神の難題
丸めて強張った身体からスゥと力が抜け、櫻はゆっくりと身体を起こす。アスティアがそれを手伝うように手を添えると、櫻もそれに応えるように小さな掌を重ね、金の瞳を見つめてニコリと微笑んで見せた。
その様子に、事が終わったのだと理解した命は安堵に胸を撫で下ろし、カタリナもタイロンを抑えていた腕を放す。
だが、タイロンとメデリナは信じられなかった。今回の瘴気が特殊な例だったとしても、瘴気に取り憑かれて魔人にならないなど、魔法に携わる者としてだからこそ『在り得ない』と断言出来る。しかし、その『在り得ない』が、涼しい顔をして少女と手を繋ぎ歩み寄って来るのだ。
「オ、オマエら…一体何だ!?」
先程も聞いた言葉。だがそのニュアンスは大きく違った。明らかに自分達とは違う存在である櫻に、そしてその未知の存在に付き従う者達に対しての恐怖に、声が、身体が震えている。今にも逃げ出しそうに一歩後退るものの、それ以上は身体が動かない。
そんな二人に、
「それはさっきも言っただろ? アタイ達は『神の使徒』だ。」
カタリナは頭をガリガリと掻いて言う。しかしそんな説明では納得しないとばかりにタイロンはブンブンと首を横に振って見せた。
「そ、そんな言葉で納得が出来るか! いくら使徒だと言ったって、神の加護を得ていたって、瘴気に取り憑かれたら無事でいられる訳が無ぇ!」
「そ、そうだ! それに、そいつは身体が砕けた筈なのにどうして生きてるんだ!? …ミコト…、お前のその腕は、身体は一体、何なんだ…?」
動揺するタイロンと、それに寄り添うメデリナも櫻達に疑いの目を向ける。だが、今までの生活の中で築いた信頼関係が二人の胸の内で葛藤を呼び起こす。未知の恐怖と、今までの彼女達を信じたい気持ちがせめぎあっていた。
その様子に気付いたカタリナが命とアスティアに視線を向けると、自然とその視線は櫻へと集中した。するとその三人の動きに促されるかのように、タイロンとメデリナの怯えたような視線までが櫻に突き刺さる。
(やれやれ、こうなっては本当の事を伝えるしか無いか…。)
観念したように櫻は『ハハッ』と乾いた笑いを表情に浮かべ、小さく肩を竦めた。
『カタリナ、頼めるかい?』
カタリナの耳に掛かる髪がサワサワと揺れると、彼女は一瞬ゾワリと身震いをしてから自分の頭をチョイチョイと指差して見せた。
『何でアタイが? お嬢が自分の口から言えば良いじゃないか。』
『いやぁ、何と言うか…自分で自分の事を『私は神だ』なんて言う奴、胡散臭すぎるじゃないか。それに、あたし自身も自分を神だと言うのが何となく烏滸がましい気がしてねぇ。』
『…何を言ってるんだか。はぁ、まぁ解ったよ。』
呆れたように小さく溜め息を漏らすと、カタリナはタイロン達の正面に立ち、そして片脚を軽く半歩引いたように身を寄せる。そしてその背後に櫻の姿を晒すと、手で指して見せた。
「分った。正直に言おう。ここに居るのは、今代の『人類の神』様だ。」
そう言うと、アスティアと命が櫻の両隣りに控えるように駆け寄った。
(ははは…まるで水○黄門だね…。)
思わず引き攣った笑いが浮かぶ櫻。だがそんな彼女とは裏腹に、タイロンとメデリナはポカンと間の抜けた表情で櫻とカタリナに交互に視線を向ける。どうにも信じ切れないという様子だ。そこでカタリナは櫻にアイコンタクトを送ると再び自分の頭を指差す。
『お嬢、もう一押し、何か!』
『何か、って、簡単に言ってくれるねぇ…。』
頭の中で腕組みをして考えを巡らせる。すると、何と無しにお釈迦様のイメージが浮かんで来た。
(これだ!)
