4話: 夜の地図
その夜、レンは机の前に座っていた。
眠れない、という感覚ではなかった。ただ、眠る前に整理しなければならないことがある、という感覚だった。
研究ノートを開き、ペンを手に取る。だが、すぐには書き始めなかった。
今日一日で、新しい人間が二人、レンの世界に入ってきた。
イザベラ・フォンテーヌ。図書館の司書。
ノエル・ハイデッカー。三年の上級生。
二人の目的は、まったく違う。
イザベラが何を調べているのか、レンにはまだわからない。
「似たようなことを」と言った。似ている、ということは、完全に同じではない。
だが何に似ているのか。どこまでを知っていて、何を求めているのか。
本の組み合わせを読んだだけなのか、それとも——
輪郭が見えない。いや、輪郭があること自体は確かだが、その形がわからない。
ノエルは魔術の謎を解きたいだけだ。星光石の放出パターンに違和感を覚えた。再観測したいと言った。
それだけだ。世界の真実への関心も、レンへの悪意も、おそらくない。
ただ、謎があれば解きたい。それだけの人間だ。
どちらにも悪意がない。
レンはペンを置いた。
悪意のある人間なら、対処できる。動機がわかれば、誘導できる。利害があれば、利害で制御できる。
だが純粋な好奇心と、真実への渇望は——止める方法がない。
刃は見えていれば避けられる。見えない刃は、避けようがない。
机の引き出しを開け、別のノートを取り出した。アルフレッドには見せていない頁だ。
マナの放出速度の制御係数。星光石の配合比率。観測結界への対策。
それらを記したページをめくり、今日の出来事を新しい頁に書き始める。
イザベラが勧めた文献のこと。マナが「与えられるもの」として記述されていたこと。起点の存在を示唆する断片的な記述。
書きながら、思考が動いていく。
マナに起点があるとすれば、その起点はどこにある。なぜ体系化された後の文献から、その記述が消えた。
消えたのか、消されたのか。
問いが増える。答えは出ない。
それでいい。問いが増えることは、地図が広がることだ。
レンはペンを置き、窓の外を見た。
星が瞬き、冷たい光を中庭に落としていた。風が木々を揺らし、色づいた葉が夜の闇に舞い散っている。
アルフレッドがいる。研究の完成を、心から喜んでいた。弟たちへの想いを、笑いながら話していた。
あの顔を見ていると、胸の奥に温かいものが灯る。同時に、冷たいものも沈む。
俺が持っている情報を、すべて話したら——アルフレッドはどうするだろう。
問いは続かなかった。続けてはいけないと、どこかで判断していた。
胸元の布袋に手を当てる。星光石が微かに温かい。今夜も変わらず、マナを吸収し、放出し続けている。
この学院に来てから一年が経つ。隠すべきことは増え続けている。減ったことは、一度もない。
それでも。
レンはノートを閉じた。
問いを持ち続けること。地図を広げ続けること。それだけが、今の自分にできることだった。
魔術灯の光が細く揺れ、やがて部屋が静まり返る。
眠れないまま、でも穏やかに、夜が続いた。




