第1話:店番
昼下がりの商店には、茶葉を量り売りするための小さな匙が硝子瓶の縁に触れる、乾いた音が響いていた。
窓から差し込む陽光は、通りに面した陳列棚の手前で途切れ、店の奥まで届く頃には、使い込まれた木の床に、薄い明暗を落とすばかりになっている。
外では荷車が石畳を踏む音や、行き交う人々の話し声が絶えず聞こえていた。
開け放した窓から入り込む風は穏やかで、店内には乾燥させた茶葉と香辛料、それから、木箱の匂いが混ざり合っていた。
「こちらでよろしいでしょうか」
低く落ち着いた声に、カウンターの前に立っていた老婦人が満足そうに頷いた。
「ええ、それでお願い。あら、あなた、ずいぶん手際がいいのねえ」
「ありがとうございます。お包みしますので、少々お待ちください」
青年は量り終えた茶葉を紙袋へ移し、口を折り込んで紐を掛けると、結び目を指先で軽く整えてから、カウンターの上へ差し出した。
動作に迷いはなく、紙袋の角も紐の長さも綺麗に揃っている。
柔らかな灰色の髪をした、背の高い青年だった。
髪の間からは、やや濃い灰色をした大きな耳と、短い黒い角が覗いている。
ニホンカモシカの亜人らしい特徴を持つその青年は、黒いゆったりしたシャツに細身のズボンという、飾り気のない格好をしていた。
だが、背筋の伸びた立ち姿や、品物を扱うときの手の運びには、服装とは不釣り合いなほど洗練されたものがあった。
明るい萌木色の瞳は、どこか眠たげに見える。なのに、客を前にしている今はきちんと相手へ向けられ、表情も穏やかに整えられている。
「まあ、綺麗に包んでくれること。ミエルちゃん、いつの間にこんな立派な店員さんを雇ったの?」
青年は釣り銭を数えながら、ほんの少し視線を上げた。
「店主の知り合いです。今日は少しだけ、お手伝いを」
「あら、そうなの。ミエルちゃんは?」
「二階で休んでいます」
「まあ、珍しい。あの子、ちゃんと休むこともあるのねえ」
老婦人はおかしそうに笑い、受け取った包みを籠へしまった。
「じゃあ、起こさないでおいてあげてね。あの子、昔から働きすぎるところがあるから」
「はい。そうします」
青年が静かに頭を下げると、老婦人はもう一度感心したように彼を眺め、買い物籠を腕に掛け直して、店を出ていった。
入口の鈴が軽く鳴り、扉が閉まる。
青年は客の姿が通りの向こうへ消えたのを確かめてから、カウンターの上に残っていた紙片をまとめ、売上帳へ数字を書き込んだ。
そして最後の一行を記入し終えると、先ほどまでの柔らかな接客用の表情をあっさり消し、椅子の背へ身体を預けた。
「……疲れた」
誰に聞かせるでもなく呟き、片手で首の後ろを軽く押さえる。
接客が苦手なわけではない。むしろ、慣れている。
客の求める品を見極め、必要な説明を加え、相手が気持ちよく買い物を終えられるように振る舞うことなど、幼い頃から繰り返し教え込まれてきた。
だから、やろうと思えばいくらでもできる。
ただし、できることと、進んでやりたいかどうかは別だった。
青年――スオウは、カウンターの奥に置かれた時計へ目を向けた。
ミエルが二階へ上がってから、そろそろ二時間になる。
◆
「スオウくん。悪いんだけどさ、ちょっとだけ店、見ててもらっていい?」
そう声をかけられたとき、スオウはカウンターの横に置かれた椅子で、買ったばかりの茶を飲んでいたところだった。
声のしたほうへ顔を向けると、店主のミエルが、奥の作業台に片手をついて立っていた。
蜂蜜色の短い髪は、いつものようにあちこちへ跳ねている。焦げ茶と黒の混じった毛先が大きな丸い耳の根元で不揃いに重なり、その下には、よく笑う柔らかな目元と、少し大きめの口がある。
リカオンの亜人であるミエルは、スオウより十センチほど背が低い。店内を歩き回る足取りには、普段なら軽快さがあったが、今日は少し様子が違う。
いつもなら客の相手をしながらでも器用に手を動かしている男が、先ほどから何度も同じ棚を確かめているし、何より、話しかけられるまでスオウが気づかなかったほど、その声には張りがなかった。
「店番?」
「うん。……なんか今日、ちょっと眠くてさ。上で少し横になりたいんだよね」
「寝ればいいじゃん」
「いや、そうなんだけど。店開けたまま寝るわけにもいかないだろ」
ミエルは苦笑しながら、作業台の上に置いていた布巾を畳んだ。
その動作を眺めていたスオウは、手元のカップを一度傾け、残っていた茶を飲み干してから、空になった器を戻した。
「いいよ。何時まで?」
「え、本当に?」
「頼んだの、あんただろ」
「いや、そうだけどさ。無理なら断ってくれていいんだよ」
「別に無理じゃないし」
スオウは椅子から立ち上がり、カウンターのほうへ向かった。
商品棚の配置も、値札の付け方も、ここへ通ううちにだいたい覚えている。扱っている品物も、茶葉や煙草、保存の利く食料品が中心だから、複雑な説明が必要なものは少ない。
何より、この店の帳簿は以前から少し気になっていた。別に、わざわざ口を出すつもりはなかったが。
「売上帳、どこ?」
「え?」
「帳簿。客が来たら記録するんでしょ」
「ああ、そこの引き出し。……って、スオウくん、帳簿もつけられるの?」
「数字を書くだけなら」
それだけ答えて引き出しを開けると、ミエルが妙に感心した顔でこちらを見ていた。
「へえ。頼もしいなあ」
「大げさ」
「いや、助かるよ。ほんとに」
ミエルが笑う。いつもの、目尻がくしゃっと下がる笑い方だった。
けれど、その表情が消えたあとも、目の下には薄い疲れが残っている。
スオウは開いた帳簿へ視線を落とし、記入の形式をひととおり確かめてから、ミエルへ顔を向けた。
「一時間くらい?」
「そのつもり。長くても二時間かな」
「わかった」
「じゃあ、悪いけどお願いね」
そう言って階段へ向かいかけたミエルは、途中で何かを思い出したように足を止めた。
「あ、そうだ。もしわからないことがあったら――」
「起こしに行く」
「うん。遠慮なくそうして」
ミエルは軽く手を上げ、今度こそ階段を上っていった。
スオウはその背中を見送り、足音が二階へ消えたところで、カウンターの椅子を引いた。