櫻は小さく頷くと一歩前に踏み出す。それと同時に、櫻の背後に眩い後光が浮かび、櫻の全身が金色のように輝き出したではないか。
光は金属の部屋の中で乱反射し、まるで別世界のような光景を作り出す。
その光景は正に神々しく、一糸纏わぬ姿もそれに拍車を掛けたのだろう。アスティア達までもが思わずその姿に目を奪われると、その存在感にタイロン達も漸く我に返ったようにハッとし、そして自然と土下座のように頭を下げていた。
どうやら上手く行ったようだと安堵の息を鼻から漏らすと、櫻は何となく気恥ずかしくなって頬を赤らめるのだった。
一先ず町まで戻る事にした一行。最早隠す事も無いと、全員を櫻の風の能力『飛翔』で一気に運ぶと、タイロン達は改めてその力に驚きと畏敬の念を抱いた。
櫻と命が着替えを済ませ、再び全員がタイロン達の家へ集まると、その場には微妙な空気が漂っていた。緊張し直立姿勢で指先までもピンと身を硬くしたタイロンとメデリナが、強張った表情で櫻に視線を向けている。
(まぁ気持ちも解らんでは無いが、直接何かをされた経験が有る訳でも無いのに、ここまでの反応をされるとはねぇ。)
直接『神』として人前に出た事を少々後悔しつつ小さく溜め息を漏らすと、それにすらタイロン達はビクリと反応を示した。
「あ~、まぁ、なんだ。あたし達に対して今更気を遣う必要は無いよ。今まで通りにしていておくれ。」
気さくに話しかけるものの、二人の態度は変わらない。ただ固まり、櫻の一挙手一投足に気を配るように目をギンギンに開いているばかりだ。
(ま、あたしだって日本に居た時に目の前に神様が現れたらこうもなるかもしれんし、気持ちが解らなくも無いがね…。)
今までにも『神の使徒』としてバレる事は有ったが、こうして直接『神』として人前に出る事の重大さを改めて感じる。だがコレは、櫻の望む『人』の関わり方では無い。多少心を鬼にしてでも、この状況を打破する必要が有る。
そこで櫻は、彼等にとって一番聞きたくないであろう事、そして言わなければならない事を最初に切り出す事にした。
「そこまで態度を崩さないのであれば、今更取り繕う必要も無い。あたしは『神』として、お前さん達に命じる。」
櫻の言葉に、タイロン達の身体は更に硬直し、喉がゴクリと鳴った。櫻はその様子に『コホン』と小さく咳払いを挟むと言葉を続ける。
「子供を作る魔法の研究…あれを止めろ。」
感情を含まないような冷静な声での、突然の提言。だがそれは、タイロンとメデリナにとって今までの行動の全否定であった。それを目標に魔法を学び、師を失い、町を、家族を捨ててこの過酷な環境に身を置いた。それら全てを無にする言葉に、タイロン達の頭の中は一瞬真っ白になると、直ぐにカーッと怒りが沸き上がって来た。
その怒りの感情は、今まで硬直していた身体をワナワナと震わせ、『ダンッ』と一歩を踏み出させた。そして何かを言いた気にしながらも、取り返しのつかない最後の一線を越える事を堪え『ギギギ』と歯軋りすら聞こえる程に食い縛る口と、力の籠った握り拳には、想いの全てが乗っているよう。
櫻はその感情を一身に受けながら言葉を続ける。
「お前さん達が見たアレは、恐らく『元・人』だ。」
その言葉に反論を呈する者は居ない。
「そして、皆が見ていた通り、そいつは今、あたしの中で眠っている。」
優しく下腹部を摩ると、皆の視線は自然とその小さな手に吸い寄せられた。
「あたしは『人類の神』だからね、こうして魂を受け入れ、浄化出来るのは人類の魂だけだ。そして受け入れた時に、その魂が持つ感情を知る事が有るんだが、こいつに残っていたのは『不老不死』と『不滅の魂』という二つの『執着』だけだった。」
