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【最終章完結!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第2章

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第1話 過保護と鳥籠



(……ここは刑務所でしょうか。いいえ、愛の巣です)


 私は心の中で自問自答を繰り返し、ふぅ、と重たい溜め息をついた。

 窓の外には、抜けるような青空が広がっている。

 絶好のお散歩日和だ。

 私が丹精込めて育てたハーブ園では、ラベンダーが見頃を迎えているはずだ。


 それなのに。


「ミズキ様、どちらへ?」


 私がバルコニーへ続く窓に手をかけた瞬間、背後から鋭い声が飛んできた。

 振り返ると、侍女長のマリアが立っている。

 その背後には、屈強な近衛騎士が二人、扉を塞ぐように控えていた。


「少し、お庭へ出ようかと。風が気持ちよさそうですし」

「なりませぬ」


 マリアは即答した。

 にっこりと微笑んでいるが、その目は笑っていない。


「本日は北風が吹いております。お腹の赤ちゃんに障ります」

「そよ風程度ですよ?」

「万が一、風邪でも召されたら一大事です。殿下に顔向けできません」

「……では、温室ならどうですか? あそこなら風もありませんし」

「温室への道のりに、三センチほどの段差がございます。転倒の危険があります」


 三センチ。

 私は自分の足元を見た。

 ヒールのない、ふかふかのルームシューズを履いている。

 これで三センチの段差につまずくようなら、私は人間として何かが終わっていると思う。


「マリア、過保護すぎませんか」

「殿下のご命令です。『妃が歩く先にある小石は全て除去しろ。さもなくば貴様らを排除する』と仰せつかっております」


 排除。

 物騒な単語が出た。

 しかも、あの旦那様なら冗談ではなく本気でやりかねないのが恐ろしい。


 妊娠が判明してから一ヶ月。

 私の生活は激変した。


 かつては「放置」と「丸投げ」が基本だった契約結婚。

 好きなだけ寝て、好きな時に起き、気が向けば庭いじりをする。

 そんな最高のスローライフは、あの日を境に消滅した。


 今の私は、最高級の綿に包まれた宝石のように扱われている。

 触れることすら躊躇われ、移動する時は常に誰かの手や輿こしが用意される。

 ありがたいことだ。

 愛されている証拠だ。

 分かっている。


 でも、息が詰まる。


「……分かりました。部屋で本を読みます」


 私は諦めて窓から手を離した。

 マリアたちが安堵の息を漏らすのが聞こえる。

 私はソファーに座り込み、読みかけの本を開いた。

 文字が上滑りして、ちっとも頭に入ってこない。


 私はただ、ハーブの香りを嗅ぎたかっただけなのに。


 ***


 夜になり、クラウス様が公務から戻ってきた。

 即位式を控え、彼の忙しさは殺人的だ。

 それでも、必ず夕食の時間には離宮へ戻ってくる。


「ただいま、ミズキ。……変わりはないか?」


 寝室に入ってきた彼は、開口一番そう言った。

 美しい銀髪は少し乱れ、目の下には薄っすらと隈がある。

 疲れているのだ。

 それなのに、真っ先に私のお腹に視線を向け、無事を確かめるように安堵の息を吐く。


「おかえりなさいませ。ええ、何もありませんよ。部屋から一歩も出ていませんから」


 少しだけ、棘のある言い方をしてしまったかもしれない。

 けれど、クラウス様は気にする様子もなく、私の隣に座り込んで抱きついてきた。


「そうか。いい子だ」


 甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 彼の体温を感じると、苛立ちがしゅわしゅわと溶けていくのを感じる。

