3話:測られる虚像
大講堂に新入生たちが集められ、そこは重たい空気に満ちていた。窓から差し込む光は床に幾何学的な影を落とし、壇上を照らし出していた。
白髪の老人が杖を床に突き、声を張り上げる。
「諸君、ようこそ王立魔術学院へ。私は学院長、セラフィオン・アルヴェリウスだ」
その声は魔術で増幅されているのだろう、壁を伝って明瞭に届いた。
アルヴェリウス――三大魔術家門の一つ。学院を、いや王国そのものを水面下で支配する一族だ。
レンは目を細め、壇上の老人を観察した。白い髭が胸まで垂れ、深い皺が刻まれた顔には威厳が宿っている。その瞳は鋭く、新入生たちを一人一人見定めるように見渡していた。
「諸君らはこの学院で六年間を過ごす。魔術の技術を学び、理論を理解し、魔術師としての誇りを育む」
学院長の言葉は形式的で、新入生たちの緊張した表情を撫でるように流れていく。レンは周囲を見回した。貴族の子弟が多く、豪華な制服を着た者もいれば、質素な服の平民もいる。皆、期待と不安に満ちた顔をしていた。
「だが、技術だけでは足りない。魔術師には心が必要だ――慈愛、献身、そして信仰」
その言葉の後、講堂の扉が静かに開いた。重厚な木の扉が軋む音を立て、ざわめきが波のように広がり、一人の少女が入ってきた。
白い衣装が光を纏い、白銀の髪が揺れ、青い瞳が新入生たちを優しく見渡す。清楚で美しく、まるで絵画から抜け出してきたかのような少女だった。
周囲の空気が、彼女の登場で空気が一変した。周囲の新入生たちの息が止まり、誰もが彼女に目を奪われていた。
「聖女候補……」
「エリシア・ルミナス様だ」
抑えきれない囁きが、あちこちから聞こえてくる。
レンもまた、その流れに抗わず、自然と引き寄せられるように、意識が一点へと収束していく。
ルミナス家。信仰と祝福を司る一族であり、三大魔術家門の一角を担う存在。その名は知識としてだけでなく、この場にいる誰もが共有する「前提」として、重く根付いていた。
エリシアは壇上へと歩いた。その足取りは優雅で完璧だった。白いドレスの裾が床を擦り、足音さえも消えていた。壇上に立つと、彼女は新入生たちを見渡し、柔らかく微笑んだ。
「新入生の皆様、ようこそ王立魔術学院へ。私はエリシア・ルミナスと申します。聖教会より、皆様に祝福をお届けに参りました」
その声は歌うように響き、新入生たちは息を呑んで耳を傾けた。
まるで鐘の音のように澄んでいて、心地よく耳に届く。
「この学院で皆様は多くを学ばれるでしょう。魔術の奥深さを、知識の喜びを、そして仲間との絆を」
彼女の言葉は美しかった。理想的で、完璧で、誰もが望むような温かさに満ちていた。
新入生たちの表情が和らぎ、安堵と希望が広がっていく。
「どうか心を清く保ってください。魔術は力です。でも力だけでは人は幸せになれません。慈愛を持ち、他者を思いやり、正しい心で魔術を使ってください」
周囲の新入生たちは、聖女候補である彼女の姿に、言葉を失うように見入っていた。
「すごい……」
「本物の聖女様だ」
「美しい……」
周囲からこぼれ落ちた声は、隠しきれない感嘆を帯びていた。
彼女の姿は、あまりにも完璧すぎる。まるで台本を読んでいるかのような、計算され尽くした言葉と仕草だった。
しかし、自分自身も演じる者として生きてきたレンには、共感と同時に鋭い違和感があった。
エリシアもまた、「聖女」という役割を完璧に演じているのだ。
そして、レンは見逃さなかった。エリシアが新入生たちを見渡した一瞬、完璧な所作の奥にほんの一瞬だけ、照準を合わせるような沈黙があったことを。
