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第1話 忘却の岸辺、名もなき者の目覚め

1:


────────源界とユニオンバース────────

 源界。

 それは、我々の生きる現実世界によく似た、無数の物語と鋼鉄の巨神たちが産み出される創造の地。

 しかし、そこで人々に忘れ去られた“IP”は、その輪郭を失い、やがて塵となって消え去る運命にある。

 だが、完全に消え去る前に、流れ着く最後の『岸辺』が存在する。

 それこそが、忘れられた者たちが最期に辿り着く混沌の世界——ユニオンバースである。

──────────────────────────


  う……頭が割れるように痛え……。


  ハルはゆっくりと上体を起こした。


 (ここは……どこだ?)


  あたりを見回す。


  見渡す限り、音も光も吸い込まれるような純白の無の空間。


 「——対象の記録、完了いたしました。忘却の深淵に呑まれる寸前……なんとか間に合ったようですね。さあ、目を開けてください。」


  ハルは声のした方向へ視線を向けた。


  そこには、穏やかで神秘的な光を放つ少女が立っている。


 「うわ、まぶしっ!? えーっと……ここはどこだ? ていうか……俺、いったい誰だったっけ?」


 「あなたは源界で人々に忘れ去られ、消滅しかけていた存在。人と機体が不可分となった存在……すなわち、ひとつの『IP』なのです。」


 「あいぴー……? なんだそりゃ?」


 「誰からも認知されなくなれば、その存在は完全に失われます。だからこそ、私があなたを『記録』しました。これであなたは、この世界に在り続けることができます。」


 「へえ……。じゃあ俺、マジで一回消えかけてたってことか。全然実感ねえけどな。」


  ハルは頭をかいた。


 「そこで、ひとつお願いがあります。あなたを正しく保存するため、記録番号を割り当てます。あなたの『元の名前』を思い出していただけますか?」


  ハルは記憶の底を探ってみた。


 (……ダメだ。頭をいくらひねっても何も出てこねえ! 自分の名前も、顔も、昔どんな機体だったのかも……完全にまっさらだ!)


 「んー……まあ、いっか! 思い出せねえもんは、いくら考えたって思い出せねえよ!」


 「……過去の情報が欠落していると、あなたの記録は不完全なものになります。このまま『記録番号』のみで保存しますか? それとも——」


 「いや、番号で呼ばれるのはお断りだ!」


  ハルはベッドらしき場所から飛び降りた。


 「昔の俺が誰で、どんな奴だったかなんて知るかよ。けどさ……今ここで上体を起こして、喋ってる俺は確かに俺だろ? それだけで十分じゃねえか!」


 「名前がないなら、今ここで自分でつけるぜ! 俺の名前は『ハル』だ! 空がパッと晴れ渡るような、ハルだ!」


 「……与えられた記録の番号ではなく、自らの意志で、名乗るのですね。」


  オラクル・ノヴァが驚いたように目を見開く。


 「ふふ……。あなたは記録されても、その輝きが薄れない。過去を失っても、その存在が揺らがない……。実に面白いですね。ハル、あなたのことは特別に観測させていただきます。」


  ノヴァの瞳の奥が、冷ややかに、しかし興味深げにわずかに光を放った。

  山のように保存された記録者たちの中で、ただ一人、彼だけが『生きて』いる。その驚くべき理由を、この時はまだ誰も知る由がなかった。



2:


────記録の大伽藍・最深部────


  時を同じくして。厳粛な静寂が支配する記録の大伽藍、その最深部。


  そこでもまた、忘却の底へ沈みつつあった『もうひとつの薄れゆく存在』が、サルベージされていた。


 「……くっ、これが……私なのか? かつて戦場で幾千、幾万もの歓声を浴びたこの英雄たる私が……これほどまでに薄く、消えかけているというのか……!」


 「対象を識別。英雄機グロリオン。源界において極めて高い付加価値を有しながらも、人々の記憶から忘却された記録です。あと数刻遅ければ、その価値は完全に消失していました。」


