死の晩餐会
それから、わずか一時間後。
首に刻まれた赤黒い「死の痕跡」を隠すため、私は再び重いベールを被り、ゼノス公爵と対峙していた。
場所は公爵邸の小食堂。
晩餐、と呼ぶにはあまりに殺風景な食卓だ。並べられているのは、北の地らしい質素な料理と、鈍く光る銀食器。華やかな音楽も、着飾った給仕もいない。
正面に座るゼノスは、軍服の汚れを落としたものの、その瞳に宿る威圧感は変わらぬまま、無造作に肉を切り分けていた。
「……お前の正体だが、形式上の確認はしておこう」
こちらを見ることもなく、事務的に進む食事が終焉を告げる頃だった。
ついとゼノスが顔を上げ、低く冷ややかな声を発した。
「クリスティーナ・フォレストでございますわ、閣下」
間髪入れず穏やかに私が答えると、彼はそうくることを分かっていたかのように、ククッと喉を鳴らした。
今しがた切り分けた肉の最後の一切れを口に運ぶと、懐から一通の羊皮紙を取り出す。それを卓上へと滑らせ、私の前へと差し出した。
「契約書だ。魔術的な拘束はないが、これを違えれば、次は首だけで済むと思うな。お前の肉体がどれほど再生しようとも、精神を焼き切る方法はいくらでもある」
私は、手袋を嵌めた指先でその紙を手に取る。
そこには、驚くほど現実的で合理的な条項が並んでいた。
―――
フォレスト伯爵令嬢「クリスティーナ」としての完璧な隠蔽と役割の遂行。
北方の防壁における、魔獣の毒および不死の怪異の研究・検体としての協力。
公爵の許可なき一切の単独行動の禁止。
本契約の完遂、および有益性の証明後、ゼノス・グレイルはフォレスト伯爵家の「完全な破滅」を保証する。
―――
「……私の肉体を、存分に検体としてお使いになるということですね」
「そうだ。我が兵が毒に侵されれば、お前の血を毒消しとして試す。お前の肉体が死なぬのなら、それは魔獣の殺し方を見つけるための最高の標本だ。お前は痛みを感じるだろうが、それは私が提供する『復讐』への対価だと思え」
ゼノスはグラスの赤ワインを口に含み、漆黒の瞳で私を射抜いた。
「この地は、お前のような南方の貴族が夢想する『城』ではない。ここは巨大な檻であり、戦場だ。……どうだ、クリスティーナ。今さら温室が恋しくなったか?」
私は、ベールの下で静かに、そして狂おしいほど冷ややかに微笑んだ。
フォレスト家で家畜同然として扱われていた日々。エボニーを失った夜。あの停滞した地獄に比べれば、この機能的な戦場は、なんと自由で可能性に満ちていることか。
「まさか。……痛みなど、あの家で飽きるほど味わってまいりました。それが復讐の糧になるというのなら、いくらでもお搾りになってちょうだい」
私は、あえてゼノスの前でベールを跳ね上げた。
白粉を重ねた醜い火傷。そして、繋ぎ合わさったばかりの首に刻まれた、あの生々しい「死の痕跡」。
「閣下。私はあなたの最高の『道具』になりましょう。その代わり、最後にはお父様たちが、私をここに売ったことを地獄の底で後悔するような――そんな絶望を与えてくださると、お約束いただけますか?」
ゼノスは僅かに口角を上げた。それは慈悲などではなく、目の前の女狐を心底馬鹿にした、あからさまな嘲笑だった。
「いいだろう。……その、泥を啜ってでも生きようとする執念は嫌いではない」
私たちは、凍てついた静寂の中で、血よりも濃い「復讐」の契約を結んだ。
晩餐の味など、もはや何も感じなかった。




