乙女ゲー異世界転生者(♂)は悪役令嬢を救いたい その六十九
「はあ……三年ぐらい前だったかな、ここに赴任してきたばかりの頃にな」
「三年前……? 鬼島先生って何歳なんですか?」
話の腰を折るようで悪いなと思ったものの、無視できない話題だったので、口を挟んだ。
大学卒業してすぐにこの白桜学院に赴任したとしても三年経っているわけだから……。
「ああん! お前喧嘩売ってんなら買うぞこらー!」
がっと飛びかかってきた奈央に頭を抱えるように首をしめられる。
ぎゅうぎゅうと絞めつける力は本当の子供のように弱いが……頭がある位置に柔らかいものがないのでそれなりに痛かった。
「あばら骨が当たって痛い!」
「それはあたしに胸が無いってバカにしてんのか! こらー!」
……結局奈央は優花が謝るまで放してくれなかった。
「ったく、お前マジで今度言ったらぶっ飛ばすからな」
「あーはいはい、それで? 赴任してきたばかりの頃になんかあったんですか?」
とりあえず優花が余計な茶茶を入れたせいで中断した話を戻そうとすると、奈央はなんだか感心していた。
「……お前マジで良い根性してるな」
「そうですかね?」
むしろ根性無しな方だと思うけど……。
「まあいいや。あたしが赴任してきたばかりの頃の白桜学院は追試受けるやつなんてざらにいたんだ。幼小中高一貫校だからな、勉強できないやつは本当にできないんだ……」
「あー……ありそうですね」
エスカレーター式に進級等できるなら、勉強に熱心にならなくなるのもわからなくはない。
「そこであたしは、補習になると恐ろしい目に合うという噂だけ流してもらったんだ」
「……噂だけですか?」
「ああ、噂だけだ。ただその噂を流してもやっぱり補習を受ける生徒は多くてな」
まあ噂はあくまで噂、信じない人も当然多くいるだろう。
「……それで?」
「だから、本当にとびっきり厳しくして心を折るぐらいの補習をしたら補習を受ける生徒はめっきり減ったんだけど、代わりに補習の鬼って呼ばれるようになってな。……生徒から避けられるようになった。つまんねえ」
「あー……なるほど……」
補習の鬼の話が信憑性を増して生徒の間で広まり、補習を誰も受けなくなったまでは良かったが、補習の鬼が奈央という事実まで広まってしまった結果、普段から生徒に避けられるようになってしまったわけか。
この話に別におかしなところは……いやあるか。
「いや、鬼島先生が避けられているのは、その噂だけのせいじゃない気がしますけど」
「あん? なんでだ?」
「鬼島先生の見た目は小学生みたいなのに、言動が男っぽいから変な人認定されてるだけだと思います」
奈央のためを思い思ったことを正直に口に出すと、それを聞いた奈央は急に涙目になった。
「……くそっ! そんなわけないだろばーか! お前明日こそ泣かせてやるからな!」
負け惜しみのような言葉を吐きながら、ぴゅーという音と共に奈央が教室から出ていってしまった。本当に子どもっぽい変な先生だ。
プリントをしまい優花も補習の教室から出る。特別教室棟からも出たところ、そこに何故か深雪が立っていた。
「……灰島。補習は終わったのか?」
「あっ、はい、今終わりました。六道生徒会長は今日はどうしたんですか?」
今日からもう夏休みなので、深雪に会うのはおかしい。優花と同じく深雪も補習……という可能性はまあ、ないだろう。
「少し、生徒会の用事でな……」
なんだか今日の深雪は妙に歯切れが悪い。
聞きたいことがあるものの、実際に聞こうかどうしようかは迷っているような印象を受ける。
深雪は言いたいことはあまり我慢せずに言ってしまう性格なはずで、そんな深雪がためらいを覚える程の話の内容ということにもなる。
……ろくなことじゃなさそうだな。
なんだか嫌な予感がしてきた優花は早々に話を切り上げて深雪と別れることにした。
「そうですか、それじゃあ俺はこれで失礼します」
別れを告げて、さっさと逃げ出そうと横を抜けようとした優花の腕を深雪ががっしりとつかんできた。
「……すまん、少し聞きたいことがあるんだ」
腕を振りほどき、耳を塞いで走り去るという選択肢が一瞬脳裏によぎったが……やめておいた。
いくら嫌な予感がすると言ってもそれはさすがにやりすぎだからだ。
「えっと、なんですか?」
仕方なく足を止め深雪に向き合うと、深雪は「ああ……」と言って、もはや癖になっているらしい眼鏡を上げる動作をしたあと、ようやく話し始めた。
「……灰島は今日補習だったんだな?」
「そうですけど?」
補習関係で聞きたいこと……何かあるか? 補習の内容が知りたい……なんてことも無さそうだけど……。
「そのだな……何かされなかったか?」
「へ? 何かって何ですか?」
深雪が何を言っているのかわからず、優花が眉根を寄せると、深雪は深く息を吐き出し、意を決したように顔を上げた。
「補習の担当教師は鬼島奈央だな?」
「えっと……そうですけど? もしかして知り合いですか?」
結局深雪が聞きたかったことは奈央のことだったらしい。
優花が奈央の補習を受けたことを認めると、深雪が心配そうに顔を覗き込んできた。
「怪我はさせられなかっただろうが、ひどい言葉はかけられただろう、ストレスで体調が悪くなったとかは無いのか?」
「いや、大丈夫ですけど……」
深雪が本気で優花のことを心配していると伝わってくる。
「本当か? 心の問題は実は本人では気がつきにくい、少しでもおかしいと思ったら自分に相談しろ、良いな?」
「はあ……わかりました」
なんでこんなに心配してくれるのかの疑問の答えは……意外にもすぐに解決した。
「ん? なんだよお前まだこんなところに居たのか? さっさと帰れよ! ……って……」
教室を飛び出していったはずの奈央が、優花の背後から声をかけてきたのだが、その声は途中で風に溶けるように消えた。
振り返ってみると、奈央の顔は驚きに染まっていた。
やっぱり知り合いだったってことなのか?
まあ知り合いなら知り合いで二人で話してもらえば良いので、さっさとずらかろうとしたのだが、深雪がさっと優花の進路を妨害してきて、逃げられなかった。
「ちょうど良い、本人も来たことだし直接聞くぞ姉さん、灰島に変なことをしなかっただろうな?」
……姉さん?
「変なことって例えばなんだよ?」
驚きの状態から回復した奈央が顔をにやにやとした笑いに切り替えると、深雪は目をすっと細めた。
「決まっている。暴言、罵倒、体罰……教師にあるまじき行いをしていないかと言っているんだ」
「はーやれやれ、これだからお子様は困るな、あたしがそんなことをしてると思ってたわけだ」
……いや、してましたよね?
「いくらあたしでもそんなことはしねえって。何をそんなに心配してんだよ」
「……心配もするだろう。補習の鬼なんて変な噂が広まっているんだ、これ以上姉さんの悪評が広まるのは身内として困る」
優花を足止めしておいて勝手に二人で盛り上がる深雪と奈央。
どうせ逃げられないならと気になった点をちゃんと聞いておくことにした。
「あのー……」
「……なんだ?」
「なんだよ?」
おずおずと声をかけると、深雪と奈央の二人から同時に睨まれた。
……理不尽だ。
誤字の報告をしてくださった方ありがとうございました!
 




