第1話 ラジオ体操は達人への第一歩らしい
今回のお題:宇宙軍にありそうな「誰が受けるんだよ」という不人気科目
人類は恒星間航行を実現した。
老化をある程度克服し、義肢は生身より高性能になり、脳へ直接知識をインストールすることすらできる。
そんな遠い未来の、午前五時五十分。
《起床時刻です》
「うぅ……」
《心拍数正常。脳波正常。睡眠充足率九十二パーセント》
「あと十分……」
《却下》
「五分……」
《却下》
「三分」
《訓練生規則第十一条に基づき、交感神経系への――》
「起きます」
飛び起きた。
科学がどれだけ進歩しても、朝は眠い。
科学の敗北である。
◇
俺の名前はハジメ。銀河統合宇宙軍、第七方面教育艦隊に所属する訓練生だ。
宇宙軍という響きだけ聞けば、銀河の命運を背負って戦っていそうだが、幸いなことに今の銀河はかなり平和である。
どれくらい平和かというと、少なくとも俺が生まれてから大規模な星間戦争が起きたという話は聞いたことがない。
もっとも、昔から平和だったわけではない。人類が宇宙へ進出してからどれほど経ったのか、正確なところは俺も知らない。
歴史の授業では『第一次太陽系外開拓時代から銀河標準暦制定までの期間については諸説ある』と習ったし、ネットでは「途中で宇宙が三回くらい滅んでるから正確な年代なんて分かるわけないだろ」という説も見た。
もちろん陰謀論である。たぶん。
その長い歴史の間に、人類という言葉の意味もずいぶん広くなった。
二足歩行する者、四足歩行する者、足そのものがない者、肉体を持たない者。魔法を使う種族もいれば、精神感応を日常会話に使う種族もいる。
そもそも三次元空間に常駐していない連中までいるらしい。
そんな連中が長い歴史の中で殴り合い、殺し合い、時には文明ごと滅ぼし合った末に、『話し合ったほうが安上がりなのでは?』という極めて高度な結論へ到達した。
現在の銀河社会は、だいたいその結果である。
だから俺が宇宙軍へ入ったのも、銀河を守りたいという崇高な使命感があったからではない。
俺が育ったのは、普段は孤児院と呼んでいる《児童共同養育施設》だ。飯も出たし、服もあった。教育も医療も受けられたし、娯楽にも困らなかった。
ただし、大人になれば出ていく。
そこから先は仕事を探して、住む場所を決めて、生活費を管理しなければならない。
その点、宇宙軍は分かりやすかった。
働けば給料がもらえる。
飯と寝床もついてくる。
条件がよかった。
それだけである。
◇
午前六時。
俺は教育艦の第三人工重力訓練区画にいた。
受講者は俺一人。
小型輸送艇なら丸ごと入りそうな広さの区画に、俺と教官しかいない。
広い。
無駄に広い。
別に同期が全滅したわけではない。
今日から始まる専門基礎課程では、それぞれが適性や希望進路に応じて科目を選択する。
艦艇戦術、機関制御、電子戦、魔導工学、精神防壁、異種族間交渉、超常環境下生存術。
名前だけ聞けば格好いい科目が山ほどある。
そして俺が選んだのが、
《基礎身体操作Ⅰ》
である。
履修登録中、ネットを見ながら科目一覧を適当にスクロールしていたら目に入った。説明欄には『身体運用の基礎を学ぶ』としか書いていなかったので、体力訓練みたいなものだと思ったのだ。
施設にいたころから運動は嫌いではない。座学よりはマシだろう。
そんな軽い気持ちで選んだ。
《現在の受講者数:一名》
《過去十年間の平均受講者数:〇・二名》
見なかったことにした。
「来たか!」
声が広い区画に響いた。
中央に立っているのは、ガルド・ゼン教官。種族はヒト。見た目だけなら四十代くらいの、無精髭を生やしたおっさんである。
年齢は知らない。
軍のデータベースで経歴を検索したことはあるが、
《あなたの保安権限では閲覧できません》
と表示されたので、それ以上は調べていない。
怖かったからだ。
「おはようございます、教官」
「うむ!」
返事がでかい。
教官は腕を組み、ものすごく満足そうに俺を見ている。
「名前は?」
「履修者名簿に載ってません?」
「載っている」
「じゃあなんで聞いたんですか」
「一度やってみたかった」
「そうですか」
なんだこの人。
教官は俺の周囲をぐるりと一周すると、今度はしみじみと頷いた。
「本当に来たか」
「履修しましたからね」
「そうかそうか」
肩を叩かれた。
痛い。
「何年ぶりだろうな」
「……何がです?」
「訓練生だ」
「え」
「最後にこの科目を取ろうとした奴は途中で履修を取り消した。正式な受講者としては九年ぶりだ」
帰りたくなってきた。
「安心しろ。今日は初日だ。基礎の基礎からみっちりやる」
今、確実にみっちりと言った。
しかも教官の目が妙に輝いている。
「その前に一つ訂正する」
「はい?」
「今日からこの時間、俺を教官と呼ぶな」
「では、なんと?」
教官は腕を組み、九年ぶりのおもちゃを手に入れた子供のような顔で言った。
「師匠と呼べ」
沈黙。
軍隊で?
