38話「決着……?」
真っ赤な飴玉の如き単眼が無数に並んでいる。
蠢き這い寄る子蜘蛛の群れは、ヴィーレとカズヤの姿を舐め回すように眺めていた。
勇者達に残された猶予は残り二十メートル足らず。その先は断崖絶壁で、さらに向こう側は大海が果てしなく広がっている。
だがしかし、ヴィーレはこの絶望的な状況を望んでいたと言う。
それはまるで、間一髪で突破口を探り当てたというより、最初から相手を誘導していたという風な口振りだった。
「カズヤ、お前の仕事は変わらない。全魔力を込めて、奴らの群れの中心に、爆発の呪文をぶちかますだけだ」
改めて先の指示と同一の台詞を飛ばすヴィーレ。
彼は魔物から目を離さない。相手の動向を見逃さないように、飛びかかってこられても即座に対応できるように、緊張の糸を切らさずにいた。
ヴィーレはそのままカズヤと共に、崖っぷちへと後退していく。
「おいおい、ヴィーレ。何度も同じ説明をさせないでくれ! 近距離で爆発は起こせない!」
そんなリーダーに、カズヤもまた変わらぬ意見を述べた。
彼らと魔物の間合いにはゆとりがない。背後に残された猶予も今や残り十メートルだ。
子蜘蛛を殲滅するならば、小さく見積もっても半径三十メートル程度の爆発を起こさなければならない。
それも『群れの中心点』という理想的な位置に呪文を発生させられた場合の話である。
カズヤはこの条件をクリアすることが不可能と判断したからこそ、己の命を懸けた自爆作戦を決行しようとしていたのだ。
反対したくなるのも無理はなかった。
「ここまで追い込まれた状況じゃあ、僕は使えないお荷物だ! さっさと僕を捨て置いて、君は海へと飛び込んでくれ!」
再び相手の説得に移ろうとするカズヤ。
だけれども、それは即座に止められた。他でもない。ヴィーレ・キャンベルの手によって。
勇者は退き続けていた足を止め、カズヤの方へ向き直ると、揺るがぬ信念を込めて応えてみせる。
「お前が自分のことを本当に『使えないお荷物』だと思い込んでいるのなら、俺が使いこなしてやる。お前は黙って人事を尽くせ」
ヴィーレはその後、カズヤの胸ぐらを片手で掴み、体をぐいと引き寄せた。
「まずは息を止めて、耳を澄ましているんだ。いいな」
有無を言わさぬ剣幕に圧され、カズヤはただただ頷いた。
半ば無理やり賛同を得た形となったが、ヴィーレは事の詳細まで気にしない。元より決まっていた計画だ。
実行しなければ、死あるのみ。
「よし。それじゃあ蹴散らすぞ」
端的に、まるで当たり前のことを告げるようにそう言うと、ヴィーレはカズヤが着ている服の襟とズボンのベルトを両方掴んだ。
それからカズヤの足を、自らの足で掬い上げるようにして払う。
必然的に少年の体は倒れそうになるが、彼を掴むヴィーレがそれを許さなかった。
カズヤの手足が完全に空に浮いたのを見計らって、勇者は子どもを振り回すように、自身の体を回転させ始める。
砲丸投げの回転投法に酷似した動きだ。
ヴィーレが選手で、カズヤが砲丸である。魔力による筋力強化があることを鑑みても、かなりシュールで奇っ怪な光景だった。
遠心力によってカズヤの肉体はさらに浮き上がっていく。
回転のスピードも徐々に速くなり、その間にもヴィーレは崖の縁へと近付いていた。
あまりの高速転回にカズヤが酔い始めた頃、ピークに達した自転の速度は、唐突にゼロへと収束した。
「オォラァッ!!」
ヴィーレの発した野太い雄叫び。
それと共に、カズヤの体は空へ向けて放り投げられる。
勇者の全身全霊を込めた怪力によって、常軌を逸した勢いで飛ばされた少年は、あっという間に百メートル近くの距離を移動した。
凄まじい空気抵抗がカズヤを襲う。
「~~~~ッ!?」
その間、彼は口を閉じたまま、声にならない衝撃と困惑をその表情に浮かべていた。
さながら絶叫マシーンだ。パラシュートの無いスカイダイビングと言い換えても良い。
(怖い怖い怖い怖い怖い……ッ! 何が起きた!?)
だけれども、カズヤは絶叫をあげることはできなかった。
ヴィーレから与えられた命令を律儀に守って、息を止めていたからだ。
そうしていなければ、上手く呼吸をできずに、パニックを起こしていたかもしれない。
スピードが段々と緩やかになるのを感じながら、カズヤは空から地面に視線を移した。
崖からは、真上というより四十五度の角度で前方に投げられたから、落下地点は恐らく海面となるだろう。
とは言っても、骨折必至であるような高度を、カズヤは裕に超えてしまっているのだが。
「……あっ」
しかし当の本人である少年は、それとは全く別の事実に注目していた。
「なるほど、ヴィーレ。そういう事か……!」
カズヤの視線の先、先まで彼のいた崖の縁には、子蜘蛛達が集結していた。
何をするでもない。ただ固まってそこにいる。
カズヤが落ちてくるのを待っているのだ。
一部、糸を飛ばしている魔物もいるが、それが届くよりずっと速く遠くにカズヤは離れていた。
ヴィーレはと言えば、彼もまた、カズヤの後を追って海へ飛び込もうとしているようだ。
投擲距離には追いつけなかったらしく、カズヤより大分下方で宙を舞っている。
崖から走って自力で跳躍したのだろう。
それでも、ヴィーレには例の超常的な身体能力がある。それを活かして、彼も蜘蛛からは十分な間合いをとっていた。
つまり『避難を完了』している。
一時的にだが、二人ともが安全圏に逃れられたのだ。
さらに追記するとすれば、ヴィーレがカズヤを放ったことにも重要な根拠があった。
(見える……! 木々の枝葉で隠れていないから、魔物の群れのほぼ全体が、ハッキリと視認できるぞッ!)
