2話:芽生えた友情
昼下がりの食堂は、まるで生命そのものが息づく空間だった。
石造りの柱が等間隔に並び、遥か頭上まで伸びる天井が音を複雑に反響させる。笑い声、食器のぶつかり合う音、椅子を引きずる音——それらが混ざり合い、ひとつの騒々しい交響曲のように響き渡っていた。
レンとアルフレッドは、その喧騒の中でテーブルの端に腰を下ろしていた。二人の前には質素だが十分な量の食事が載せられたトレイがあり、パンにスープ、肉料理に野菜と、どれも学院の食堂らしい飾り気のない品々だ。
アルフレッドがスプーンでスープをすくい、口に運ぶと顔がほころんだ。
「うまい。学院の飯、意外といいな」
レンも硬いパンをかじる。噛めば噛むほどに小麦の素朴な味が広がり、思ったよりも悪くないと感じた。前世の記憶にある添加物まみれの柔らかいパンとは違う、自然で力強い味だった。
「そういえば…」
アルフレッドがスープの皿から顔を上げ、レンを見た。
「レンは、なんで理論魔術学部を選んだの? アステリア家は代々、戦闘魔術学部に行くのが普通だろ?」
パンをかじる手が一瞬止まったが、この質問には答えを用意していた。
「俺は魔力が平凡だから。戦闘には向いてない。それより、理論を学びたかった」
嘘ではない。魔術の原理を理解し、前世の化学知識と照らし合わせたい。その思いは、偽りようがなかった。
アルフレッドは何も言わなかった。スプーンをゆっくりと皿に置き、テーブルの木目を見つめている。しばらくそうしてから、ぽつりと口を開いた。
「……俺も、同じだ。魔力量は少ない方だから、理論で補わないと」
そこで一度言葉を切り、続きをのみ込むように間を置いてから、スプーンの柄をゆっくりと指先で撫でた。
「補わないと、俺は何もできないんだ」
レンはその横顔を見ていた。アルフレッドがどれほど時間をかけてこの学院に辿り着いたか、今の一言だけで伝わってくる気がした。
「お前、どこの出身なんだ?」
「エルヴァール男爵家。辺境の小さな領地だ。父は騎士で、魔術師じゃない」
騎士の家系ということは、魔術の素地がほとんどない血筋だ。レンはパンをちぎる手を止め、アルフレッドを見た。
「兄弟は?」
「弟が二人いる」
アルフレッドはそう答えると、わずかに目元を緩めた。その表情は、普段の理知的な顔つきとは違う、年相応の柔らかさを帯びている。
「ユリースとエドガーって言うんだ。まだ幼いけど、ふたりとも元気でさ。俺が学院に入ったこと、すごく喜んでくれた」
そこで、ちぎりかけたパンが皿の上に戻った。アルフレッドの指から力が抜け、ただテーブルの上に置かれる。
「だから……負けられないんだ。弟たちの、期待に」
レンは、その言葉を黙って受け取った。
「レンは? 兄弟、いるのか?」
「……ああ。兄が二人いることはわかっている。でも、仲は良くない」
「そうなのか。どうして?」
アルフレッドが身を乗り出す。
「家の事情だ」
レンが短く返すと、アルフレッドはしばらく間を置いてから
「あ……ごめん。あまり聞かれたくないことだったら」
と、肩をすぼめた。
「いや、気にしなくていい」
レンは首を振る。
沈黙が流れ、二人はしばらく黙々と食事を続けた。食器が触れ合う音と周囲の話し声が、耳に入ってくるだけだった。
「なあ、レン。お前、昨日の炎——もう一回、やってみせてくれないか?」
「……ここでは無理だ。魔術の使用は、許可された場所だけだから」
「じゃあ、今度練習場で見せてくれよ」
「考えとく」
レンは素っ気なく返事をしたが、アルフレッドは引き下がらなかった。テーブルに肘をつき、身を乗り出してくる。
「いや、本当に見たいんだ。あの色、普通じゃないだろ? 何か特別な術式があるはずだ。教えてくれよ」
「……アルフレッド」
「ん?」
「少し、落ち着け」
レンが静かに言うと、アルフレッドははっとして背もたれに身を引いた。
「あ……ごめん。また、やっちゃったな。俺、興味を持つと周りが見えなくなるって、よく言われるんだ」
頭を掻きながら苦笑いをする。その表情には本物の反省があったが、目の奥はまだ炎のことを考えているようだった。
「いや、別に。ただ、今すぐは無理だというだけだ」
「わかった。でも、いつか見せてくれよな」
アルフレッドはそう言いながら、スープの残りを飲み干した。今度こそ引いたようだったが、完全に諦めたわけではなさそうだった。
「それにしても、理論魔術って面白いな。グレイ教授の話、マナの流動の説明がすっと入ってきた。術式の概念とか、もっと突き詰めたいよ」
「ああ、俺も。魔術の原理を、もっと深く理解したい」
「だよな!」
アルフレッドが前のめりになる。
「魔術って、不思議じゃないか。なんで詠唱するとマナが集まるんだろう。なんで術式で、形が決まるんだろう?」
その問いを聞きながら、レンはスープに視線を落としていた。ただ魔術を使いたいのではなく、なぜそうなるのかを知りたいと思っている。そういう人間が、この世界にもいるのだという、ただそれだけのことが、静かに胸に響いた。
「なあ、レン。俺たち、一緒に勉強しないか? 理論魔術を。お互いに教え合ったり、研究したり」
親しくなりすぎるのは危険だ。秘密を守れなくなるかもしれない。だが、顔を上げてアルフレッドの目を見た瞬間、その思考がふっと途切れた。
悪意も打算も感じられない。ただ純粋に、知りたいと思っている人間の目だった。
そんな視線を向けられると、構えている自分の方が場違いに思えてくる。警戒していること自体が、少しばつの悪いものに感じられた。
「……ああ。一緒に、勉強しよう」
「ありがとう! じゃあ放課後、図書館で待ち合わせしよう」
二人は食事を終え、トレイを片付けて食堂を出た。廊下を歩きながら、アルフレッドは話し続ける。魔術のこと、学院のこと、故郷のこと。レンはほとんど聞き役だったが、時々短く答える程度で十分だった。アルフレッドは気にせず、ただ楽しそうに話し続けた。
空気を読み損ねることもあれば、興味が先に立って周囲が見えなくなることもある。劣等感を抱え、家族から向けられる期待と圧力に、静かに押し潰されそうになっている少年、という印象だ。
それでも、その隣にいると、不思議と呼吸が浅くならない。常にどこかで張りつめていた意識の糸が、ほんのわずかだが緩む。
廊下の角を曲がりながら、レンは気づかぬうちに息を吐いていた。安堵と呼ぶにはまだ曖昧な感覚だったが、胸の奥にかかっていた見えない重みが、知らぬ間にわずかに軽くなっていることだけは確かだった。




