6.
*前回までのあらすじ:
森での一騒動の後、各自が寮へと戻った。遅い夕食を済ませ、端末のスイッチをいれると、初日だというのに僕宛のメールが溜まっていた
番組にお便りを頂きました、という体で企画を進めていくテレビ番組を僕は思い出した。実際にはスタッフの仕込みなのだけれど、視聴者はそこをわかった上で見る。いわゆるお約束というやつだ。
もしかしてこれ、ドッキリ企画なんじゃないのか?
そんな疑念が頭をもたげるほど、僕には不思議だった。とにもかくにも内心、首を傾げながら一通目を開く。
『数尚、新生活はどうだ。こちらは空港で足止めを食っていてな――』
差出人は父さん。暇ついでに様子をうかがってみた、ってとこか。どうやらあっちはあっちで、アクシデントがあったらしい。目を通して、簡単に返信する。きっと父さんなら大丈夫だろう。
二通目は母さんだった。アクシデントについてはほとんど触れられていない。かわりになぜか、デザートの写真が添付されていた。
「嫌がらせかよ……メシ食ったばっかだからいいけど」
このメールアドレスは、アキラ叔父さんから教えてもらったという。おそらく父さんもそうなのだろう。のんびりスイーツ食べてるくらいだから、心配は無用だ。そう思わせたくて余裕をアピールしている、と考えるのは深読みのしすぎか。
こっちはナノマシンがデザートだった、と送っておく。
三通目は鎖さんからだった。ほんのあいさつ程度の内容だったので、今日のことは黙っておいた。
四通目は当の小夏からだった。いつの間に送ったのか、こちらも内容はあって、ないようなものだ。五通目はアキラ叔父さんから。出張では反対派の議員と議論になったとか、省庁の役人と会ったとかそんな話で、あまりそそられるものはない。最後にレポートについて、一行だけ触れられていた。
わかってるって。これから書きますとも。メールのチェックが終わったらな。
六通目は江原さんから。これもあいさつ程度のものだ。
そして七通目。再び小夏だ。なぜかブランクメールだった。ありがちな操作ミスか。
八通目、またも小夏。一文字だけ、あ、と書かれたタイトル。内容は空白だった。
何がしたいんだよ……。スパムメールごっこか。あいつの考えてることはよくわからん。今日一日ですら、謎に満ちていた。
最新の二通については返信不要だろう。それ以外は勢いでやっつける。反射的に指を動かして、ご飯を食べてわずかに回復したエネルギーを有効活用した。
レポートにはどこまで書くか迷ったが、出先のアキラ叔父さんに言っても仕方ない部分は総スルーで、流れるままに任せ投げ返した。僕の丁寧さは、すでに売り切れてしまっている。求める通りの、生々しいレポートになったはずだ。
首都にあるスクランブル交差点の一日だった。僕はときどき、自分が人間に向いてないんじゃないか、と思うことがある。もし前世があったとして、僕はゴマの木とか鉱石とか、少なくとも動物じゃなかったんじゃないだろうか。初めて人間やるんだから、疲れるのはしょうがないよな、と思うことにしよう。そうしよう。
着替えをまとめて、廊下へ出る。一階まで降りて、大浴場へ向かった。脱衣場はガランとしていて、扇風機だけがこちらを向き、歓迎してくれた。本当にこの寮に、僕以外の人間が住んでいるのか、不安になってくる。ある意味じゃ、豪邸暮らしと言えなくもないか。
湯気でくもった浴室を、暗いオレンジの照明が包む。
大風呂を占領できるなんて、王様っぽいだろ、数尚。
自分に言い聞かせながら、できるだけ時間をかけて体を流す。湯船につかって、のぼせる前に脱出した。
ついでに洗濯もしていくか。どうせ人いないし、大丈夫だろ。
あくびをしながらランドリー室に入る。
ズラリと並んだ四角い箱が、幅を利かせていた。機械音を発しながら、仕事中なのをアピールしてるやつまでいる。
「あっ」
壁際から小さな声がした。視線を送ると、江原さんがこちらを見ていた。黒いTシャツに、紺色のハーフパンツを履いている。髪の毛はしっとりと、光を反射していた。どうやら彼女も風呂あがりらしい。
「あれ、江原さん。こんばんは」
「こんばんは、先輩。ちょうどよかったです」
「ん?」
「実は、お話したいことがあって」
「いいよ。でも先に洗濯機、回していい?」
からだ全体で機械を指したつもりだったけれど、彼女からは衣類を抱えてくねくねしている、弱り切った男子に映ったらしい。
「先輩、使い方わかります? 今日越してきたばっかりですもんね」江原さんが携帯端末を置いて立ち上がる。そして洗濯機のふちを、ぺしぺしと叩いた。「えっと、じゃあ服を入れちゃってください」
「あ……ありがと」
