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4話:青緑の炎

 午後、試験場となった広い中庭に生徒が集められた。


 初春の光が容赦なく降り注ぎ、石畳が熱を帯びて足元から熱気が立ち上ってくる。新入生たちの影が地面に濃く落ち、声が中庭を満たしていた。


 緊張した声、期待に震える声、不安そうな囁き――それらが混じり合い、石壁に反響していた。


 課題は「火を起こせ」というシンプルなものだった。一人ずつ前に呼ばれ、魔術を披露していく。


 レンの前に数人が試験を受けた。貴族の子弟が堂々と手をかざして、詠唱した。


「炎よ、灯れ」


 勢いよくオレンジ色の炎が手のひらから立ち上る。熱気が周囲に広がり、空気が揺らめいている。その様子を見た教授が満足そうに頷いた。


「合格」


 次の生徒は平民の子だった。緊張している様子で手をかざす。顔が強張り、額に汗が浮かび、その手が小刻みに震えていた。


「え、えっと……炎の精霊よ……」


 パチッ。小さな火花が散ったが、炎は出ない。周囲から失笑が漏れ、教授が眉をひそていめる。


「不合格……ではないが、もう一度」


 生徒が再び挑戦する。手が震え、詠唱が途切れそうになった。息を整え、もう一度手をかざした。


 ボフッ。小さな炎がようやく生まれたが、か細くて今にも消えそうなほど頼りないものだった。


「合格……でいいだろう」


 生徒が安堵の息を吐く。肩の力が抜け、足取りも軽く列に戻っていく。周囲からは拍手も起きず、ただ静かな安堵だけが漂った。


 そして――


「レン・アステリア」


 教授の声が響いた瞬間、中庭の声が一瞬止まった。レンの番が来た。レンは前へ歩き出す。足音が石畳に響き、その音が妙に大きく聞こえる。


 周囲の視線が一斉に集まり、肌に突き刺さるような感覚があった。

 教授たちがじっと見ている。学院長も壇上から見ている。その視線が重く、レンの肩に圧力となってのしかかった。


 レンは深呼吸をし、心を落ち着けようとした。そして懐から、小さな紙の包みを取り出す。気付かれないように、指先で隠しながら素早く。


 橙色の炎でよかった。それが正解だったはずだ。


 なのに指が選んだのは、青緑色の包みだった。


 中には燃焼剤の粉末、銅塩を混ぜたものだ。レンは包みをそっと開き、粉末を少量手のひらに乗せた。青緑色の粉が光を受けてかすかに輝く。


 そして、手をかざしながら詠唱を始めた。


「炎の精霊よ、我が呼びかけに応えよ。汝の力を、我が手に宿せ」


 意味のない言葉の羅列だ。それでも、それらしく、荘厳に。声を低く保ち、ゆっくりと、一音一音を丁寧に紡ぐ。そして、袖の奥で指先が小さな符片を折る。カチッという小さな音が響き、火花が散り、粉末に引火すると――


 シュウッ!


 音を立てて炎が立ち上った。青緑色の美しい炎だ。銅イオンの炎色反応――地球では花火にも使われている原理だが、この世界の人間なら誰も知らないだろう。

 炎は静かに、しかし鮮やかに揺らめき、まるで深海の光のように幻想的な色を放っていた。その輝きが周囲を照らし、石畳に青緑色の影をゆらめかせた。


 周囲からどよめきが広がった。


「見たことない色!」

「すごい……」


 生徒たちの声が重なり合い、驚嘆の声が中庭を満たす。教授たちも驚いている。目を見開き、互いに顔を見合わせ、何かを囁き合っている。

 学院長が目を細める。その視線が、レンを値踏みするように見つめ、まるで獲物を見定める鷹のようだった。


 レンの心臓が速く打ち、冷たい汗が背中を伝った。


(……目立ちすぎたか?)


 レンが炎を消し、粉末を払うと青緑色の残滓が風に舞い、地面に落ちていった。


 教授がこちらへ歩み寄ってくる。その足取りは一定で、わずかな乱れもない。


 一歩、また一歩と距離が詰まるたびに、その間隔がレンの内側へと入り込んでくる。やがてそれは、心臓の鼓動と重なり、外側から近づく足音と内側で打つ音が、奇妙な同調を生み出していた。


「……珍しい魔術だな。どうやった?」


 レンは咄嗟に答える。


「わかりません。意識してやったことではないので……」


 淀みなく返されたその言葉は、表面だけをなぞれば自然で、どこにも引っかかりはないが、内側にあるものは、その正反対だった。

 すべては計算の上に成り立った化学反応であり、偶然の余地など最初から存在していない。


 教授の視線は疑念を測るように、鋭さを増していった。


 その瞬間、レンの心臓が強く跳ね、体の内側で不規則な波紋を広げた。それでも表情には出さず、呼吸を静かに整えながら、その視線を受け止めた。


 教授はやがて小さく息をつき、頷いた。


「……まあ、いい。炎は出た。合格だ」


 レンは安堵した。胸の奥で固まっていた何かが、ほどけていく。壇上を降りると、新入生たちの視線がレンに集まる。

 好奇の目、羨望の目、そして嫉妬の目。レンは顔を伏せた。視線を避けるように、列の端へと歩いていく。


 レンは拳を握り締めた。ただでさえアステリア家の子息という肩書きだけで、視線が自然と集まってしまうというのに、本来ならそれを避けるための配慮を重ねるべきだった。


 周囲の新入生たちは、いつの間にかレンを一人の同級生としてではなく、何か別の枠に属する存在として見始めている。その視線には好奇も警戒も入り混じり、均質ではないまま、それでも確かに「特別」という輪郭だけが共有されていた。


 目立たないように、平凡に、それが公爵の命令だったはずなのに。青緑色の炎は、あまりにも美しく、目立ちすぎた。


 遠くから、学院長の視線が突き刺さる。あの瞳に宿る興味と観察の色が、レンを不安にさせた。まるで標本を眺めるような、鋭い視線だ。


 レンは視線を逸らし、列の端へと歩いていった。


 すると木陰から、かすかに声が聞こえた。


「きれい……」


 燃えるような赤髪の少女が、青緑の炎が消えた場所をじっと見ていた。琥珀色の瞳に、残光のような何かが宿っている。


「レン・アステリア」の名前が呼ばれた時、少女の肩がわずかに動いた。それはほんの一瞬のことで、気づいた者は誰もいなかっただろう。


 炎が消えた今も、その視線はレンの背中を追い続けている。まるで、ずっと前からその名を知っていたかのように。


 やがて少女は唇を一度だけ引き結び、ゆっくりと木陰へ消えていった。

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