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2話:それぞれの距離

それから、レンとミラベルは週に数回、図書館で会うようになった。


初夏の熱が日ごとに増す頃、二人はいつもの席で向かい合っていた。机の上には、ミラベルのノートと魔術理論書が広げられている。


「昨日、試してみたんです」


ミラベルがノートを開き、レンに見せる。丁寧な字で、魔術の実践記録が書かれていた。


「火炎弾を十回連続で放ってみました。毎回どのくらい疲れるか、記録して」


レンはノートを覗き込む。数字が並び、グラフも描かれていた。


「十回目でも、疲労はほとんど変わらなかったと?」


「はい。五回目以降は、ほとんど同じでした」


(セラフィナなら、三回で限界だろうな…)


消費量が極端に少ない。やはり後者だ。


「もう一度、実技を見せてくれないか」


二人は図書館を出て、中庭の木陰へ向かった。石畳が熱を帯び、風がわずかに葉を揺らしている。


「前と同じように」


ミラベルは頷き、手をかざした。


「炎よ、灯れ」


炎が立ち上がり、火炎弾が放たれ、遠くの木に当たって消えた。


マナの流れ、炎の形成、火炎弾の軌道。やはり気づく。加速も減速もない。まるで、水の蛇口を一定に開いているように。


「詠唱の時に、何を意識してる?」


「特に……何も」


「炎の大きさとか、熱とか」


「それは意識してます。でも、それ以外は……ただ、自然に、炎が出る感じです」


自然に。


レンはその言葉を手元のノートに書き付けた。意識せずに、最適化が行われている。身体が、勝手に学習している。


「子供の頃から、よく練習してたか?」


「はい。家が……没落してから、私ができることは魔術だけだったので」


わずかな間があった。


「毎日、練習してました。朝も、夜も」


ペンを置くのを、しばらく忘れていた。


「……お前、すごいな」


レンが呟くと、ミラベルは驚いた顔をした。


「え?」


「お前の身体は、最適な方法を学習してる。意識せずに、効率的な魔術を行使できる。これは、才能だ」


ミラベルの顔が、赤く染まる。


「そんな……才能なんて……」


「いや、才能だ」


レンが断言する。


「普通の術者は、何年練習しても、こうはならない。お前の身体が、特別なんだ」


ミラベルは俯いてしまった。耳まで赤くなっている。レンは自分の言葉に気づいた。少し、言い過ぎたかもしれない。


「……ありがとうございます」


ミラベルが小さく呟く。


「誰も、そんな風に言ってくれたことなかったので……」


その声は震えていた。


レンは何も言えなかった。ただ、彼女の横顔を見つめている。風が吹き、木々が揺れる。葉擦れの音が、静かに響いていた。


やがて、ミラベルが顔を上げた。目が少し潤んでいたが、笑顔を見せる。


「もっと、調べましょう。私の魔術が、なぜこうなるのか」


「ああ」


二人は再び図書館へ戻った。向かい合い、ノートを開く。ページをめくる音、ペンが紙を走る音、それだけが響いている。


ミラベルは、ときおりレンの横顔をそっと見ていた。


彼は書くのをやめず、何かを呟きながら、また書いた。こんなふうに誰かに見てもらったのは、初めてだった。研究対象と言われた。それでも、構わなかった。


レンは、ふと気づく。自分が笑っていることに。口元がわずかに緩み、すぐに引き締めた。


何も言わなくても、不思議と言葉を探さなかった。この静けさが、不快でないことに、レンはまだ慣れていなかった。



翌日の午後、レンは研究棟でアルフレッドと会った。


「ちょうどよかった。今日の研究、時間あるか?」


「ああ、問題ない」


二人は研究室へ向かった。アルフレッドが資料を広げ、魔力増幅の理論図を指差す。線が幾重にも交差し、流れが乱れている。


「ここなんだが、どうしても効率が上がらなくてな」


「待て」


レンが自分のノートを開く。グラフと数値、丁寧な字で書かれた観察結果。


「マナの放出速度を一定に保てば、循環も安定するかもしれない」


「放出速度?」


アルフレッドが身を乗り出し、ノートを覗き込む。


「マナを一気に放出するんじゃなく、少しずつ、一定の速度で」


説明しながら、レンは指でグラフをなぞる。ミラベルの無意識の効率化から引き出した仮説を、理論として整理しながら。


「それ、俺たちの増幅理論に応用できるんじゃないか?」


「できると思う」


アルフレッドの目が輝いた。そういう顔をする時、彼は空気の読み方を忘れる。それが、少し好きだった。


「増幅だけじゃなく、効率化も組み合わせれば、少ない魔力でも強力な術が使える」


「すごいな、レン! お前といると、いつも新しい発見があるよ」


レンはわずかに口元を緩め、ふと頬の動きに気づいてから視線を逸らした。


その瞬間、鼻腔の奥にかすかな試薬の匂いがよみがえる。前世の研究室で、誰かと肩を並べて夜更けまで実験を続けた、あの閉ざされた空間の空気。


並んで何かを生み出す高揚と、言葉にせずとも通じる思考の連なり。その感覚を、自分は確かに知っているのだと理解した途端、胸の奥に冷たいものが落ちる。


同じ道を、また歩こうとしているのではないか。


今度こそ失わずに済むのか――それとも。


二人は夕方まで議論を続けた。新しい循環経路が、紙の上に形を成していく。アルフレッドがペンを走らせ、レンが助言を加える。どちらが先に口を開いたのか、気づかないまま話が進んでいた。

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