「返事は?」
「……はい、師匠」
「よろしい!」
すごく嬉しそうだ。
嫌な予感しかしない。
「では始める!」
師匠は足を軽く開き、両腕を身体の前で交差させた。
俺にも緊張が走る。
《基礎身体操作》という言葉には聞き覚えがあった。
肉体を細部まで制御し、神経伝達、筋出力、重心移動、さらに生体エネルギーの循環まで意識下に置く特殊技能。一部の白兵戦部隊や武術家、そして《マスター》と呼ばれる達人が使う技術だという。
ネットには、宇宙船の装甲板を素手でへこませたとか、銃弾を見てから避けたとか、真空に放り出されても「少し寒い」で済ませたとか、いろいろな話が転がっている。
どこまで本当かは知らない。
だが、これはその基礎訓練なのだ。
俺は師匠の動きを見逃さないよう集中した。
「腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動から!」
師匠が両腕を上げる。
「いち、に、さん、し。ごー、ろく、しち、はち」
…………。
見覚えがある。
いや、あるなんてもんじゃない。
施設で毎朝やっていた。
「あの、師匠」
「なんだ」
「この訓練はいったい?」
「ラジオ体操だ」
聞き間違いではなかった。
「ラジオ体操第一?」
「今日は第一だ」
「第二もあるんですか?」
「当然だ」
あるのか。
いや、知ってるけど。
「俺は身体操作訓練を受けると聞いていたんですが」
「だからやっているだろう」
「ラジオ体操を?」
「そうだ」
師匠は真顔だった。
「旧地球時代に体系化された全身運動だ。関節を連動させながら、重心移動、伸展、屈曲、旋回、跳躍を短時間で一通り行う。初心者でもできるが、身体各部の連携を学ぶ教材としても使える」
「そんな大層なものだったんですか?」
「正しくやればな」
次の瞬間、師匠が腕を横へ振った。
――ブンッ。
空気が鳴った。
人工重力区画の空気が、目に見えて揺れる。
「今のが『腕を振って脚を曲げ伸ばす運動』だ」
「絶対違う」
「同じだ」
「衝撃波出てましたけど!?」
「未熟者ほど結果だけを見る」
師匠は残念そうに首を振った。
理不尽である。
だが、俄然説得力が出てしまった。
これを極めれば、俺もラジオ体操で衝撃波を出せるのだろうか。
……ちょっとやりたい。
そこで、ふと思った。
「これ、ブレインインストールでよくないですか?」
今度は師匠が黙った。
ブレインインストール。正式名称、神経情報直接定着技術。
確立された知識や標準化された手順を神経系へ直接定着させる技術で、俺たちも入隊時に装備の操作、応急処置、軍用共通語などを入れられている。
「ラジオ体操の手順くらい、一瞬で覚えられますよね?」
「覚えられる」
「じゃあ、なんで練習するんです?」
「それではマスターにはなれん」
出た。
マスター。
科学的には説明できる。理論上は再現できる。それでも実際にやらせると、ごく一部しか到達できない。
そういう領域にいる者を、雑に《達人》あるいは《マスター》と呼ぶ。
「知っていることと、できることは違う」
師匠は自分の腕を軽く振った。
「脳に動作手順を入れれば、どう動けばいいかは分かる。だが、身体がその通りに動くとは限らん。神経を通し、筋肉を動かし、骨格を連動させる。それを何千、何万、何億回と繰り返す」
「何億回」
「その果てに、意識と肉体の境界が消える」
「ラジオ体操で?」
「ラジオ体操で」
急に胡散臭くなった。
「一流の武術家や、その筋の名家では今でも幼少期からやらせるところがある」
「毎朝?」
「毎朝だ」
それほど優れた訓練なら、もっと広く普及していてもよさそうなものだ。
