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エヴァンズ公爵家の秘密

 エヴァンズ公爵家は少々風変わりな一族として有名だ。

 多くの貴族は王都での屋敷を王城の近くに求める。近ければ近いほど力ある象徴とされているからだ。しかし、エヴァンズ公爵家は違う。王都の最南端に位置する場所、それも平地ではなくわざわざ山の中に屋敷を構える。外門から正門まで山道を馬車で二十分以上かかるほどの不便な立地だ。

 建国以来の古い伝統を持つ由緒ある家柄で、現在も王の懐刀としてその権威を誇っているにもかかわらず、ずっとそのように暮らしている。

 故に一部では、万が一敵国が攻めてきて王城が落とされたとき、第二の王城として機能させるためあのような場所に居を構えているのだろう。なんという献身ぶり。流石エヴァンズ公爵家など言われている。

 それはある意味で正しい。

 エヴァンズ家には秘密があり、その秘密は国にとっても重要なもので、そのためにこの場所に暮らしているのだから。

 

 

 ルシルフ・エヴァンズは家路を急いでいた。

 ルシルフはセントライア学院で音楽の教師をしている。本当は各地を転々と旅してまわる吟遊詩人になりたかったが流石にそれは許されず、音楽に携わる職として教師を選んだ。教師の多くは伯爵家以下の嫡子以外の子、或いは平民で有能な者が就く。公爵家の次男であるルシルフは目立つ存在だった。

 そのような自由が許されるのもひとえに兄・ベルンハルドが有能だからだ。

 ベルンハルドは驚くほど堅実で地に足の着いた男で、やるべきことを着実にこなす。エヴァンズ家は絶対に子孫を残さねばならない宿命を背負っているが、ベルンハルドに任せておけばその義務もきちんとこなすだろう。万が一問題が起きたとしても、下にもノエルという優秀な弟がいる。おかげで気ままに好き勝手に生きている。

 そんなルシルフに昼休憩中、父・ノール公爵から急いで帰るようにと知らせが入った。

 ルシルフは怪訝な顔になった。ノール公爵は責任感が強い。自身に対してのみならず、息子たちにもそれを求める。そのノール公爵が仕事を中断させてまで帰宅しろと命じるなど異常事態と言える。何が起きているのか。ルシルフは学長に事情を話し、受け持っていた授業を休講する許可を得て学院を出た。


 セントライア学院とエヴァンズ家の土地は隣接している。

 といっても土地の端と端が接しているだけだが。

 学院は国内最大でほとんどの貴族が通い、近隣諸国からの留学生も多い。また、毎年一斉試験が開催され有能な平民も国家の補助で学費無料、寮完備で入学可能だ。それに加え学部も多岐に渡るので実験室や作業場、運動場など広大な土地を要し、それを一か所に確保しようと思えば王都の中心部では到底無理だ。結果、王都南部の土地を整備して学院を作り上げた。

 王都から離れるほど土地の価格は下がるが、セントライア学院ができてからは近辺の価格は上がり、老舗店は王都中心部、新参の店は南部エリアに出店するという流れが出来上がりつつある。学生たちは新しい物を好むのでそういう意味でも新規店はこの地域を重要視している。