レンは、揺らぎかけた思考を切り離すように、視線を元の位置へと据え直した。
「女神の御加護がありますように。皆様の学院生活が、実り多きものでありますように」
エリシアが手を広げると、淡い光が彼女の手から広がった。
治癒魔術の応用だろう、祝福の演出だ。
光が新入生たちを包み込み、温かさが空気を満たす。新入生たちが歓声を上げる中、エリシアは優雅に一礼し、壇上を降りた。
拍手が鳴り響く。レンも形だけ手を叩きながら、エリシアの背中を見つめた。
彼女は扉の向こうへ消え、講堂には余韻だけが残った。やがて学院長が再び壇上に立つ。
「では、これより入学試験を行う」
試験は午後まで続いた。魔力測定では、レンは事前に用意した小瓶から環境マナを放出し、水晶を淡い光で照らした。基礎魔術の実技では、化学反応で炎を起こし、平凡な成績を装った。
目立たず、疑われないよう、ただの「普通の魔術師」として振る舞った。
周囲の新入生たちは様々な反応を見せていたが、レンには関係なかった。ただ無事に、理論魔術学部に配属されることだけを願っていた。
夕刻、大講堂に新入生たちが再び集められた。試験が終わり、これから学部の発表が行われる。
学院長が壇上に立ち、名簿を手にした。新入生たちの緊張が、空気を張り詰めさせている。
「これより学部の発表を行う。名前を呼ばれた者は前へ」
周囲に緊張が走り、レンも息を整えた。
「戦闘魔術学部――」
屈強そうな生徒たちが前に出た。筋肉質な体格の者、鋭い目つきの者、自信に満ちた表情の者、戦いに向いた面々だ。
「理論魔術学部――」
落ち着いた雰囲気の者たちだ。騒がしい戦闘学部の生徒とは対照的に、静かに前へ歩いていく。
「治癒魔術学部――」
優しげな生徒たちが穏やかな表情で、肩を並べている。
「召喚魔術学部――」
特殊な雰囲気を纏う者たち。どこか神秘的で、他の生徒とは一線を画している。
そして――
「レン・アステリア」
名前を呼ばれた瞬間に、緊張と期待が交錯した。
「理論魔術学部」
安堵がレンの胸を満たした。希望通りだ。理論魔術学部は地味で、研究中心で、実技が少ない。目立たずに済む場所だ。レンは前へ歩き、理論魔術学部の生徒たちの中に加わった。
「これで学部の振り分けは終了だ。明日から各学部で授業が始まる。諸君の健闘を祈る」
学院長の言葉で、新入生たちが散っていく。ざわめきが徐々に遠ざかり、講堂が静かになっていく。レンは一人、学院の廊下を歩いた。
窓から夕暮れの光が差し込み、石の床に橙色の光が落ちている。長い影がレンの足元から伸び、壁まで届いていた。
窓の外には王都の街並みが広がり、遠くに城壁が見える。その向こうは外の世界、レンが二度と戻れない場所が広がっていた。
屋敷も、母も、あの冷たい庭も。全てが遠く、もう手の届かない場所にある。
レンは小さく息を吐いた。抱えたままの嘘は形を変えず、内側に静かに居座り続けている。
それでも、そのまま進むしかない。この学院で生き延びるという一点において、選び取れる道はすでに限られていた。
偽りを手放さずに歩くこと。それこそが今の彼に残された、ただ一つの道筋だった。
明日から魔術の実技試験が始まる。
懐へ手を差し入れ、指先で粉末の包みを確かめる。橙色の炎を生じさせるだけなら、硫黄と鉄粉で十分だった。反応は安定し、制御もしやすい。
目立たず、平凡で、余計な注目を引かない。用意するものとしては、それで足りているはずだった。
しかし、指は青緑色の包みの上で止まっていた。