「じゃあ、なんでもっと一般に知られてないんですか?」
「非効率だからな」
「…………」
「ブレインインストールなら三秒だ」
「ですよね」
「普通は手順を知って、その通りに動ければ十分だからな」
「ですよね」
「そもそも現代戦で、兵士一人が達人になる必要性はほとんどない」
「ですよね!」
「巡洋艦の主砲には勝てんからな」
「じゃあ、なんでこんな科目が残ってるんですか!?」
「伝統だ」
「一番厄介なやつ!」
「それに」
師匠はニヤリと笑った。
「たまに、お前みたいな物好きが来る」
「ネット見ながら履修登録しただけなんですけど」
「理由などどうでもいい。九年待った」
「重い!」
「履修期間は?」
「一年ですけど」
「一年か」
師匠は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「足りんな」
「何に!?」
「まあいい。卒業後もある」
「何が!?」
「安心しろ」
「今ので不安になったんですよ!」
「まずはラジオ体操だ」
師匠が大きく腕を広げた。
「今日は第一を百回」
「百回!?」
「九年ぶりだからな!」
「それ俺に関係あります!?」
「張り切っている」
「自分で言った!」
◇
同日、午前六時四十三分。
銀河統合宇宙軍第七方面教育艦隊から約〇・〇三光年離れた無人宙域で、一隻の船が発見された。
船籍、所属、製造文明はいずれも不明。全長はおよそ十二キロメートル。内部から生命反応は検出されなかった。
ただし、船体表面には既知の人類系文字の一つで、短い文章が刻まれていた。
解析系が即座に意味を返す。
『あけてください』
発見から十一秒後、無人警戒機が安全距離を維持したまま受動観測を開始した。
十三秒後には関連情報が封鎖され、二十一秒後に周辺宙域が航行禁止区域へ指定。三十四秒後、案件は対異常存在処理部門へ移管された。
記録照合の結果、過去に確認された危険事例との一致が認められ、既定の対処手順が適用された。
九分十二秒後、船体は恒星内部へ投棄された。
人的被害、情報汚染、異常存在の拡散はいずれも確認されず、周辺航路も予定どおり復旧。
完璧な処理だった。
そのころ俺は、
「いち、に、さん、し!」
「肘が三ミリ下がっている!」
「分かるんですか!?」
「ごー、ろく、しち、はち!」
「重心が二ミリ右だ!」
「ラジオ体操に要求する精度じゃないでしょこれ!」
「最初からやり直し!」
「今ので三十二回目ですよ!?」
「安心しろ! あと百回だ!」
「増えてる!!」
銀河の平和を守るため、真剣にラジオ体操をしていた。
今日も銀河は平和である。
たぶん。
【TIPS:ラジオ体操】
旧地球文明に起源を持つ集団身体運動。
長い歴史の中で幾度か失伝しているが、そのたびに類似した運動体系がなぜか再発見されている。現在では銀河標準身体教育データベースにも登録され、一部地域で健康増進を目的として実施されている。
身体操作術として研究した場合、基礎的な全身連動訓練として一定の効果が認められている。
なお、銀河統合宇宙軍教育部は「通常の訓練生が一億回反復する必要はない」との公式見解を発表している。
お読みいただき、ありがとうございます!
感想や、この銀河に存在してほしい「変なもの」も募集中です。
種族、能力、魔法、超科学、怪異、都市伝説、謎の物体――なんでもどうぞ。
いただいたアイデアは、作品世界に合わせてアレンジして登場するかもしれません。
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それでは次回。
今日も銀河は平和です。
たぶん。




