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【最終章開始!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第2章

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第3話 情報の遮断



 私はティーカップをソーサーに置く際、わざと少しだけ大きな音を立てた。


 カチャリ、と硬質な音がサロンに響く。

 その瞬間、給仕をしていた侍女の肩がビクリと跳ねた。

 彼女は私の視線に気づくと、慌てて目を逸らし、逃げるようにワゴンを整理し始める。


(……やっぱり、おかしい)


 ソフィア王女との遭遇から数日が経っていた。

 あれ以来、離宮の空気が変わった。

 表面上は穏やかで、静かで、平和そのものだ。

 けれど、その静けさは、腫れ物に触るような緊張感を含んでいる。


「マリア、今日の新聞はまだ?」

「も、申し訳ございません。配達が遅れているようでして……」


 侍女長のマリアが、困ったように眉を下げる。

 嘘だ。

 王族の離宮に新聞が届かないなんてあり得ない。

 昨日も、その前も、新聞は「紛失した」か「インクで汚れた」と言い訳されて、私の手元には届かなかった。

 届いたとしても、政治面や社交界のゴシップ欄が綺麗に切り抜かれた、抜け殻のような紙面だけだ。


「そう。……では、実家からの手紙は?」

「あいにく、どなたからも届いておりません」


 これも嘘だ。

 実家の公爵家は取り潰されたが、かつて私が育成し、今は王宮で働いている文官たちとは、定期的に近況報告の手紙をやり取りしていたはずだ。

 彼らが急に筆不精になるはずがない。


 誰かが止めている。

 私の目と耳を塞ごうとしている。

 その命令を下せる人物など、この国に一人しかいない。


「……分かりました。下がっていいわ」


 私が告げると、マリアたちは逃げるように退室していった。

 広いサロンに、私だけが取り残される。


 ソフィア王女は、私に言った。

 『あなたは、彼のために何ができますの?』と。

 あの言葉が、呪いのように耳にこびりついている。


 彼女は今頃、社交界で何をしているのだろう。

 私のことを何と言っているのだろう。

 それを知ることさえ、今の私には許されていない。


 守られている。

 大切にされている。

 頭では分かっているのに、胸の奥で黒い感情が渦を巻く。

 これは「保護」ではない。「隔離」だ。

 私は信頼されていない。

 ただの妊婦として、壊れやすいガラス細工として、棚の奥にしまわれているだけだ。


 ***


 夜、クラウス様が帰宅した。

 私は今日こそ、彼に問い詰めようと決めていた。

 何を隠しているのか。

 外で何が起きているのか。

 私にも聞く権利があるはずだと。


「ただいま、ミズキ。……ああ、君の顔を見ると生き返るよ」


 寝室に入ってきた彼は、私を見るなり安堵の表情を浮かべ、吸い寄せられるように抱きついてきた。

 その体は、以前よりもひと回り小さくなったように感じるほど痩せていた。

 即位式の準備と、ソフィア王女への対応。

 その激務が、彼の精神と肉体を削り取っている。


「おかえりなさいませ、クラウス様。……とてもお疲れのようですね」

「少しな。だが、君とこうしていれば回復する。君は私の特効薬だからな」


 彼は私の首筋に顔を埋め、深呼吸をする。

 その声には、縋るような響きがあった。


「……ねえ、クラウス様。最近、新聞が届かないのですが」

「ん? ああ、配送の手違いだろう。気にしなくていい」

「侍女たちの様子も変です。まるで私に何かを隠しているような」

「気のせいだよ。君が妊娠中で敏感になっているだけだ」


 彼は顔を上げず、さらりと受け流した。

 その口調は優しかったけれど、明確な「拒絶」が含まれていた。

 これ以上踏み込むな。

 知らなくていい。

 君はただ、ここで大人しく寝ていればいい。


 そう言われている気がした。


「でも……」

「ミズキ」


 クラウス様が私の言葉を遮り、強い力で抱きしめた。


「お願いだ。余計なことは考えないでくれ。君とお腹の子が無事でいてくれること。それだけが私の望みなんだ。外の雑音なんて、君の耳に入れる価値もない」


 耳元で囁かれる愛の言葉。

 それは甘い麻薬のようで、同時に冷たい鎖のようでもあった。

 彼の腕の中で、私は口をつぐんだ。


 反論できなかった。

 彼のこの疲労困憊した姿を見て、さらに追い詰めるようなことは言えなかった。

 彼は彼なりに、必死で私を守ろうとしているのだ。

 その善意を否定することは、今の私にはあまりに残酷に思えた。


 やがて、彼の呼吸が規則正しくなり、寝息へと変わった。

 私の「鎮静」の魔力が、彼の不眠を癒やしているのだ。

 私は彼を眠らせることはできる。

 でも、彼の隣で共に戦うことは許されない。


(……このままでは、駄目です)


 私は眠る夫の背中を見つめながら、拳を握りしめた。

 このまま「守られるだけの妻」でいれば、私は一生、鳥籠の中だ。

 ソフィア王女の言う通り、彼の足手まといになり続けるだけだ。


 悔しさが、熱となって体中を駆け巡る。

 私は元社畜だ。

 理不尽な状況には慣れているし、それを打破する方法も知っている。

 正規のルートが塞がれているなら、裏道を使えばいい。


 私はベッドからそっと抜け出し、サイドテーブルの引き出しを開けた。

 そこには、刺繍の練習用という名目で取り寄せた、便箋とペンが入っている。


 宛先は、エルヴィン。

 かつて私が実家の領地経営を裏で回していた時、手足となって動いてくれた優秀な部下だ。

 今は王宮の財務省で働いているはずだ。

 彼なら、今の状況を正確に把握しているだろうし、私の手紙を検閲官の目を盗んで受け取る知恵もあるはずだ。


 ペンを走らせる。

 震える指を叱咤し、簡潔に、しかし切実に要件を記す。

 『現状を教えてほしい。私は何も知らないまま、ここで腐りたくない』と。


 書き終えた手紙を小さく折り畳み、私はそれを翌日の洗濯物のカゴの底、シーツの結び目の中に隠した。

 この離宮の洗濯係には、エルヴィンの親戚がいると以前聞いたことがある。

 薄い可能性だが、賭けるしかない。


 ベッドに戻り、再びクラウス様の隣に横たわる。

 彼の温もりは心地よい。

 けれど今夜は、その温もりに甘えるわけにはいかない気がした。


 私は初めて、夫に隠し事をした。

 その背徳感と、自分の意思で動いたという高揚感が、私の眠気を遠ざけていた。

 

 私はもう、ただの抱き枕ではいられない。


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