 馬車を降りると待ち構えていた執事が「お帰りなさいませ」と一礼し休む暇なくすぐ食堂へと案内された。

 そこにはすでに家族が勢ぞろいしていた。

 渋面のノール公爵、眉尻を下げて困り顔のメリー公爵夫人、無表情のベルンハルドを横目に、


「ルシルフ兄さん。お帰りなさい」


 末弟のノエルだけがにこやかに迎えた。


「ああ、ただいまノエル。……それで、いったい、何があったのですか?」


 ルシルフはベルンハルドとノエルの間の空いている椅子に腰かけながら尋ねた。

 返事はすぐにはなかった。

 執事がルシルフの前にも紅茶を置いた。美しい琥珀のそれはコルーン地方で摘まれた茶葉だ。香りがよく飲むとリラックス効果もある。

 ルシルフは自身を落ち着かせるためにもカップに口をつけた。

 一口、二口と飲みソーサーに戻す。カチャっと小さな音がやけに大きく響いた。


「……実はな、ベルンハルドの情緒がいなくなった」


 沈黙を破って、ノール公爵が重々しく告げた。


「え?」


 ルシルフは何を言われたかすぐには理解できなかった。


「ベルンハルド兄さんの情緒が行方不明なのですよ」


 すると、ノエルが繰り返した。

 一言一言はっきりと丁寧に。

 ルシルフはそれを何度も心の中で反芻させた。それから、


「は? え? えぇ~~~~~~~~????」


 公爵家にあるまじき品のない声を上げる。


 だが、それは別に彼らの発言の意味がわからずに困惑したわけではない。

 情緒がいなくなる。行方不明。それはエヴァンズ公爵家においてあり得る現状だからだ。

 そう、これこそがエヴァンズ公爵家の秘密。

 エヴァンズ家の男児は「情緒」が分離して生まれる。

 分離した情緒は珍妙な生き物の形をしており、それを育てることで間接的に自身も人間らしい感情を育んでいく。


 何故、そのようなことが起きるか。

 話は、もうずいぶん昔、この国・ゾゾルドが建国を迎えた頃まで遡る。


 ゾゾルドの領地は資源が豊かで実りの多い土地で、元々は国という概念もなく人々が自由に暮らしていた。それに目を付けたパッシリアが攻め込み、土地に暮らす人々を圧制、隷属させ、併合した。

 先住民にとって不遇な日々は五十年近く続いたが、彼らひそかに土地の奪還と新しい国を建てる計画を練り機を図っていた。

 独立建国に最大の貢献をしたのがエヴァンズ公爵の祖先であるロマンという男である。

 彼は人ではなかった。 

 人に憧れる人でなし。


「私はね、人というものを愛しているのだよ。けれど、この愛が本当に愛という感情なのかわからない。私には心というものが本来ないからね。だから、私に君たちの感情を食べさせておくれ」


 食べるといっても、文字通りバリバリと食すわけではない。

 人は眠りに落ちると一日に味わった感情を反芻させながら整理するようにできている。その整理中に感情を追体験することで自身の中にサンプルとして蓄積したいのだという。

 人の心がわからないので、人の心の動きを知り、自身もそれを真似て、人間らしく振舞ってみる。

 そのための人の感情が欲しい――彼が協力する対価だった。


「どうだい、楽しそうだろう? ああ、もちろん、感情提供者に何ら害はないよ。私が食べた記憶が欠損するなんてこともね」


 彼の目的は現ゾゾルド国王の祖先で当時の反乱軍の頭・ジェシスには少しも理解できなかった。心、感情がないというのがそもそもわからないので仕方ない。ただ、ロマンが人にとても純粋な羨望を感じているということは信じられ、契約を交わすことにした。

 その後、ロマンの力により計画は成功し、土地を奪還、ゾゾルドという国を興した。

 ロマンはエヴァンズの名と公爵の爵位を賜り建国後も加護を与え続けた。ゾゾルドの土地の要となる場所――現エヴァンス公爵家の屋敷に国の加護となる礎を作り毎日祈りを捧げる代わりに国民の感情を食べる。そのようにして再び介入しようとしてくるパッシリアの勢力を退け平穏が保たれた。


 月日は過ぎ、ロマンは恋をして結婚し子を持ち人のように死んでいった。

 彼が死んでも子孫たちにその力は受け継がれた。故に、現在もエヴァンズ公爵家は加護の礎に祈りを捧げゾゾルドを守っている。

 これがエヴァンズ家が山奥に暮らす理由である。

 しかし、力だけを受け継ぐなどという都合のよい話は当然だが存在しないわけで……力を受け継ぐのは男児に限られるのだが、彼らはロマンがそうであったように感情を持たない。正確には力が邪魔をして感情機能が取り込めず、分離した感情機能は別の生き物の形をとる。それを「情緒」と呼んでいる。子と情緒は魔術回路が繋がっており、ロマンが人の感情を食べて人らしさを得たように、子は情緒を育てることで人らしさを得る。

