第7話 目覚めはあまり
長い、先が見えないくらいの道にぽつんと一人で立っている夢を見た。
周りに花や木があったかというと朧気で、鮮やかな色がそもそも見られなかったような、そんな場所に。リディアは一人で、肩が凝って身体が拘束されているようなドレスを着て立っている。
たった一人で。
◇
具合が悪くなって倒れたことなんてこれまでになかった。風邪を引くのだって滅多になかったし、熱を出すことなんてずっとなかった。
目を開くと、ここ何年も寝起きしてきたベッドに横になっていた。
「……ミーシュ……」
ちょうど額に触れたひんやりとした布を持っている女性の手を目だけで辿ると、橙色の灯が視界の端から照らした先に侍女長がベッドの側に。
「お目覚めになられましたか」
「私、寝てたの?」
「お倒れになったのです」
倒れた、の意味がとっさに理解できずにリディアは考え込む。
倒れた。ここに自分で来た記憶がないということは、倒れて、運ばれたということ。
「……倒れたの?」
それでも理解できずに、聞き返す。
「疲労がお溜まりになっておられたのだと思います。……気を張りすぎです」
自覚していなくとも疲労は身体に溜まり気がつかない内に身体の方が限界になってしまうこともあるのだと、少し前に言われたようなことを言われる。
どうやらミーシュは悲しそうな顔をしながらも少し怒っているようだ。
リディアは大人しく謝りながらも、頭が軽くなったように感じられていた。ミーシュの言うことを考えると、頭がここのところ重いと思っていたのは気のせいではなかったのか。
「どれくらい寝ていたの?」
「一日です」
「……一日……」
そんなに寝て過ごしていたのか、と一日と実感のないリディアはゆっくりと身を起こしていく。水が絞られ湿った布を額から離すと、わずかに髪が張りついていた。
嫌な夢を見ていた気がする。
「陛下、まだ横になっていてくださいませ」
「ううん、平気」
外は夜のようだ、と窓を確認して大まかな時間帯を把握。どうりで蝋燭に火を灯している。
ベッドの脇の小さな机に置いてある燭台に灯された火は部屋の中を柔らかく照らしており、部屋の中にはリディア以外にはミーシュ一人で、正確な時刻は定かではなくとも彼女が側にいてくれていたことは明白。
「ごめんなさい、ミーシュ」
「お謝りになるのであれば、次からしっかりと息抜きなさってください」
「うん」
手をかけさせてしまったと思いリディアは素直に返事をして、顔にかかった髪をよけた。
一日、という空白。
何から考えればいいのやら、寝起きでぼんやりとする思考にしばし身を委ねるのも有りかもしれない。
「頭がぼんやりしますか?」
「うん、少しだけ。寝すぎたのかも」
「良いことです」
「ね、ミーシュ……」
「はい」
「……私の机の上、大変なことになってない?」
とっさにグレンが帰って来ているかどうか聞こうとして、止めた。
リディアが尋ねると、侍女長は水差しから水を注いだグラスをリディアに差し出したので、リディアは受けとる。水の満ちたそれを持ってはじめて喉が渇いていると自覚。
「お気になさらず、今はとにかく休んでください」
ミーシュは真っ直ぐな答えを返さなかった。
「まずはお身体が一番大事です。今までお倒れにならなかったことが不思議なくらいですよ」
そんな風に、見えていたのか。
ミーシュは水を飲むリディアを見守りながら呟く。
「まったく……皆様何もかもを急きすぎなのです。陛下はもう少し、まだ王位におつきにならなくとも良かったはずなのに……」
ごくん、と喉を最後の水が滑り落ちてグラスの中は空っぽになった。すかさず追加で注いでくれようとするミーシュに十分との意を伝えると、グラスは机の上に置かれる。
「陛下、少しお休みしましょう」
「……うん」
「私は陛下がお目覚めになられたことを知らせてきます」
うん、ともう一度リディアが頷くとミーシュは部屋を後にした。
燭台、持っていかなかったけれど大丈夫だろうかと残った灯りで視界を染められながらも身動きする気が起こらなかった。
倒れるとは、思いもしなかったことでもあるが自分で自分の首を絞めてどうするのだ。倒れて一日を無駄にするよりも少し休むほうが遥かに短い時間で済むことは明らか。問題は自分が疲労で倒れるなんていうことを思わなかったこと。いくら遊んでも動き回って疲れても倒れなかったのとはわけが違うらしい、異なる種類の疲れだったからだろうか。
やってはいけないことだったと出そうになったため息を寸でのところで止めて、膝を抱え込んで小さくなって深呼吸する。
腕で遮られたことで暗くなった視界に、横にならずにいっそ目を閉じようと――思っていたら、動きを止めて衣擦れの音が失せた静寂の中にカチャリ、と微かな音がよく聞こえた。
扉が開いた音、ミーシュが帰ってきたのだろうか。それにしては早いけれど、誰かに言付けて戻ってきたのかなと考えてリディアは閉じかけていた目を開いてのろのろとそちらを見た。
「…………え」
予想に反していたからこそ、ろくに働いていなかった頭の理解が追いつかなかった。
ミーシュよりも背が高く、体格も違う彼が扉を後ろ手に静かに閉めて、唯一あるリディアの近くの灯りの照らす範囲に徐々に照らされていく。
「特別に、入れていただいてしまいました」
本当は駄目なんですけどね、と戻ってきた護衛は人差し指を口の前に静かに、というような仕草をした。
その微笑みが橙色に照らされる。




