまったように人差し指と中指が細く、拳を握ろうとしても上手く力が入らない。
「うわあ……すごい色だね……」
黒っぽくなった優花の右手の人差し指と中指を見て花恋が若干引いていた。
「帰ったらすぐに洗わないとな」
「にははっ! そうだね! リハビリもしないといけないんでしょ?」
「……まあリハビリは後でかな」
とりあえず今日はこの後、家の掃除をしなくてはいけないので、右手のリハビリをしている時間は無い。
花恋と二人の帰り道、好奇心から右手を鼻に近づけたら……強烈な匂いがした。
家に帰り、風呂場で指を念入りに洗おうとすると、触れるたびに痛みが走りなかなか大変だった。何度も何度も洗って垢を落とし、とりあえずまた包帯を巻いておく。
「さて……やるか!」
一段落つき、いよいよ掃除を始めようとした瞬間、
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
出鼻をくじかれたような形になり、なんだか萎えながら直接玄関の扉を開けると、そこにいたのは凛香だった。
今日の凛香の私服はふんわりとしたワンピースにカーディガン。質素な印象だが、凛香の素材の良さが際立って、とても可愛らしかった。
「ごきげんよう、ゆうかさん。もうギプスは取れましたのね」
「ああ、はい。今はとりあえず包帯だけ巻いてます」
右手を軽く上げて大丈夫だと見せると、凛香はにっこりと笑った。
「そうですの、それは良かったですわ」
とても自然な凛香の笑みに、思わず見とれていると、凛香がずいっと一歩前に踏み込んできた。
「それでは本日は約束通り、わたくしが掃除の手伝いをしてさしあげますわ!」
「……あ」
そういえばそういう話だったっけ……。
花恋を海に連れていくかどうかでもめて、追いかけっこをした後はそのまま寝てしまったため、すっかり忘れていた。
頬を引きつらせ、たらりと冷や汗を流す優花を助けるように、凛香の背後からめいが顔をのぞかせた。
「私もお手伝いしますから、大丈夫ですよ」
「ああ! そうなんですか! 良かった……」
めいがいるなら大丈夫だと、心底ほっとして胸を撫で下ろすと、凛香の目が細まった。
「わたくしの時と反応が違う気がするのですけれど?」
「いやいや、そんなことはありませんよ! いやあ、凛香さんとめいさんが手伝ってくれるならすぐ終わりますね! 良かった良かった! このお礼はいつかしますね!」
はははと笑ってごまかし、二人を家に上げると、ラフな格好の花恋が自室から出てきた。
「あれ? 凛香お姉ちゃんとめいさん? 今日はどうしたの?」
嬉しそうに笑いながら、ぱたぱたと走ってきた花恋に、凛香は胸を張り、胸元に手を当てた。
「わたくし自らゆうかさんのお家の掃除を手伝いに来たのですわ! 感謝してくださる?」
「そ、そうなんだ……」
にははっといつもの笑い……いや、いつもより少し引きつった笑いを浮かべながら、花恋がじりじりと後ろに下がり始めた。
……花恋のやつ、一人で逃げようとしてるな。
元々優花に掃除を任せて一人遊ぶつもりだったのは、わかっているが、凛香とめいが手伝いに来てくれた以上、花恋を逃がすわけにはいかない。
「逃がすか!」
「にははっ! 逃げる!」
突然の出来事に凛香達が目を丸くする中、優花と花恋の追いかけっこが始まり――――すぐに終わった。
「あっ! こら!」
「にははっ! わたしの勝ちだね!」
花恋が逃げ込んだのは花恋の自室。部屋には鍵がかかるため、花恋に立てこもられてしまった。
これでは掃除を手伝わせることはできない。
「何をしてるんですのあなた達は……」
呆れたような目で、追いついてきた凛香に見られ、頭を掻くと、凛香はため息と共に、花恋の部屋の前に立った。
「察するに、花恋さんに掃除の手伝いをさせればよろしいのですわよね?」
「ええと、そうですけど……こうなったらなかなか出てこないと思いますけど……」
「わたくしにお任せなさい」
ふふんと自信ありげに笑った凛香に、優花は何か作戦があるのかと思い任せてみることにした。
「花恋さん? 聞こえていますの?」
「聞こえてるよ凛香お姉ちゃん! それと、凛香お姉ちゃんが説得したってわたしは掃除しないからね! 今日はだらだらするってもう決めてたし!」
凛香に負けず劣らず花恋も頑固なので、いくら凛香と言えども説得は難しいんじゃないだろうか。
ちらっと凛香の方を見てみると、凛香はまだ自信満々に笑っていた。
「良いですかゆうかさん。簡単に人を動かすには、二つしかありませんの。ご褒美で釣るか……もしくは脅すかです」
「あー……なるほど……」
「……というわけで、花恋さん! ここを開ければ特別に良いものを見せてあげますわ!」
どうやら凛香はまず、ご褒美で釣る作戦をするつもりらしい。
「……良いものってなに?」
興味を引かれたらしい花恋の声が部屋の中から聞こえてきた。なんだかこのままいけそうな雰囲気だ。
 




