33話「死角からの刺客」
不自然に折れた木と二匹の馬、倒れた水筒にパン、バスケット。そして息を飲む男性二名。
周囲に発見される特徴はそれだけだ。
蝉のような虫の声がやたらと耳につく。時刻は正午を過ぎ、多湿高温な森の中は、さながら天然のサウナであった。
温度計の目盛りと共に、不快指数が上がっていく。
そんな中、カズヤは絶対の信念をもって叫んだ。対面のヴィーレを指差しながら。
「確定だ! 送り込まれた刺客は、時計の姿に扮した魔物……ッ! 君が目を離した隙に、何らかの能力を使って、二人をどこかへ転送した!」
「イズに借りて、間近で見せてもらったが、アレは確かに普通の懐中時計だったぞ……!」
「どうしてそう言い切れるんだい? 君は時計を分析したの?」
カズヤにそう尋ねられ、ヴィーレは押し黙ってしまう。
「分析の呪文は、生き物を対象としたとき、相手の魔力レベルを読み取れるでしょ。そうでない場合、レベルは表記されない」
話している間、カズヤは相手と目を合わせなかった。
周囲を警戒しているためだ。あちこちに視線を動かして、何かを探しているようである。
「もし君が時計に呪文を唱えていれば、それが『生きている化け物』だと確信できただろうね」
「……お前の推理が合っているとすれば、こちらの戦力を分断させて、確実に削っていくことが、魔王の狙いか」
「かもしれない。イズさん達を倒した後に、時計の魔物が僕達を始末しにやってくる……。その可能性は大いにあり得る」
そこで、カズヤは探し物を発見した。
唐突に視線を上へ走らせた彼に釣られて、ヴィーレも同じ方向を確認する。途端に二人の表情は険しさを増した。
が、その間もカズヤの話は止まらない。
「けれど、僕が敵の指揮官だったなら、勇者の君にイズさん達の救援へ向かわれる事態は、どうにか阻止したいと考えるだろう」
二人の見上げる先には、渡り鳥だろうか、十数匹の鳥類が飛んでいる。
しかし、それは異常な光景だった。
まず、鳥達は息をしていない。
目や口を初めとした様々な部位から血液を流している。それが滴っていたことから、カズヤは上空の存在に気付いたのだ。
さらに補足すると、彼らは空中にて停止していた。
浮かんでいると言い換えても良い。何かに絡みとられたかのように、空中で閑寂なる死を遂げている。
「よほどの無能でない限り――――」
口を動かしながらカズヤは死体の群れに注目する。
「もう一体くらいは、凶悪な刺客を寄越すだろうね」
そこまで述べたところで、彼は発見した。
糸だ。
上空の死体に半透明の糸が巻きついている。それは捕まった獲物達の首を絞め折り、肉体を縛って放さない。
しかも、罠が張り巡らされているのは、真上の空間だけに限った話ではなかった。
前後左右、三百六十度、どこもかしこも糸だらけだ。カズヤ達二人はいつの間にやら、殺意のフェンスに包囲されている。
「既に敵の術中か……ッ!」
ヴィーレは同様に事態を察知するや、カズヤと馬を庇うようにして構え、大剣を背中の鞘から引き抜いた。
様々な意図と策謀が絡み合う蒸し暑い密林にて。
二人は、魔王の刺客によって編まれたトラップに、まんまと嵌められてしまったのだ。
こうなるまで気が付けなかったのは失態だった。
近距離で話していたのと、互いが互いを警戒していたのが主な原因だ。
また、周りに巡らされている網の目が半透明だったことや、陽光が照っていなかったからということも、一因としてあるのだろう。
糸の包囲網は全面に張られている。
それを認めた二人は、すぐ傍で魔王の刺客がこちらを虎視眈々と狙っていることに思い至った。
「問題はどういった魔物なのか、だ」
幼なじみから貰った青銅色の大剣を構え、ヴィーレはカズヤへ教授する。
「敵の姿が分かれば大体の特性は予測できる。上手くいけば、俺の呪文で相手の能力くらいは調べられるかもしれない」
「……糸で作られた罠と、それを利用して狩りをする生き物と言ったら、『あの虫』が初めに思い浮かぶよ」
「蜘蛛か」
ヴィーレがチロッと視線をやると、カズヤは静かに首肯した。
「蜘蛛の魔物……。だとすれば、俺達を囲むこの網は『蜘蛛の巣』ってことになるな」
「糸の総量、太さ、長さからして、相当大きな個体のはず。数は一体だろう。森とはいえ、巨大な魔物が複数体も身を潜めるのには無理があるから」
「なら次は、ソイツを炙り出す必要がある。仕掛けられるのをただ待っているだけじゃあ駄目だ」
「僕に任せてほしい。試してみたい案があるんだ」
カズヤの台詞を聞いて、ヴィーレは計画の具体的な内容を問おうとした。
だけれど、少年は質問を受ける前に作戦を実行に移すだろう。
ヴィーレの不意を突いて走り出すカズヤ。彼は速度を緩めることなく直進すると、半透明の蜘蛛の巣へタックルするようにしてぶつかった。
無論、カズヤの体は強力な粘着力のある糸に引っ付いて離れなくなってしまう。
とんでもない奇行だ。
彼の行動を受けたヴィーレは拘束を解いてあげるべく、剣を持ったまま慌てて少年のところに駆け寄った。
「カズヤ、お前、一体何を考えているんだ! 敵の罠へ自分から引っ掛かりに行くなんて……!」
