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第4話 8月24日(木・2)。眠り姫。

 奥野田結衣。


 ここら一帯を仕切る名家・奥野田家の一人娘であり、一部の者からは『姫』と呼称されることまである、生粋のお嬢様である。


 そんな彼女と俺の関係はというと、間接的には猪爺や陽樹さんを経由しての知り合いではあるが、直接的にはほぼ赤の他人といって差し支えないような間柄だ。ぶっちゃけ、度々奥野田家にお邪魔してる俺よっか、たまにくっついてくるだけの睦子の方がずっと親しい付き合いをしている。あいつは俺と違って避けられたりとかしてないから、俺と猪爺達が飲み会やってる時とかにちょこちょこ結衣ちゃんのとこ遊びに行って女子会やってたりするし。


 ……最初の頃は、猪爺達にしろ睦子にしろ、俺と結衣ちゃんに『一回きちんと「仲直り」してみてはどうか』というようなことを言ってきてはいたんだけどな。でも、結衣ちゃんは出逢って初っ端に巻き起こした『あの一件』のことを盛大に引きずり続けてて、俺は俺でそんな結衣ちゃんのことが不憫なあまりに『俺達には俺達なりの付き合い方があるから』と言い訳染みたフォローを口にするばかりで。そうしているうちに、いつしか、俺と結衣ちゃんの関係については周囲も当事者も触れることはなくなってしまっていた。


 そんな感じで、決して親しいなどとは口が裂けても言えない関係の俺と結衣ちゃんではあるが、一応お互いの情報についてはなんとなく程度には所持している。仲直り云々には触れずとも、猪爺にとっても陽樹さんにとっても結衣ちゃんの話題は定番中の定番で、睦子も結衣ちゃんと話すときは俺への愚痴を聞いてもらったりしてるらしいから。


 ――結衣ちゃんが俺のことを具体的にどう聞いていたのかは、残念ながらわからない。でも昨日今日の結衣ちゃんの様子を見る限りでは、少なくとも『例の事件』でのマイナスを補える程度には好感を抱いてくれているようだ。



「…………なんでしょうか?」


「いんや、なんでも」


 雨上がりの田舎道を往く傘の下。傍らを歩く少女をじっと見つめてしまっていた俺は、怪訝な顔の彼女へ首を横に振って見せる。


 結衣ちゃんが俺のことをどう聞いていたのかはともかくとして、俺が伝え聞いていた結衣ちゃんの性格はというと、概ね『大人しくて素直な良い子』というものだった。だがどうもそれは誤りだったようで、結衣ちゃんは俺の台詞を全く信じていないのが丸わかりなジト目で俺を睨め付けてきなさる。


「なんでも、なくないですよね? どうぞ、遠慮せずになんでもおっしゃってください。……まあ、その後の身の安全は保証しかねますけれど。ふふっ♪」


 語る彼女の口調も物腰も中々に綺麗で丁寧で、歯を見せない控えめな微笑みは上品で、股の前で両手を組んでしずしずと歩く様はなんとも可憐。けれど、そんな彼女を素直に大和撫子と認めたくない俺がいる。なんでこの子、正統派大和撫子なくせして所により一時反抗期なの? 彼女の完璧な笑みの裏にあるものが挑発や嘲弄でしかないのがありありと見て取れる、この謎の現象は一体何?


 べつにこんなちみっ子の折檻なんて怖かねぇけど、俺はつい~っと目線を逸らして、ついでにそろ~っと話題も逸らすことにした。


「あー、あの、さ。昨日はちゃんと言えなかったんだが、その、まあ、あれな?」


「はい。どれなのです?」


「――初めてのアルバイト、お疲れさん。あと、俺の代わりにがんばってくれて、ほんとありがとな」


 猪爺には今朝改めて直接礼を言ったが、結衣ちゃんには結局何も言えてなかったからな。機会があれば、一回こうしてちゃんと気持ちを伝えておきたいと思っていた。よもや、機会が向こうの方からこうも積極的にやってきてくれるとは思いも寄らなかったけど。


 一方、結衣ちゃんにとっては俺の言葉こそが思いも寄らないものだったようだ。彼女は一瞬ぽかんと口を開けて歩みを止めかけて、しかし一転、袖でしゅばっと顔を覆い隠して小走りに駆け去って行く。


 ふわりと翻った黒髪に思わず目が奪われて反応が遅れるも、俺はすぐさま彼女の後を追った。最初は少しばかり距離が開いてしまっていたが、流石に大の男が着物に草履なちみっ子と駆けっこして負けるわけはなく、わりとあっさり追いついて捕獲成功。ちなみに捕獲した場所は頭のてっぺんである。秘技、アイアンクロー――からの、乱暴な撫で撫でっ!


