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天宮悠斗が力に目覚めたのは中学二年の冬だった  作者: 相上和音
第5話 脱引きこもり作戦
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「このたびは大変申し訳ありません……。このたびは大変申し訳ありません……」


 由紀は口の中で何度も繰り返した。

 場所は市営住宅、403号室の扉の前だ。


 表札には『天宮』とある。

 ここに来るのは、一年と四ヶ月ぶりだった。

 あの時も、天宮は引きこもっていた。

 由紀はそんな天宮を学校に連れ出すために、足繁くここに通っていたのだ。


 状況は似ているものの、根本的な部分に決定的な違いがあった。

 今回、天宮が引きこもる原因を作ったのは、由紀本人なのだ。


「……よし」


 由紀は覚悟を決め、呼び鈴を鳴らした。

 ややあって、扉が開いた。


 隙間から、疲れた顔をした女性が顔を出す。

 天宮の母の恵子だ。

 恵子は由紀を認めると、口元に力のない笑みを浮かべた。


「あら、由紀ちゃん。どうしたの?」


 天宮が学校を休むようになってから、すでに一週間が過ぎていた。

 欠席の理由は言わずもがな。

 ここ数日、学校では「あの天宮悠斗と城島明が付き合っている」という噂で持ちきりだった。


 広めたのは由紀だった。

 同好の士の一人に、打ち明けてしまったのだ。

 そこからねずみ算式に話は広まり、ただでさえ悪目立ちしていた二人のスキャンダルは、三日後には全校生徒の知るところになっていた。


 由紀に悪気はなかった。

 その同好の士とは、アキアマの情報について、余すところなく共有すると約束していたのだ。

 確かに天宮とは、誰にも言わないと約束したけれど、その前に固く交わされた約束があったわけで。


 由紀の立場からすると「天宮との約束を破った」のではなく「同好の士との約束を守った」つもりだったのだ。

 由紀は同好の士を信用していたからこそ打ち明けたのだし、そして裏切られたことに少なからずショックを受けていた。


 そもそも二人が付き合ってるっぽいという話は既にしていて、由紀はただ「本人たちが認めた」と伝えただけなのだ。

 だからと言って由紀の罪が軽くなるわけではないし、その同好の士に責任を押し付けることもできない。


 やはり悪いのは由紀なのだ。

 その自覚が由紀にはあるから、こうして謝罪しにきたのだった。

 菓子折まで用意して。


「あの、天み――。悠斗くんのことで、ちょっとお話が……」


 由紀がそう切り出すと、恵子の目が揺らいだ。


「ああ、そうよね。ここ何日も休んでいるものね。ありがとう、あの子のことを心配してくれて」

「あ、いや」

「一年くらい前にも、あったわよね。急にあの子が部屋に引きこもっちゃったこと……」

「え、あ、そうですね」

「あの時も、全然理由を話してくれなくて……。私、あの子に信用されてないのかな……」


 どうやら天宮は、母に事情を話していないらしい。

 その事実を、どのように受け止めればいいのか、由紀にはわからなかった。

 ほっとする反面、自分の口から打ち明けなければならないことに、耐えきれないほどのストレスを感じた。


「やっぱり私、母親失格なのかな……」


 きりきりと胃が痛む。

 違うんです。全部私が悪いんです。

 さらに言葉を続けようとする恵子を制するように、


「おばさん!」


 と由紀は力強く言った。

 恵子は顔をあげ、由紀の顔をまじまじと見る。

 由紀はこれ以上ない笑顔で言った。


「大丈夫ですよ。私は悠斗くんの味方ですから!」


 ぐっと胸の前で拳を握る。

 恵子は目を見開き、それからふっと相好を崩した。


「ありがとう、由紀ちゃん。あの時も、由紀ちゃんだけが、あの子のそばにいてくれたものね。本当に、ありがとう」

「いえ、友達として当然のことですから」

「これからも、あの子の友達でいてくれる?」

「もちろんですとも! あ、これ、よかったら悠斗くんと一緒に食べて下さい」


 由紀は菓子折をただの土産として渡した。


「ありがとう。あの子も喜ぶわ」

「はい! じゃあ私はこれで!」


 扉が閉められるのを待ってから、由紀は作り笑いをやめた。

 そこには、何もなかった。

 きっと絶望に色があれば、限りなく透明に近いのだろう。


 由紀は踵を返し、アキラの元に向かった。

 死角にある階段で待機してもらっていたのだ。


 アキラはこちらに背を向ける形で、下り階段の最上段に腰掛けていた。

 何も言わない。振り返りすらしない。

 きっと恵子との会話を聞いていたのだろう。

 一言も発さなかったけれど、その背中はとても雄弁だった。


「わかってる」


 由紀はアキラの背後に立ち、絞り出すような声で言った。


「わかってるから……。だから、何も言わないで……」


 梅雨入り前の、ひどく冷えたこんだ夕暮れ時の出来事だった。

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