「蜘蛛の魔物が行動を起こすとすれば、獲物である僕達が隙を見せたときか、強硬に逃げようとしたときだろう。網に絡まった男と、それを助けようとしている仲間……。今の僕らは隙だらけだ」
「……釣り人を釣り返すために、敢えて糸に食らいついたのか」
神妙な顔で質問を投げるヴィーレ。
カズヤは接着剤のように粘りついた糸と、それにくっついた自身の右腕全体を観察している。
彼は、糸の直径が自身の太腿くらいであることを確認してから、ヴィーレの問いかけにレスポンスを返した。
「言い得て妙な例えだね」
「……どうして、そんな危険な真似を?」
「君と同じで、僕も急いでいるんだよ。イズさんとネメスの安全を一刻も早く確保するために、こんなところで時間を無駄にしたくはない。形振り構っていられないんだ。あと、これはちょっぴり利己的な理由だけれど――――」
赤い瞳と向き合ったカズヤは屈託のない笑みをこぼす。
「こうすれば、信じてもらえるかなって」
「……お前は大馬鹿野郎だな」
肩透かしを食らった気分になるヴィーレ。彼の中に芽吹き始めていた敵意はすっかり削がれてしまった。
先までの険悪な空気はどこへやら。二人は小さく微笑みあう。
と、その時だった。
ヴィーレの背後で、騒がしく落ち葉を踏み鳴らし、枝葉や樹幹を踏み倒す音が轟きだしたのは。
潜んでいる様子じゃない。二人は直感した。何かが、罠にかかった獲物を捕食しようと、全力で迫ってきている。
「ヴィーレ! 現れたぞ! 君の後ろだッ!」
「ああ! バッチリ聞こえているさ!」
答える前にヴィーレは既に体を反転させていた。
眼前には蜘蛛の顔面。こちらより二回りほど大きいサイズの異形が、既にそこまで迫っている。
表面の産毛すら視認できる距離であった。
(俺が大剣を振るより、相手が攻撃を繰り出す方が速い……ッ!)
そう判断したヴィーレは咄嗟に右の拳を魔物の顎に叩き込む。
手加減無しのアッパーを貰った大蜘蛛。それはこちらの腕に噛みつく前に、後方へ激しく吹き飛んだ。
自身の編んだ網を破りながら、地面を転がり戻っていって、ようやくその巨躯はうつ伏せのままに動きを止める。
化け物は口から白い体液を垂らしつつ、一時的にダウンした。
それを確認して、カズヤはひきつった笑いを漏らす。
「死角からの刺客だね」
「軽口を叩ける余裕があるなら、脱出は手伝わなくて大丈夫か?」
「正直めっちゃビビりました。これが素肌と接着する前に助けてください……」
ヴィーレの冗談に半ベソで救いを求めるカズヤ。糸を指差して、右半身のピンチを示してくる。
それを受けたヴィーレは肩を竦めると、彼の体に繋がる糸を大雑把に断ち切ってやった。
まだカズヤには糸の残骸がくっついてはいるが、動けるようになりさえすれば、後はどうとでもなるだろう。素肌への粘着は未然に防げたのだから。
「でも驚いたよ。まさか君がここまでパワフルだったとは」
「人には一つや二つくらい隠し事があるものさ。そうだろ?」
問い返してやると、カズヤは苦い顔をした。
彼は応えずにシャツを脱ぎ捨てる。肌着だけになってしまったけれど、おかげで糸の塊とはおさらばできたようだ。
そんなカズヤを一瞥した後、ヴィーレは前方へと向き直る。
「それに、俺だって驚いているところだ。本気の一撃を打ち込んだっていうのに……」
生暖かい空気が彼らの肌を撫でる。段々と雲が低くなってきた。
「まだ生きているとはな」
勇者の視線を追った先には、依然として大蜘蛛の姿がある。
そう。消えていないのだ。死を迎えた魔物は例外なく、霧散して消滅するはずなのに。
蜘蛛はおぞましい声をあげながら、己の巨体を立ち上がらせようとしている。
先の殴打が効いていないとは言いがたいが、残念ながら、それでもまだまだピンピンしているみたいだ。
「《チェック》」
魔物に対して呪文を詠唱するヴィーレ。
【レベル3210・蜘蛛の魔物。雌だ】
上記のメッセージを読み終えると、続けざまにこちらの欲していた情報も流れてきた。
【能力の性質は『幻想』。噛みついた対象の五感を毒で冒す能力がある】
遅れて分析の呪文を唱えたカズヤが、臆した様子で疑問の声を投げかけてくる。
「もしかすると、あ、アレってさ……かなりヤバイ相手なんじゃ……?」
「レベルには囚われなくていい。魔物を相手取るときに注意すべき点は、能力の性質と先天的な習性だ」
対照的に、ヴィーレは毅然とした態度で剣を構えた。
「三分以内に奴を仕留める。そして、それから五分以内に、イズとネメスを救い出す!」
「君は簡単にそう言うけれどね、ヴィーレ……! 『時計の魔物』の能力や居場所は、相も変わらず謎のままなんだよ!? 彼女達のもとまではどうやって向かうつもりなのさ!」
後方から切羽詰まった声が投げられてくる。
「そりゃあ、カズヤ――――」
当然、問題に対する『解答』なんかはこちらも存じ上げないので、ヴィーレはカズヤを振り返らなかった。
代わりに、茶化したような『回答』を寄越す。
「全速力でに決まっているだろ」
大剣を肩に担ぎ、蜘蛛の魔物を見上げる勇者。
全く想定していなかった強敵との戦いが、まさに今、始まろうとしていた。




