5話
サワダは想像以上にでかかった。
身長が、と言うわけではない。いや、むしろよくよく見るとその足や腕の太さも胸の厚さも、俺の知る短距離走者に比べ極端に発達してはいなかった。ランニングウェアではないからそう見えるのかもしれないが、それらを差し引いても、カジュアルなジャケットを羽織り下はGパンといういでたちは一見、どこにでもいそうな青年に見える。
なのに、俺は彼を「でかい」と感じた。
うまくは自分の中で整理がつかないが、俗っぽく言うとオーラっていう奴なのだろう。ただ、そこに立っているだけで巨木を前にするような威圧感と不思議な安心感が一塊になって押し付けられて来るような、そんな空気を感じるのだ。
「こんにちは。おまわりさん」
サワダは人の良い笑みを浮かべると、ぬっと鴨居をくぐって中へ入ってきた。その口調の端に感じる茶目っ気に、俺は思わず口元を緩める。
「あ、あぁ。あの。サワダ選手ですよね! よく存じております」
さっきまで不遜な態度で俺達に接していた警察官の緊張のにじんだ声が後ろでした。見ると、彼女は苦笑して口元を抑えている。
「そりゃ、光栄です。ありがとうございます」
サワダは丁寧にそう返すと軽く会釈をして、俺と彼女の間に割り込む形で警官の前に出た。
机をはさんでサワダを見上げる警察官は、見ているこちらが恥ずかしくなるくらい、憧れの人物をみあげる少年さながらの純粋そうな瞳を輝かせていた。
「あ、あの。本日はどういったご用件でしょうか?」
「あ、いや。道をききたかったんだけど。地図を見せてもらえませんかね?」
「はいはい。喜んで!」
それじゃ、居酒屋の店員だろうが。俺は呆れて地図をとりに奥へ引っ込んだ警察官を見送った。
「君達が先のようだったのに、割り込んで悪いね」
サワダが振り返り、俺達に声をかける。
深い、落ち着きのある声だ。髭を生やしているせいか、強面に見えていたが、よく見ると穏やかな顔だった。
「いえ。タイミングよかったです」
彼女がペロッと舌を出して肩をすくめた。
「あぁ、そうだ」
その時、置くから警察官の声がした。
手には大きな地図と思しき本を抱えている。
「その子達、サワダ選手を探してたみたいですよ。お前達、ラッキーだったな」
まるで自分のおかげだぞと言わんばかりの顔で地図を机の上に置く。俺は「そうですね。おかげでサインがもらえます」と適当にあわせた。言ってから、本当にほしいな、と思う。さっきの走りを思い出す。胸の奥深くに刻まれたあの走り……鼓動がまた高鳴り始め、サワダの背中を見る。
なんだか皮膚の内側がむずがゆく、一時もじっとしていられないような落ち着きのなさに、戸惑った。
そうだ。彼は金メダリストなんだ。世界最速の男なんだ。もしかしたら、この時点で歴史上の最速なのかもしれない。だったら、元の時代に戻ってずっと持っていても価値があるんじゃないだろうか。まぁ、戻れるとしての話だけど。
サワダと警察官が地図を囲んで何かを探している。
俺達は少し手持ち無沙汰になって、入り口のあたりまで戻った。
外を見る。昼下がりの日差しが柔らかく気持ちいい。
世界が変わっても、太陽は変わらないんだな、って思うとちょっとホッとした。
「ねぇ、これからどうしよう」
彼女の声がすぐ傍でした。見ると俺の隣で肩まで伸びた髪に指を絡めながら、それを解いたり巻き取ったりしている。
「交番に行けば簡単に教えてくれると思ったのになぁ」
「それで、ここに?」
「うん。まぁ、念のため、君を始めに探そうと思ったんだけど」
「どうして?」
そんなことしないで、さっさとその三山って子を探せばいいじゃないか。別に俺は俺の未来なんて知りたいとも思ってないし……。
「だって……」
彼女は口を尖らせると俯いた。
本当に、計画性があるのかないのかわからない。そういえば、この子の名前も、どうして病院にいるのかも俺は聞かされていない。
「なぁ。お前さ……」
「怖いじゃない」
「へ?」
俺の言葉にかぶせられた彼女の言葉に、俺は思わず目を丸めた。
彼女は泣き出しそうな顔をしかめ面に変えて続ける。
「だって、怖いじゃない。もし、もし、調べて、し……死んでたら」
「そりゃ」
俺は何かを言いかけてその先に言うべき言葉を見失い、口を噤んだ。確かに、わからないでもない。その三山と言うこの十年後の生死を確認しに来たくらいだから、その子が死んでる可能性だってある。でも、目的は目的だ。避けたって……。
「ありがとうございました」
交番の置くの影が動いた。
みると、サワダが爽やかな笑みで警察官に軽く頭を下げていた。警察官の方はそれ以上の笑顔を浮かべ「こちらこそ! いつでもいらしてください!」なんて声を裏返し敬礼している。よく見ると、ちゃっかりサインをメモにしてもらっていた。
「ね、君達」
俺達の傍まで来たサワダが声をかけてきた。あ、サイン? なら俺も……となにかサインできるものを探そうとしてみる。その俺をサワダ自身が止めた。
「時間ある? ちょっと付き合わないか?」
右腕を俺の肩に、左を彼女に回したサワダはそういって、交番を出て、直角に曲がる。
そして、悪戯っぽく微笑むと彼女から手を離して何かを自分のジャケットのポケットから取り出した。
「「あ」」
俺と彼女は声を思わず合わせて目を丸める。
サワダが取り出したのは、なんとあの警察官が持っていた電子手帳だった。