ざっと事前レクチャーを受けていたが、つつしんで実践講座も受けることにした。お姉さん風を吹かせる彼女が面白かったからだ。僕は浮き足立っているのが好きだし、彼女のメガネが蛍光灯を反射して光るのは、もっと興味深い。こういう人、漫画で見たなぁ、と思うと笑ってしまいそうだった。
咳払いをして、芽を摘みとる。
恥ずかしい本を買う時みたいに、下着類をシャツの間へ挟んでおいてよかった。
洗剤を入れてボタンを押したら、あとは廃人ごっこでもしているうちに洗濯は終わる。しかし今のところ、死んだ目でそんな遊びをしているところを披露する必要はなさそうだった。
揃って彼女と椅子に腰掛ける。
「それで、昼間のことなんですけど」
「そういえば今日、泣いてる女の子を森で助けたんだよね。理想郷学園の指す理想郷って、メルヘンワールドだったんだね。僕ですら、裸になれば王様で、服を着たら王子様だ。江原さんは――」
「先輩!」
話をさえぎって、彼女が下から覗き込むように僕を見上げる。その瞳にはロマンスよりも、恨みが込められていた。
僕は威勢よく、行儀よく、姿勢よく「はい!」と元気に返事をする。
「いいですか。これからわたし、真面目な話をしようとしてるんです。どうしてつまらない意地悪ばかり言うんですか?」
「すいません……」泣いちゃったの、気にしてたんだ。
「わたし、真剣なんですよ。そりゃ先輩はあの場にいなかったから平気なんでしょうけど」
「はい。面目ありません」
「大体、振り返って考えてみれば、つのっちの態度だって変だったし、わたしと同じものを見たのかも」
「ん?」
同じもの、ってユーレイか。
「わたしあのとき森に入って、ふと気づいたらみんなとはぐれてて。近くにいるはずだからと思って歩き回ってたんです。きっとわたしだけ、ぼんやりしてるうちに道に迷ったんだって。緑ばっかりで似たような風景でしたし。それでウロウロしてたら、また足がだるくなってきちゃって。少し休んでたんです。
休憩してるうちにふたりが見つけてくれるかな、って期待もありましたけど、やっぱりそんなことはなくて。当然ですよね。でもそれはいいんです、別に」
「なんだか、ごめん」僕は殊勝な態度で謝った。
「先輩のせいじゃありません。それで、歩いてるうちに、すっかり方向感覚を失っちゃって。自分がどこにいるのかわからなくなってたんです。そしたら、木の間から白いものがチラチラ見えて。初めは蝶だと思ったんですけど、同じ場所から動かないし。ずっとその場で、ゆらゆら揺れてました。だから気になって、近づいてみたら……その、人の手でした」
「は?」
「真っ白なてのひらが、手招きするみたいに、ゆらゆら動いてたんです。一目で先輩のでも、つのっちのでもないってわかりました。わたしびっくりしちゃって、固まってたんです。立ちつくして。それで、我に返って周りを見渡したら、ひとつだけじゃなかったんです。そこらじゅう取り囲むように、わたしへ向かって白い手が、こう」
江原さんがおいでおいでをするように、肘から先を立てて、てのひらを上下に揺すった。
「それは、どれも木の間から?」
「すべての木の間からじゃないですけど、幹の横からだったり、そこら中に。……わたっ、……わたし気持ち悪くて。うしろに下がったら、髪の毛に何か触れた気がしました。それで振り返ったら、すぐ目の前にてのひらが……。思わず大声が出ちゃって」
「そんなことがあったんだ」
「はい。反射的に飛び退いたまでは良かったんですけど、そこから足に力が入らなくて」
「しゃがみこんでいた、と。ふ~ん……それで? 幽霊って言ってたよね。どんな姿だったの?」
「見てません」
「え? だって、そんなに近くにいたら、嫌でも見ちゃうでしょ。いくら相手が幹の裏にいたって、ちょこっとくらいはさ」
僕は腕組みをして、首を傾げた。
「見られなかったんです。木の影に隠れてたんじゃなくて、手首から先しか、なかったんです」
「手首から先しか――ない?」
「はい。白い手だけが、空中から突き出て、浮いてました。それがそこら中に、うようよと」
「だから最初、蝶だと思ったわけか」
僕から目をそらし、膝の上で両拳を握りしめながら、江原さんはうつむいた。一度、彼女の身体がブルっと大きく痙攣した。椅子が床と擦れて、不快な音を立てる。
「変なこと訊くようだけど、この学園って七不思議みたいなのはあるの? できて新しいんでしょ、この学校」
「七不思議じゃないですけど、ありますよ。怖い話」
姿勢は変えず、顔だけを彼女は上げた。
「へー。例えば?」
「わたしが知ってるのは、ふたつくらいですけど……。夜の校舎へ行くと、誰もいないはずなのに学生がいて、しかも翌日聞いてみると誰も知らない子だったとか……未登録の人はこの学園に入れませんから。あと広場にある噴水の中に入ると、あるポイントだけ穴が開いていて、落ちると戻って来られないとか」
