2話: 完成の影
研究室の窓から見える木々が、少しずつ色を変え始めていた。
緑の中に黄が混じり、端から橙へと滲んでいく。
季節の変わり目を、レンは窓越しに眺めながら、アルフレッドの言葉を待っていた。
「……できた」
アルフレッドが、静かに言った。
ペンを置く音が響く。机の上には、これまでの研究成果がまとめられた羊皮紙が広がっている。
数式、術式の図、マナの循環経路を示した模式図——何十枚もの草稿を経て、ようやく一枚に収まった理論の全体像だ。
レンはその羊皮紙を手に取り、隅から隅まで確認した。
欠陥はない。論理の飛躍もない。マナの放出速度を段階的に制御することで、少ない魔力量でも最大限の術効果を引き出す——その仕組みが、完全な形で記述されている。
「ああ、できたな」
レンが言うと、アルフレッドは深く息を吐いた。緊張が解けた体が、椅子の背もたれに沈んでいく。
疲労と満足が入り混じった顔で、天井を仰いでいた。
「長かったな」
「一年以上だ」
「お前がいなかったら、絶対に無理だった」
「お前の直観がなければ、俺も詰まっていた」
しばらく、二人とも黙っていた。研究室に風が入り、羊皮紙の端がわずかに揺れる。
外では鳥が鳴き、秋の気配を帯びた空気が流れていった。
「これで」
アルフレッドが口を開く。
「魔力が少ない術者も、戦える」
その言葉には、個人的な重さがあった。弟たちのことを思っているのかもしれない。あるいは、自分自身のことを。
魔力量に恵まれなかった者が、それでも魔術師として立てる——その可能性を、この理論は示している。
「そうだな」
レンが頷く。
嘘ではない。この理論は、魔力が少ない術者の役に立つ。アルフレッドの目的は、正しい。
だが。
レンは羊皮紙を机に戻した。指先が、数式の一部に触れて止まる。
放出速度の制御係数。この数値を、アルフレッドはまだ一方向にしか見ていない。
「レン」
アルフレッドの声で、視線が引き戻される。
「どうした? 難しい顔してるぞ」
「……いや、何でもない」
「本当か?」
アルフレッドが身を乗り出す。その目には、純粋な心配があった。研究の完成を喜ぶ顔とは別の、友人としての顔だ。
「完成したのに、浮かない顔してる」
「疲れているだけだ」
「そうか……」
アルフレッドは少し間を置いてから、また天井を仰いだ。
「なあ、レン。この研究、誰かに見せるべきか?」
「……どういう意味だ」
「学院に提出するとか、発表するとか。せっかく完成したんだから、役立てた方がいいんじゃないかと思って」
レンは答えなかった。すぐには。
窓の外では、色づいた葉が一枚、風に運ばれて落ちていった。それを目で追いながら、言葉を選ぶ。
「もう少し、検証してからでいい」
「そうか。まあ、確かにまだ実証はしてないしな」
アルフレッドが頷く。それ以上は追及しなかった。
「じゃあ、今日はここまでにしよう。飯、食いに行くか」
「ああ」
二人は研究室を出た。廊下を並んで歩きながら、アルフレッドが弟たちの話をしている。
レンは相槌を打ちながら、その声を半分だけ聞いていた。
研究室に残してきた羊皮紙のことを、頭の片隅で考えながら。
誰かに渡すには、早すぎる。渡す相手を、まだ選べていない。
それだけが、今夜の結論だった。




