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9話

 やっぱり、と言う思いと、どうして、という悔しさがない交ぜになって、俺の胸を圧迫した。

 なぜ今まで気がつかなかったのか。自分のうかつさに舌打ちしたくなる。


 彼女が三山由利だったんだ。


 彼女は自分の未来を信じたかった。信じられない未来に怯えるくらいなら、命をかけてでも、あんな噂話を信じてでも、とにかく生きるために未来に来ようとしてたんだ。


 屋上での彼女を思い出す。

 知るのが怖いとためらっていた彼女を思い出す。

 大胆なくせに、いざと言う時には怖がる彼女の気持ちが、今ならわかる。

 俺は自分の足を見つめた。

 走るのをやめようと思っていた。自分のこれまでが全否定されて、もうどうでもいいやって思っていた。でも、結局、俺も走るのをきっとやめられない。やめられないから、走るのが怖いんだ。


 ぎゅっと手を握り締める。

 手帳の文字が憎らしいほどにハッキリと現実を伝えている。

 皮肉にも、こんな時に思い出すのは彼女の横顔だ。

 はじめに言ってた。生きるためには希望が必要だって。

 彼女は、彼女は、未来を知りたかったんじゃない。希望が欲しかったんだ。

 なのに……。


「どうしてだよ……」


 俺はなんだか悔しくて、手帳を投げ捨てた。

 それは路地の奥の方へ転がっていき、不恰好か回転を何回かしたあとにパタンと倒れた。

 友達もない。思い出もない。だったらせめて未来くらいあってもいいじゃないか。

 目を瞑る。

 自分がどうしてここまで動揺しているのかも良くわからなかった。

 さっきあったばかりの女の子。不治の病の人なんて、きっと世の中たくさんいる。別に親しいわけじゃない。どっちかというとトラブルに巻き込まれて迷惑しているくらいなんだ。

 でも、でも、でも……。

 そっと路地から顔を出した。

 彼女がぼんやりと空を眺めている後ろ姿が見えた。頭上に広がる空には囲いなどなく、時計も存在していない。彼女は、今の彼女は自由なんだ。だけど……。


「ごめん」


 俺は彼女の元に歩きながら声をかけた。

 彼女はますます青白くなった顔で振り返る。表情は変わらない。さっきと変わらず小生意気に眉を寄せている。


「遅い! あれ? 手帳は?」


 彼女は、由利はすぐに俺の手に手帳がないのに気がついて首を傾げた。俺はなんとも言えないやりきれなさに口を噤む。

 言える分けない。

 三山由利はもうこの時代にはいないって書いてあった。君はあと数年後には死ぬ運命なんだ。だから捨てたなんて……。


「なくした」


 俺はなんとかそういうと、彼女を抱え上げた。


「は? なに?」


 彼女が焦る。

 俺は無視して、公園の入り口に向かって走った。

 もう足なんかどうでもいいと思った。


 自分でもわからない。さっきであったばかりのこの子の運命にどうしてここまで自分が嫌な思いをしているのか全然わからない。

 でも、でも、わかっているのに何にもできないのなんか嫌だった。


 そうだ走れるのに走らないのと一緒だ。

 大会に出られなかったから。それだけで俺は俺の走りを否定した。

 じゃ、この子の未来を知ったからって、この子を俺は否定するのか? 生きたいから希望が欲しいと命をかけたこの子の気持ちを、否定できるのか?


 ゲートが近付く。

 俺は緊張する。

 由利が怒りながら暴れるのを半ば無理してセンサーの位置を探る。

 知られるもんか。

 彼女に知られてなるもんか。

 サワダがいったじゃんか。未来なんか変えられるって。そんなもののために、彼女の希望をなくしてたまるもんか!

 ゲートのランプが点灯した。

 俺のIDが読み取られる。

 大丈夫か。こんなこどもだましで通用するのか?

 俺は彼女がセンサーにかからないようにじっと抱えてゲートが開くのを待つ。

 開け。

 開けよ。

 人を信用しない未来なんてくそくらえだ。

 俺は信じる。彼女の希望も俺の可能性も。

 俺達は俺達の世界に帰るんだ。

 電子音がした。

 赤いランプが、青に変わった。

 ゲートが開く。

 俺達は公園の中へ入った。

 由利が不満げに「なんのつもり?」と口を尖らせる。俺は笑って答えた


「知る必要なんかないよ」


「え?」


「未来なんて、知る必要なかったんだよ」


 と。

 そして、俺達は過去へ戻っていった。

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