 それでもまったく人と同じというわけにはいかず、浮世離れした雰囲気になりがちだ。実際、人の暮らしに馴染まずさすらい人のように過ごしたがる者も多い。生涯独身を貫く者も。国家のためにも家を繫いでいかなければならないエヴァンズ家の役割を考えればかなり問題だ。

 

「本当ですか?」

 

 ルシルフはベルンハルドを見た。情緒がいなくなるなど信じがたいが、ノール公爵もノエルもそのような嘘をつくはずないし、メリー公爵夫人の表情からも真実だろうとはわかったが、それでも問い返さずにはいられない。

 ベルンハルドは相変わらずの無表情で、


「わからない」

「いや、わからないってそんなことあります? 兄さんの情緒でしょう?」

「……ここ一週間ばかり見ていなかった。それまでも三日ぐらい見ないことがあったから、そのうち出てくるんじゃないか」


 まるで他人事のような返答だった。

 絶句していると更に続ける。


「別に情緒がなくても死ぬことはない。感情などなくても生きていける。ない方がいいくらいだ。やるべきことはやっているのだから、それでいいだろう。何故、大騒ぎするのかわからない」


 ベルンハルドの発言にルシルフはぎょっとした。

 感情がなくてもいいなど――それはロマンが死ぬほど欲しかったものであり、ルシルフもまた情緒を育てていく中で自分の内側に広がっていく感覚に感動し、それを手にするために情緒の育成にも力を入れていた。そうしていても完全な心を手に入れることはできないので歯がゆかった。しかし、ベルンハルドはいらないものという。


「いやいやいやいや、情緒は大事ですよ兄さん。音楽や芝居を見て感動したりすることは人生を豊かにしますよ。それに、情緒は生まれた時からずっと一緒にいたものじゃないですか。いなくなって心配じゃないんですか」

「……? ずっと一緒というのがわからない。あれはあれで勝手にやっていたからな。別に毎日顔を合わせていたわけではない。だから、何故そんなに大げさに騒ぐのかわからない。そのうち出てくるだろう。……まぁ、一週間というのは初めてだが」


 ルシルフはいよいよ言葉を失った。ルシルフだけではなくノール公爵は渋面を深くし、メリー公爵夫人は「私がもっと注意して見れいれば」と薄っすら涙を浮かべ、ノエルは「兄さん……」とため息をつきながら背もたれに身体を預けた。


 だが、思い返してみれば、たまに見かけるベルンハルドの情緒の育ちはあまりよくなかった。そういう者もたまにいる。感情に敏感な人もいれば鈍感な人もいるように情緒の育成も人それぞれ、頑張ったからといってよく育つわけでもない。ベルンハルドはやるべきことはやる人でもあったので、きちんと育てているが育っていないのだという認識だった。だから、下手なことを言うのは失礼になると口出しをしなかったのが仇になった。しかし、誰もがまさかそんなに放置しているとは思っていなかったのだ。

 

「ルシルフ。お前にはベルンハルドの情緒を探してもらいたい」


 ノール公爵が重々しく告げた。

 

「え? 私が?」

「ベルンハルドはこの調子だ。任していても探さない。それに、お前が一番時間があるだろう」


 教師はそれなりに忙しいが、ノール公爵やベルンハルドと比べれば時間はある。

 これまで家のことは任せて好きに生きてきた。たまには役に立つべきなのだろう。

 ルシルフが頷くと、


「僕も手伝いますよ」


 ノエルが申し出てくれた。

 

 こうしてベルンハルドの情緒探しが始まった。

読んでくださりありがとうございました。


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