「白い手の話は?」
「ないです。わたしも別に、そういった話題に明るいわけじゃないですし……」
「う~ん」
「木と木の間が、どこか別の空間につながってて、そこへ引き込まれたら二度と出てこられないような、そんな気がしたんです。手だってわかったとき、わたし」
「考えすぎだよ。大丈夫だって」
「そうかもしれませんけど……」
「そうだよ」
僕はあえて、力強く言った。彼女の不安をかき消せる効果が、断言にあると期待して。
どこか室内で、機械音が鳴る。
洗濯が終わったのだ。もしかしたら僕のだろうか。
「あっ、わたしのです」
江原さんが立ち上がり、ふたを開けて衣類を取り出す様を、僕は黙って見守っていた。イタズラにしては手が込んでいる。ふと、なぜ僕は見られなかったのか、不思議に思った。タイミングや場所の問題だろうか。彼女は見た。僕は見ていない。隠れられるスポットはいくらでもあっただろう。しかし、それだけ数があれば、ボロを出してもおかしくない。
「なにか、心当たりはある?」
「何のですか?」
江原さんが振り返る。
手に持った衣類の塊から、ぼとりと布切れが落ちた。遠心力が働いて、僕の足元近くまで届いた。
「例えば、集団でいたずらされるような?」
「いえ、全然」
彼女が首を振るのに合わせて、髪の毛が広がる。風呂あがりの、シャンプーだかコンディショナーだかが混じりあった、いいにおいが僕の鼻先をくすぐった。
そっか、ま、そりゃそうだよな、と思いながら、床に落ちた布切れを拾う。
「これ、落としたよ」
「はい?」
弁解させてもらうと、はじめ、僕はハンドタオルだと思った。だから、ナチュラルに差し出したのだ。結論から言えば、気絶したわけだが。
ひよこのキャラクターに、ピンクの縁取り。水気を吸って丸まった布が、てのひらでめくれる。そう、それはまごうことなき、おぱんつ様であった。
野生動物が獲物へアタックする動きで、彼女はそれをひったくった。あやうし、ひよこちゃん。僕の耳は、もしかしたら今日二回目となる、江原さんの悲鳴を受理したかもしれない。
しかしほとんど同時に、僕は天井の角を視線でなぞっていた。椅子の足が滑る感覚に、上半身がコントロールを放棄した。後頭部に衝撃があって、たまらずまぶたを閉じる。反動から歯がガチガチ鳴った。
白い閃光。
それから?
うん。
彼女にとって残念なことに、僕はまだ生きていた。そして江原さんは、有谷さんへと変身していた。
ぼやけた視界の隅で、長髪が移動する。
「あら? お目覚めになりました?」
「いだっ!」
身体を起こそうと力を入れたら、頭の内側から小さい矛で突かれたような痛みがした。
「無理せず、ゆっくりしててください。そばにいますから」
はい、と声に出せたのかどうかすら判別できないまま、僕は目を閉じた。天国は、すぐそばにあった。それを確かめられただけでいい。それすらできずに消えていく人が、この世にどれほどいるか。
衣擦れの音がする。
そして意識が――。
次に眠りから醒めて、この世界へ戻ってきたとき、体調はだいぶ良くなっていた。
後頭部に鈍痛がするものの、他はおおむね良好だった、
ドアのノブが回る音がする。
僕はゆっくり上半身をベッドから起こすと、両腕を斜め上に突き出し、喉を鳴らしながら伸びをした。左手が、やわらかいものにあたる。
目を開けると、入り口から江原さんが顔をのぞかせていた。
「すいませ――え゛っ!?」
「あ……おはよ」
僕はクッションをつかみながら、挨拶を返した。彼女が言葉にならない声を発しながら、ドアを閉める。そして気づいた。ここは、自分の部屋じゃない。
じゃあ誰の?
左側を見上げると、胸をがっちりホールドされたまま、有谷さんがきょとんとした顔で立っていた。
「うわぁお!」今度は僕が声を上げる番だった。「すいません!」
「何がですか?」
「いえその……何でもないです」
こ、ここ、このリアクションだったらおっぱい触り放題なんじゃないのかイヤイヤそれが人として真っ先に考えることなのかやわらかかったなふわふわしてふわふわじゃなくておっぱい違うそうじゃないぞ正気になるんだぱいそうだ邪念を払え違うことを考えるんだナンマンダブナンマンダブってなに揉みしだき続けてるんだ何でもないなら早く手を離せおいィィィ!
理性を総動員させて、どうにか手を引き剥がす。
「それより江原さん、いっぱい――じゃなくて行っちゃいましたね」
「あら。そうですねぇ。少々お待ちください。何のご用だったのかお伺いしてまいります」
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