そう。カズヤがすぐに思い至ったとおり。
ヴィーレの狙いは、子蜘蛛を抹殺するために最も適したシチュエーションを作り出すことだった。
限られた魔力量でもって、ほとんどの魔物を巻き込む位置、つまりは平べったく広がった群れの中央部へ、カズヤに爆発を起こさせること。
この試練に対する打開策は『俯瞰』だった。
森のように自然の屋根が無い場所で、俯瞰の視点を得られれば、それが実現可能となるのだ。
と、そこで、「ピィーッ」と甲高い音が鳴り響く。
指笛の音だ。
戦闘の初め、あらかじめカズヤへ伝えられていた合図。『お前の助けが要る』という仲間からのサイン。
音源は探る間でもない。
「ヴィーレ……!」
勇者の方を咄嗟に見下ろすカズヤ。
目と目が合う。仰向けとなった赤の瞳は、少年の行動をジッと見守っていた。
二人は直感する。
互いに腹の内を探りあった者同士だが、今なら言葉など介さずとも、相手の考えていることを鮮明に理解できる、と。
『これだけの間合いがあれば、持てる魔力の全てを注いで、爆発の呪文が撃ち込めるだろう?』
カズヤはヴィーレが暗黙の内にそう伝えてきているような気がした。
それは錯覚かもしれないが、きっと誤解ではないのだろう。
何故なら、次の瞬間には、上空へ拳を突き出したヴィーレから明確な指示が飛ばされてきたのだから。
「食らわせろ、カズヤ! 魔物の群れの中心点にッ!」
その声は風に流されることなく、確かに相手の耳へと届けられた。
ヴィーレは満足そうに落下していく。
他方で、その命令を聞いたカズヤは一時の間、空を舞いながら呆けてしまっていた。
仲間から差し出された『常識破りの作戦』。それに対する理解がまだ完全でなかったというのは、事実として勿論ある。
だが、それよりも広くカズヤの心を占めていたのは、ヴィーレの胆力に対する驚嘆であった。
ヴィーレはカズヤの事を、仲間であると認めてくれはしたけれども、先に確認していた通り、少なくとも少年が戦い慣れしているとは思っていなかったはずだ。
だのに、彼は作戦成功の要にあたる部分をカズヤに託してきた。
一切の憂いも無く。一時の躊躇すら見せず。
勝利への固い確信をヴィーレ・キャンベルは抱いていた。
それは詰まるところ、『フタバ・カズヤへの信頼』にほかならないのである。
(策の発想もさることながら、色々とぶっ飛びすぎだよ……。まさしく太陽に届く勢いだ)
空を見上げ、嬉しさ半分、呆れ半分で心を震わせるカズヤ。
直後、彼は空中で器用に体勢を立て直す。
飛ばされてきた方向を体の正面に据えると、二重の両目を引き絞り、子蜘蛛の大群を注視した。
(が、しかし、ここはヴィーレの作戦に乗るしかないだろう……! さもなくば、二人揃って海の藻屑か蜘蛛の餌へと成り果てるほかないのだから!)
魔物達は崖の端まで来て、獲物が海から這い上がってくるのを待ちわびている。
何も為せずに落下してしまったら、カズヤとヴィーレの前からは、今度こそ希望が消え失せるだろう。
そう考えるとやはり、少年にとっての答えは決まっていた。
やるべき事はただ一つ。
(人事を尽くす……ッ! それだけだ!)
己の果たすべき責務を悟るや、カズヤは歯を食い縛り、執行するための覚悟を決めた。
遠く下方に見える魔物の群れに焦点を当てて、それを鋭く爪指し叫ぶ。
「弾け飛べッ! この呪文の詠唱と呼び名は――――!」
彼はそこで、空気を大きく吸い込んだ。
息継ぎをするためではない。削り取った魂の欠片を炎に焼べ、燻っていた闘志を燃え上がらせるためだ。
絶対的な決意。『ありったけの魔力を次撃に注ぎ込む』という確たる意志を言葉に乗せて。
最高級の殺傷力を誇る異能の名は、声高らかに言い放たれた。
「《エクスプロージョン》!!」
瞬間、辺りを閃光と爆音が駆け巡る。
発生した衝撃波は木々を押し倒し、地響きは森全体を縦横に揺れ動かした。
爆炎は一帯の自然を全て飲み込んでいく。先まで緑のみだったそこは赤と黒に染まり、舞い散るものは木の葉から灰へと変わるだろう。
蜘蛛の断末魔が重なり、ひどく耳障りな重奏を奏でるが、やがてそれも聞こえなくなる。
同時に、カズヤの体は重力に従って下降を始めたのだった。