 やっぱり、この人のことは好きだ。

 だからこそ、今の状況がもどかしい。


「……クラウス様。少し、相談があるのですが」

「なんだ? 欲しいものでもあるのか? 新しいドレスか? それとも果物か?」


 彼は私の顔を覗き込み、子供をあやすような口調で言う。

 違う。

 私が欲しいのは、物ではない。


「お散歩の許可をいただきたいのです。お医者様も、適度な運動は必要だと仰っていましたし」

「駄目だ」


 即答だった。

 先ほどの甘い雰囲気は消え、その瞳には冷徹な王太子の光が宿っている。


「外は危険だ。何が起きるか分からない」

「ここは離宮ですよ? あなたの結界と、精鋭の騎士たちが守っています。これ以上ないほど安全な場所です」

「それでもだ。もし君がつまずいたら? 蜂に刺されたら? ……もし、私がいない間に君に何かあったら、私は生きていけない」


 クラウス様の手が震えている。

 彼は私のお腹に額を押し当て、祈るように呟いた。


「お願いだ、ミズキ。私の目の届かないところに行かないでくれ。君たちを失う恐怖で、気が狂いそうなんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、私が用意していた反論は喉の奥に引っ込んでしまった。

 彼の過保護は、単なる支配欲ではない。

 深い愛情と、それを失うことへの恐怖から来ている。


 かつて孤独だった彼にとって、私とこの子は、ようやく手に入れた「家族」なのだ。

 それを守ろうと必死になる彼を、どうして責められるだろう。


(……私が我慢すればいいだけです)


 私が大人しくしていれば、彼は安心する。

 彼が安心して眠れるなら、それが一番だ。

 私は「鎮静」の魔力を持つ妻なのだから。


「……分かりました。無理を言ってすみません」


 私は彼の頭を優しく撫でた。

 クラウス様は安心したように目を閉じ、私の掌に頬を擦り寄せる。


「分かってくれて嬉しいよ。君は私の全てだ」


 愛の言葉。

 甘く、重く、絡みつくような響き。

 以前なら、ただ嬉しかったはずのその言葉が、今は少しだけ鎖のように感じられた。


 対等なパートナーになりたいと誓ったはずなのに。

 今の私は、彼にとって「守るべき弱者」でしかない。

 籠の中に閉じ込められ、餌を与えられ、愛でられるだけの鳥。


 それが幸せなことなのかもしれない。

 多くの女性が望む、溺愛の形なのかもしれない。

 でも、私の心の中にある「何か」が、違うと叫んでいる。


 私は元社畜で、悪役令嬢で、自分の足で立って生きてきた女だ。

 ただ守られるだけの存在になることに、本能が警鐘を鳴らしている。


「今日はもう寝よう。君も疲れただろう」


 クラウス様が私を抱き上げ、ベッドへと運ぶ。

 抵抗はしない。

 されるがままに布団に包まれ、彼に抱きしめられる。

 温かい。

 心地よい。

 けれど、心の一部だけが冷たく覚醒していた。


 ***


 翌朝。

 クラウス様が出勤した後、マリアが一通の手紙を盆に乗せて持ってきた。


「ミズキ様、お客様より招待状が届いております」

「招待状?」


 珍しい。

 私の妊娠はまだ公表していないし、そもそも私は社交界から距離を置いている。

 個人的に手紙を送ってくるような友人はいないはずだ。


 私はベッドの上で身を起こし、その封筒を受け取った。

 上質な紙だ。

 封蝋には、雪の結晶を模した紋章が押されている。

 これは、北の隣国――氷雪の国スノーランドの王家の紋章だ。


「差出人は?」

「ソフィア・フォン・スノーランド王女殿下。……先日、外交使節団として来訪された方です」


 ソフィア王女。

 名前だけは聞いたことがある。

 確か、「氷の王女」という異名を持つ、非常に聡明で冷徹な方だと。


 なぜ、そんな他国の王女様が、引きこもりの私に?


 嫌な予感がした。

 平和な鳥籠の中に、冷たい隙間風が吹き込んできたような感覚。

 私はペーパーナイフを手に取り、封を切った。


 その手紙が、私の「守られるだけの生活」を終わらせるきっかけになるとは知らずに。


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