吸血鬼と故郷の味
「ゲロまず! 何てしょっぱい血なの? アンタ、本当に元人間?」
銀髪の少女は頬を紅潮させて、私を睨みつけた。瓶に汲んであった水で何度も口をすすぎながら、肩を震わせている。
「な! 首に牙を立てて言うことがそれか!」
喉元から垂れる血を、霞色の手巾で拭き取りながら、ここ一か月ほどの生活を振り返った。
とにかく故郷の味が恋しかった。お抱え料理人に命じて、脂っこいスープに茹でた麺を入れさせた。豚肉や各種香草を盛り付け、朝昼晩の三食を賄わせた。
幸いなことにこの世界では、パスタに似た食事が上流社会で振る舞われていた。既に箸のような食器は広く流通しており、私は黄玉をあしらった銀細工のそれで財を成したのだった。
年季の入った黒檀の机の上に、件の料理が鎮座している。
白い湯気が立ち昇り、煮詰めた出汁の香りが鼻腔を擽る。肉と野菜の群れが何層にも積み重ねられ、小さな円錐を形成している。具材たちは今にも溢れんばかりだ。
だが――
「駄目だ! もっと安普請でないと!」
魔導で時間の流れを圧縮した。牛脂を載せ、塩胡椒を振りかけると、目にも留まらぬ早業で眼前の食事を喉の奥へと流し込んだ。
「もう! ホントに死ぬ気なの?」
背中に華奢な温もりを感じた。添えられた手はこわばっていた。
「納得の行く飯を喰うまでは死なん!」
幼い吸血鬼は、私から身を離すと調理場の中を走り回った。
銀色の髪が窓から覗く星の光に淡く輝いている。
「だったら、健康的な食事を摂って、最高の血を飲ませなさい!」
私の顔を覗き込み、目を輝かせている。その双眸に及ぶ宝石などあるのだろうか。
けれども――
「……恐らく、私の望む麺はさらに巨大な混沌を、我が生命の奔流に及ぼすであろう」
蹴られた。頭の中を流星群が駆け巡ったのが分かる。
少女よ、断じてそこは蹴ってはならぬ。
「ゲテモノ好きじゃないんだから、私は!」
「他に血をくれる奴はいるじゃないか」
「それは……その……」
彼女が顔を背けて指先をもじもじさせていた。意地の悪いことを言ってしまったと反省する。
「契約だもんな、リゼル?」
「そう、そうよ!」
彼女の血を受け、私は命を繋いでいる。対価として己の血を差し出すことが条件だった。
「さて、どうしたもんかな」
腰を下ろし、樫の木の椅子にもたれ掛かった。格子窓から夜空を見上げた。
我が主上を飼いならしながら即席麺の再現を目指そうと考えているのだが、妙案が浮かばない。
今の世界の文明を進化させるとかありえないが、リゼルの顔を見ていると案外この娘を連れて元の世界に戻るのもやぶさかでないなと思った。
そんな風に感慨に浸っていた時のことだった。
ガサガサと黒い戸棚の上から、彼女が薔薇模様の紙袋を取り出すと、中から実に甘い匂いがした。
「お菓子好きなんだよな。吸血鬼のクセに」
傍らのリゼルはむしゃむしゃとクッキーを頬張っている。実に芳醇な香りの苺ソースを絡めては、次々と口へ運んでいた。そうしてあっという間に平らげてしまうと、私を指さして彼女は叱責したのだ。
「ボーア! 早急に血を清めなさい。脂のとろ味も強すぎるのよ!」
肩をすくめる。主従共に食には煩いのだろう。あのソースは私の血がふんだんに使われている。血と苺の割合は、企業秘密らしく決してレシピを明かしてくれないのだが。
「リゼル、男にはね。駄目だと思っても突き進むべき時があるのだよ?」
何だろう。彼女が虚ろな眼差しをしている。目の焦点が合っていない。
心配になって手をかざしてみたが、全く反応がなかった。
「……へぇ? アレを超える酸の海をこの世界に召喚するの?」
静かな怒りとともに銀白のマナが、この部屋の空気を震わせていた。まずい――
「食さない! 約束する! 血の浄化に努めよう」
命有っての物種である。何よりこの娘を悲しませたくはなかった。
「……本当!? 絶対だよ?」
私を見上げる神秘の瞳は、微かに光るものを湛えていた。腰を曲げて、彼女と指切りをする。
初めてリゼルに恭順の意を示した折、異世界人であることを明かした仕草だった。
「この誓いは絶対だ」
「そうだねぇ~。えへへ」
だが、私は地面のタイルに額を擦り付けて、主君に奏上申し上げた。
「絶対に試食しませんから、調理はさせてください!」
「……馬鹿なの?」
だって思いついてしまったから。試さずにはいられない。
意を決し恐る恐る見上げると、リゼルの視線は泳いでいた。
ふと目が合った瞬間、彼女は口をもごもごさせながら曖昧な笑みを浮かべた。
後退りするリゼルの手を優しく握って言った。
「鶏ガラで取った出汁を粉末にする。麺は油で揚げてしまえばいい」
我が主君は目を丸くして口を開く。
「それが貴方の故郷の料理?」
「いかにも。問題は器なんだ」
魔導でマナを形ある物にするのは非常に難しい。異世界の物を召喚するのは更に困難だ。
コルクやひょうたんならあるいは代用が可能なのかもしれないが。
「ふーん? 貴方、また一儲けするつもりでしょ?」
勘の鋭い美少女は大好きである。実に話が早くて頼りになるだろう。
「そうだ、リゼル。食品をお湯で戻せば、取り敢えず腹はふくれるんだ」
「……そう。だったら、大根をかじりながら、研究に勤しむことね」
その苦みが触媒となり脂ぎった血をマナで正常にして行くのである。
リゼルが目を閉じて指を鳴らすと、厨房に大根がなだれ込んでくるではないか。
「……まさか。これを全部か?」
「ノルマは一日五本よ、ボーア。分かってる? 残したら……」
「「モッタイナイ!!」」
それは、私たちの仲直りの約束組手だった。
リゼルがくるりと背を向けると、大海が割れていくように大根たちが道を開けていく。
手を振る彼女は上機嫌そのものだった。




