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ワズロフ家の当主が死去し、継嗣が侯爵を継いだ。
つまりローレシア姫の夫が侯爵となったのである。これによってローレシア姫の待遇がよくなったかといえば、そうではない。
ローレシア姫の夫には、キッチーナという正妃がいた。キッチーナは、義父である前侯爵の存命中はつつましやかな妃であったが、義父が死去すると家を牛耳り始めた。
キッチーナはもちろん、ローレシア姫が〈白雪花の姫〉であることを知っていた。どういういきさつでかわからないが、キッチーナはひどくローレシア姫を憎んでおり、〈浄化〉を持つローレシア姫を一族の重鎮たちの薬壺のように扱った。
ローレシア姫は、サースフリーという息子と、リリアという娘を産んだあと、若くしてこの世を去る。直後にキッチーナも死去した。
リリアは長じて美しい姫に成長する。そのリリアが、ワズロフ家を訪ねたラインザッツ家の長男と恋に落ち、リリアはラインザッツ家に嫁ぐことになる。リリアは、ラインザッツ家に嫁ぐに際し、ワズロフ家前当主の正妃キッチーナの娘ということにされ、諸家系統譜にもそう記された。
家に一人残ったサースフリーが寂しそうにしているのをみて、侯爵はワズロフ家の手の届かない場所でサースフリーが研究と施療に打ち込めるようはからった。やがて死期が近づいたのを感じると、サースフリーをその妻子ともども呼び戻した。
サースフリーの妻コロナが〈浄化〉を発現したとき、昔のうまみを覚えている重鎮たちが食指を伸ばしてくることが予想されたので、侯爵はコロナを囲い込むことで守ろうとした。
やがて侯爵は死去し、コロナも亡くなった。
何事もなく年月が過ぎた。〈白雪花の姫〉のことが貴族たちの口の端にのぼることもなくなった。もはや、昔の出来事を蒸し返す者はいないはずだった。
そんななか、今年の年頭から、ヘレス・ラインザッツ姫が、王の長女エルトリア姫付きの騎士となった。その姿をみて、誰いうともなく噂が立った。
「〈白雪花の姫〉によく似ている」
王家にはローレシア姫の肖像画がある。これはローレシア姫をラインザッツ家に養女に出すにあたり、当時の王が描かせたものだ。
ローレシア姫の死去を発表したとき、ギド、スマーク両侯爵家は、秘蔵されていたその肖像画を一目みたいと願い出た。王もこれを退けるわけにいかなかった。肖像画をみた両侯爵とその息子たちは絵姿の姫の可憐さと美しさに嘆息し、せめてもの思い出に写し取らせてほしいと願った。王は困惑したが、断るわけにもいかなかった。
以後、ローレシア姫の肖像画は、後宮の奥まった場所に飾られ、王の妃たちや女官たちは目にすることができるようになった。また、ギド、スマーク両家にも、その写しがある。
〈白雪花の姫〉の肖像画をみたことのある人は、口をそろえてヘレスが〈白雪花の姫〉に似ていると言った。これは瞬く間に高位貴族たちに知れ渡ったはずだ。
そして三の月の三十九日、ギド、スマーク両侯爵家からワズロフ家に使者が来た。
「ギド侯爵家長男ソルスギア・インドール、スマーク侯爵家長男ペンタロス・フォートスの両名と、トランシェ侯爵家ヘレス・ラインザッツ姫、マシャジャイン侯爵家ノーマ・ワズロフ姫との会食を、王家の庭園にある〈雪花亭〉で行いたい」
それが両侯爵の申し出であった。
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「ヘレス姫が騎士として正式に出仕したのは一の月の一日のことだが、昨年のうちから何度も後宮には足を運んでいる。ヘレス姫が〈白雪花の姫〉の血を引いている可能性に、いつ二つの侯爵家が気づいたのかはわからない。だが気づいた以上は調べたはずだ。そして両侯爵家の力をもってすれば、真実の大部分が明らかになったはずだ」
「リリア姫がワズロフ家の出身であるとわかっているのですから、まずはここに探索が及んだでしょうね」
「そうだ。そしてリリア姫がキッチーナ姫の娘でないことは、すぐにわかる」
「けれどそのあとをどうやってたどったのでしょう。ローレシア姫のことは、諸家系統譜にも記されていないのでしたね」
「どこをどうやって調べたのか、私にもわからん。ただ、先々代が死期を悟ったとき遠方に住んでいた六男を呼び寄せたという話は、親族や関係貴族のあいだではかなり噂になったはずだ。町の住人たちのあいだにも伝わっているだろうな。それまでは六男の存在はほとんど知られていなかったはずだ」
「そうか。そうすると、その六男の母は誰かということになりますね」
「リリア姫の謎の母親と、六男の母親は同一人物ではないか、という可能性は考えたかもしれん。確定できるほど深くわが家に入り込むには時間がなかったろうと思うが。たぶん密偵はヴォーカにも派遣された」
「ヴォーカに?」
「密偵には図面や人物画を描き取るわざに巧みな者もある。君の顔は写し取られて〈白雪花の姫〉の肖像画と比べられたろう」
「え? 私の絵姿を? もしかして、私はローレシア姫に似ているのですか?」
「よく似ている」
マンフリーは横に控えている家宰に目線で合図を送った。
部屋の隅に置かれた台の覆いが取り払われ、一枚の肖像画が現れた。
〈白雪花の姫〉の肖像画だろう。
はかなげで。美しくて。みているだけでせつなくなるような淡い命の輝きを放っている。肌は透き通るようで、唇は宝玉のようだ。
そして確かにノーマに似ていた。