「はっはっは、そう照れんなよ! 別に恥ずかしいことなんざなーんもしてないだろ? お仕事を精一杯頑張って、ついでに人助けまでしたんだぜ? 結果的にぶっ倒れちまったのはちっと残念ではあったが、それ以外は胸張って誇って良いんじゃねえか?」


「やめっ、や、やめ、やめて、やめてく、だ……っ! あっあ、あああ、あのっ、わたし、あのっ、べつにかずまさんのために、やったわけでは、なくってっ。自分の、ため、でっ、で、ですか、らわたしっ、かずまさんに、褒めてもらう、これ、おかしっ、だって、かずまさん、全然、関係、ありま、せ――」


「関係なくなんかねぇさ。人助け云々やプライベートでの関係は抜きにしたって、言ってみれば、結衣ちゃんは俺の『後輩』になったわけだろ? 先輩としちゃあ、可愛い後輩ががんばって働いたんなら、いっぱい褒めてやんなくちゃだべこれ」


 ――瞬間。俺の手を引っぺがそうともがいていた結衣ちゃんは、手を中途半端に掲げた体勢でぴたりと停止して。俄に荒くなってしまった呼吸音を静かに漏らしながら、きょとんとした目で俺を見つめてきた。


「………………こうはい?」


「うむ。きみ、可愛い後輩。俺、可愛がる先輩。オーケー?」


「…………………………。あ……、あの。ですが、わたし、あそこでお世話になるの、今回限りのことで………、それに、ぜんぜん、うまくやれなくて。ですから、全然、……っ、か、かかわ――っ、後輩とか、言っていただけるような、そういうのでは、……ないのです、けれど……」


「それこそ関係ねぇよ。俺が先輩後輩だっつったらそうなんだよ、それで納得しとけ。で、大人しく撫でられるがよい」


 先程までのようにわしゃわしゃと掻き混ぜるのではなく、乱してしまった髪を手櫛で整えるように優しく撫でてやった。


 結衣ちゃんは、「んっ」とくすぐったそうな吐息を漏らして、軽く身じろぎ。宙を彷徨っていた手をゆっくりと胸元へ着地させた彼女は、おそるおそるといった風情ではあれど俺の手付きに身を委ねてくる。身のみならず、心まで委ねてきたかのように、彼女の身体の強ばりが優しく解けていき、まぶたがとろんと落ちていって――。


「……………………………………」


 うむ。どうしよ、俺の無茶理論と不躾行為に対するツッコミが一切来ないぞ。それどころか船こぎ始めちゃったぞ、結衣ちゃん。その顔があまりに安らぎに満ちまくっているので、撫でてあげてる手を止めることが憚られる。大体、大人しく撫でられろって言ったの俺なんだし。


 でも、こんなとこで立ったまま寝こけられたら、うっかり田んぼに落っこちかねない。せめてもうちょっと安全な場所に行ってから寝かしつけてあげよう。


「……結衣ちゃん、気持ちよくお休みの所申し訳ないんだが、続きは家帰ってからでいいか?」


「………………………お……や、すみ……、して、ない、……の……で、………………す……………」


「いや既に半分以上寝てるだろそれ……。頼む、起きてくれ。そんなお高そうな着物のまんまで田んぼにズバッシャアアァァァァしたら、クリーニング代と真知代さんが怖すぎる」


「…………………………………………ぐー」


「寝るな、こら、寝るな」


 頬を手の甲でぺちぺちと叩いてやるも、落ちきった瞼が持ち上がることはなく。彼女の首や膝から時折フッと力が抜けては、危うい所でぎりぎり持ち直す、ということが数度繰り返される。


 ああ、こりゃもう駄目だわ。一名様、夢の世界へごあんなーい。


「………………しゃーねぇなぁ……」


 俺は溜め息を吐きながら和傘を閉じ、柄を口にしっかりと咥えて保持した。さすがに刀なんかよりは軽いだろうが、それでも顎に結構な負荷がかかる。これは急がないと途中で力尽きるな。


「…………かずま、さん……?」


 ほんの少し意識を取り戻した結衣ちゃんが、寝ぼけ眼をこしこし擦りながら不思議そうな声を上げた。俺はそんな彼女の頭を一度だけ優しく撫でてあげて、そこからすぐさま行動開始。


はふぁへふはほ(あばれるなよ)


「…………………………はい」


 俺が如何なる蛮行に及ぼうとしているのか、理解していなかったわけではないだろう。けれど結衣ちゃんは、素直にこくりと頷いて、俺の動きをサポートするように動いてくれた。


 傘をどこかにうっかりぶつけないようにしながら、結衣ちゃんの膝裏と背中へ腕を回し、「ふっ」と軽く力を込める俺。それに合わせて、結衣ちゃんは胸元できゅっと手を握ったポーズのまま、ゆっくりと身体を傾けてゆく。


 そうしてついに完成する、お姫様抱っこ。結衣ちゃんは腕も身体も縮めて、俺の腕の中に余裕を持ってすっぽり収まってしまった。


 ……思った以上に軽いな、この子。そろそろ中学に上がるくらいの歳に見えるけど、もしかしたらもっと幼いのだろうか? っと、そんなこと考えてる場合じゃねぇな、腕は楽勝だけど顎がキツい。ちなみに、結衣ちゃんが傘を持ってくれようとして手を伸ばしてきたんだけど、俺はそれを首捻って拒否りました。水滴が滴るほどではないにせよ確実に濡れてはいるから、抱えさせるわけにはいかない。


 傘をしっかりと咥えて、結衣ちゃんをしっかりと持ち直して、俺は再び奥野田家へと針路を取る。


 あまり上等とは言えない揺り籠に抱かれて、しかし結衣ちゃんは、とても気持ちよさそうな微笑みを浮かべながら微睡みの底へと蕩けていった。

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