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虚数の魔術師 ―魔力ゼロで転生した化学者、魔術を解明する―  作者: kuron
第3章:揺らぎはじめる均衡
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1話:出会いの朝

後に初めての友と呼ぶことになる少年に会ったのは、十三歳の春、学院に来て最初の朝のことだった。


理論魔術学部の大教室は天井が高く、窓から差し込む朝の光が石の床に幾何学的な影を落としていた。レンは後方の窓際の席を選んだ。外が見え、扉にも近い。どこからでも観察できる位置だ。


他の生徒たちが次々と入ってくる中、各々談笑しながら席を探している。レンは一人、窓の外を見つめた。中庭に木が植えられ、葉が風に揺れている。鳥が枝に止まり、さえずりが聞こえてくる。平和な光景。だが、その平和が長く続くとは思えなかった。


「ここの席、空いてる?」


声がした。レンが振り返ると、少年が立っていた。背はレンより少し高く、茶色の髪が朝の光を受けて柔らかく輝いている。緑色の瞳は好奇心に満ち、柔和な顔立ちはどこか人懐っこそうな雰囲気を纏っていた。


「ああ、どうぞ」


レンが答える。少年が隣に座り、手を差し出した。


「俺、アルフレッド・エルヴァール。よろしく」


レンはその手を握った。


「レン・アステリア。よろしく」


アルフレッドが目を輝かせる。


「やっぱり! あの名門魔術家系の…!」


レンは内心で苦笑する。


(やはり、「アステリア」の名前だけで目立ってしまうのか)


「いや、俺は別に…大したことない。使える魔術も平凡だ」


アルフレッドが首を傾げた。


「いや、昨日の実技試験。青緑色の炎、すごかったぞ。あんな色、初めて見た」


レンは慌てる。


(見られていたのか…)


「あ、あれは……たまたまで」


「そうなのか?」


アルフレッドは興味深そうにこちらを見てくる。その視線に悪意はない。純粋な好奇心だけが宿っている。


「でも、面白い現象だよな。なんで色が変わったんだろう」


レンの心臓が跳ねる。この少年、鋭いかもしれない。化学反応に気づかれるかもしれない。


「さあ……わからないな」


曖昧に答え、誤魔化した。


その時、扉が勢いよく開いた。バンッという音が教室に響き、生徒たちの視線が一斉に扉に向く。黒いローブを纏った中年の男性が入ってくる。眼鏡の奥の鋭い目が教室を一瞥し、生徒たちの談笑が一瞬で静まり返った。その存在感は圧倒的で、まるで空気そのものが教授の登場で重くなったかのようだった。


「席に着け」


低い声が響き、生徒たちが慌てて席に座った。靴音、椅子を引く音、鞄を置く音――それらが重なり合い、やがて静寂が訪れる。


「私は、エドウィン・グレイだ。理論魔術学の担当だ」


教授が黒板に文字、記号、図を次々と描いていく。チョークが石板を叩く音が規則正しく響いた。その動きは正確で、無駄がない。


「魔術とは何か。それを、これから学ぶ」


教授の声が教室に響いた。


「魔術は、マナを制御する技術だ。マナは、この世界に遍在するエネルギー。それを詠唱によって集め、意志によって形を与え、術として発動する」


レンはじっと聞いている。マナ……この世界の未知のエネルギー。地球には存在しなかった。それとも、存在したが観測できなかっただけか?


「マナの流動は、術者の意志に依存する。だが――」


教授が黒板を指す。


「意志だけでは不十分だ。マナを制御するには、『術式』が必要だ。術式とは、マナの流れを規定するパターン。それを脳内でイメージし、詠唱によって発動する」


レンの脳裏に疑問が浮かぶ。


(術式……パターン……それは化学式に似ている)

(化学反応も、分子の配置パターンで決まる)

(もしかして、魔術と化学には共通項がある?)


「質問は?」


教室が静まり返る中、アルフレッドだけが手を挙げていた。


「術式は、どうやって作るんですか?」


(アルフレッドは、「魔術の中身」に興味があるのか……)

(なら、俺と「似ている」かもしれないな……)


教授が頷く。


「術式は、既存のものを学ぶ。先人たちが作った術式を記憶する。独自の術式を作るのは極めて困難だ。だが、不可能ではない。優秀な魔術師は、新しい術式を生み出す」


レンはメモを取る。研究ノートに。術式の概念、マナの流動、詠唱の役割――すべてを記録する。化学の知識と照らし合わせるために。ペンが紙を走る音が、規則正しく響いた。


二時間、授業が続いた。教授の説明と生徒たちの質問が交互に繰り返され、レンはすべてを吸収する。この世界の魔術を理解するために。そして、化学でそれを再現するために。やがて鐘が鳴り、授業の終わりを告げた。生徒たちが立ち上がり、レンも席を立った。


アルフレッドが声をかける。


「な、レン。昼飯、一緒にどうだ?」


レンは一瞬躊躇した。友達を作るのは危険かもしれない。秘密を知られるかもしれない。でも――


「……ああ、いいよ」


レンは頷いた。


(完全に孤立するのも目立つ)

(適度に人間関係は持っておくべきだろう…)


幸い、この少年は悪い人間には見えない。純粋で、好奇心旺盛で、悪意がない。そんな印象を受けた。


二人は食堂へと足を向けた。


石造りの廊下に靴音が静かに響く。歩きながら、アルフレッドは途切れることなく魔術の話を続けていた。その声は明るく、疑いを知らない少年のように屈託がない。


高窓から斜めに射し込む光が床を照らし、並んだ二つの影は、長く伸びていった。

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