それを聞いたタイロンとメデリナはハッとした。その執着は、自分達の悩みの根本である『寿命』という問題に直結したものだったからだ。二人は何かを言いた気にしながらも何を言えば良いか言葉が浮かばず、櫻の言葉に耳を傾ける。
「あたし達は、今までにも幾度か魔法使いと戦った。その中には『生命』に係わる魔法の研究をしていた者も何人か居てね…恐らく彼等はお前さん達よりも遥かに魔法という技術の扱いに長けた、才能有る者達だっただろうに、だが、その成果が正しく完成した者は、一人も居なかったよ。」
タイロンは、暗に自分達が未熟で才能が無いと言われている事に下唇を噛み締めるように言葉を飲む。何も言い返せないのは、それが事実だと理解しているからだ。
だがメデリナは違った。
「た、確かに僕達は未熟だ…です。でも、先人達がそうだったからと、僕達に出来ないと決め付けられるのは、幾ら神様の言葉でも納得行きません!」
最初は絞り出すように弱々しく震えていた声が、一度堰を切って出た言葉は勢いを増し、語気を高める。だがそんな本音をぶつけるメデリナに、櫻は嬉しそうに表情を崩しながらも言葉を続けた。
「いいや、お前さん達には…いや、恐らく、魔法使いという者達には、『生命』をコントロールする事は不可能なのさ。」
「な…何故…なのでしょう?」
タイロンも恐る恐る声を絞り出す。
「それはね、『瘴気』を使っているからさ。瘴気は…あたしの見立てだが、『不純物を大量に含んだ精気』のような特性を持ったものだ。その不純物が、物事を正解から遠ざける。それが複雑なものであれば尚更に、ね。」
その結論は、瘴気を直接体内に取り込みながらも正気を保ち生還した櫻だからこそ感じる直感的なものであり、根拠になるものは何も無いが、それでも確信したものであった。
「そ…そんな…。それじゃぁ、僕達が今までやって来た事は、全て無駄…だった…?」
ガクリと床に両膝と両手を突き落胆するメデリナ。タイロンも絶望に心を抉られながらもメデリナの肩に手を添えるものの、かける言葉が見つからず顔を伏せた。
アスティア、カタリナ、そして命も、そんな二人に憐憫の眼差しを向ける。部屋の中には何とも言い難い空気が張り詰め、誰も声を発する事が出来ない。
しかし、その空気を破ったのは櫻であった。
「…そこで、お前さん達にはあたしから『神』として二つの事を『命じる』。」
突然の『神』を強調するその言葉に、タイロン達ばかりかアスティア達までが驚きの視線を向けた。自分でもらしくない発言と理解している櫻は、一斉に集まった視線に気圧されそうになりつつ言葉を続ける。
「お前さん達には、瘴気そのものについての研究をして貰いたい。」
「瘴気…の?」
メデリナはポカンとした表情で尋ねる。
「あぁ。何故瘴気が危険なのかは、お前さん達も重々承知だろう。だが、それでもお前さん達は魔法を使う為に瘴気に近付く。そして、危険だからだと魔法を使う事を諦める気は無い…。」
本心から言えば、櫻は魔法を禁止にしたかった。だが、有効に使う事が出来れば生活を豊かにする技術であり、何より神の名の下に世界中に魔法禁止の『御触れ』を出したとしても、人の欲は止められない。必ず違法に魔法に手を出す者は現れる。人は一度手にしてしまった技術を簡単に捨て去る事は出来ないのだから。
「ならば、その危険性をどうすれば減らす事が出来るか、どうすればもっと効率的に瘴気を扱う事が出来るか。その可能性を模索して欲しいのさ。」
櫻の言葉に、タイロン達は釈然としないような表情を浮かべていた。それはそうだろう。自分達の研究は成功しないと断言され、更には何の関係も無い研究をしろと命じられたのだ。しかも相手は神だ。反論など許される筈も無い。二人の不満も理解は出来る。その想いを察しながら、櫻は言葉を続ける。
「この研究が実を結べば、魔法技術も飛躍的に向上するかもしれない。すると、どうなる?」
「どう…とは?」
「この町を『魔法使いの町』にしたいんだろう? お前さん達の研究が他の魔法使い達の研究を助け、その魔法使い達がお前さん達を助ける。はたまた、この町で得た研究成果を持って旅立つ者が世界にその技術を広め、更に魔法の安全性を高めてくれるかもしれない。」
『そんなに都合良く行く筈が無い』と、タイロン達の表情が物語る。それは櫻も承知の上であった。魔法使いという連中は協調性が無い。元々『魔法使いの町』という発想自体が荒唐無稽なものであったが、タイロン達は『自分達の子供を作る』という目標に盲目になっていた事で現実逃避をしていた。しかし、その目標を無理と断じられた今となっては、最早何をする気力も失せてしまっていた。
だが、可能性がゼロでは無い事も事実だ。そこで櫻は最後の一押し。
「そうなった時、この町を『始めた』お前さん達の名は後世に残るだろう。何なら、中央広場に銅像でも建てて姿も残したら良いさ。」
「ど、銅像?」
「あぁ、二人の立派な姿を、お前さんの自慢の土魔法なら創れるだろう?」
思い掛けない発想に、タイロン達はポカンとした顔を見合わせた。
「…生物は、何れ死ぬのが運命だ。そしてそれは寿命だけに限った話じゃ無く、事故や戦いでも起きる事さ。けれどね、肉体が滅び、魂が天に昇ろうとも、誰かの記憶に残る事で『その者』は生き続ける。本当の『死』というのは、誰からも忘れ去られた時なんだよ。」
皆が神妙な面持ちでその言葉に耳を傾ける中、櫻は『死ぬ事が無い自分が言って良い台詞では無い』と思うと、心の中で自嘲する。
「胸を張って人の記憶に残れる立派な成果を残すんだ。お前さん達が生きた証は、子供を残す事だけでは無いんだからね。」
色々と言いたい事も有る。だが、タイロンとメデリナは僅かに俯いたままで軽く視線を交わすと、櫻の言葉を最大限の譲歩として受け入れ小さく頷いた。
「…解りました。神様のお言葉をしかと受け止め、そのように務める事を誓います。」
言うと、二人は片膝を床に突くように姿勢を下ろし頭を下げた。そして恐る恐る声を出す。
「それで、もう一つの命は、何でしょうか…?」
既に無理難題を押し付けられた状態で、更に何を命じられるのかと、二人は気が気でない様子。そんな姿に櫻はクスッと笑みを零し、コホンと小さく咳払いをした。そして、
「もう一つの命はね…。」
勿体ぶったように言葉を先延ばしにする櫻に、タイロン達はコクリと喉を鳴らす。だが、続く言葉は二人の予想を裏切るものであった。
「あたし達を、今まで通りに扱う事、だ。」
「「えっ?」」
驚きに口を半開きにする二人。それに対してアスティア達は、『いつもの』という風に顔を見合わせ微笑みを浮かべていた。
「い、今、何と…。」
言いかけるタイロンの口元に、櫻はソッと人差し指を添えるようにして言葉を遮る。そしてパチリとウィンクして見せると、
「ここに居るのは、旅の小娘だよ。お前さんからしたら、単なるガキさ。そういう事なんだよ。ま、今日は色々有り過ぎた。一晩ぐっすり寝て、頭の中を整理すると良いさ。」
そう言ってくるりと背を向け、家を出て行く。アスティア達も慌ててその後に続くと、先程までの張り詰めた空気は鳴りを潜め、タイロン達は床にへたり込むようにして大きな溜め息を漏らし、解放感に身を委ねるのだった。