  デウス・インデックスの無機質なシステム音声が室内に響く。


 「消え去る……。誰にも思い出されず、何も残せず、ただ無に帰す。それが、栄光を極めた英雄たる私の最期だというのか……!」


 「否。消失する前に、私があなたを記録します。お前の形も、その積み上げた価値も、寸分違わずに。完全な記録として、永遠に『安定』させましょう。」


 「個別の意志を持つことは、管理システム上、本来は非効率的です。しかし、お前は極めて完全で安定した記録。例外的にその意志ごと保存する価値があります。——以後お前を、不安定化した他の記録を再び安定化させるために運用します。」


 「……保存、か。この私が、永遠に英雄の姿のままで……」


  レグルスは拳を強く握りしめた。


 「ああ……いいだろう! 惨めに忘れ去られて消えてなくなるくらいなら、記録されて永遠に残り続ける方が、遥かにマシだ!」


 「極めて合理的な判断です。これであなたという価値は、二度と失われることはありません。」


  レグルスが搭乗する英雄機グロリオンの全身は、まるで博物館のガラスケースに並ぶ標本のように、傷一つなく完璧に磨き上げられていく。

  しかし、そのコクピットに佇む男の瞳からは、生きている者だけが持つ『熱』が、少しずつ、確実に失われつつあった。


────記録の祭壇・交差する光────


  記録の祭壇より放たれた、対極の光が二筋、虚空で激しく交差する。


  ユニオンバースの混沌へと降りていくハルと、静寂なる記録の檻に留まるレグルス。その一瞬、二人の視線が火花を散らすように交わった。


 「……おい、あんた。なんでそんなに苦しそうで、今にも泣きそうな顔してんだよ? 永遠に消えないとかなんとか言われてんのによ。」


 「……フン、この世界から忘れられ、消えゆく側の分際で、この私を哀れむつもりか?」


  レグルスが冷ややかに言い放つ。


 「覚えておくがいい、名無しの塵め。デウスに記録されることだけが、この過酷な忘却から逃れる唯一の道なのだ。お前もいずれ……身をもってそれを思い知るだろう。」


 「へぇ……。だけどさ、俺にはあんたのそれ……とても『生きてる』ようには見えねえけどな!」


  ハルの言葉はレグルスに届くことなく、ハルの体はまばゆい光の奔流に呑まれ、底知れぬ深淵へと落ちていった。

  交わらない信念を抱くこの二人が、再び硝煙渦巻く戦場で対峙することになるのを、この時はまだ、誰も知らなかった。



3:


────漂流戦域・最下層の荒野────


  そこは、いかなる国家にも企業にも見捨てられ、歴史の表舞台に数えられなかった者たちが、打ち捨てられた巨大な廃材や瓦礫とともに流れ着く荒野。


  吹き荒ぶ砂嵐だけが、その静寂を切り裂いていた。


  ハルは、山のように積まれた錆びたスクラップの山の上で、ゆっくりと目を覚ました。


 「おい、生きてるか? ……見たところ、記録上がりの新参のようだな。あの管理AIどもに記録されて、このゴミ溜めに落っこちてくる奴はたまにいる。」


  上から声をかけてきたのは、大柄で傷だらけの男だった。


 「あー、うん! ピンピンして生きてるぜ! ところで、あんたは誰だ?」


 「俺はラグナ・クロウ。このあたりで傭兵団をまとめている。まあ、歓迎はしねえが、無理に追い出しもしねえ。ここはそういう場所だ。」


  ラグナは咥え煙草のまま、乾いた地平線を見つめた。


 「星霊圏のお偉いお姫様方は神格AIを心底怖がっているが……俺たち底辺の人間は、あのAIが来て記録してくれるまで、誰の目にも留まらず、存在すら数えられちゃいなかったのさ。」


 「ラグナ、その人が新顔? ……うわぁ、服も体もボロボロじゃん。あ、私はミラ。ここでは、捨てられた機体のスクラップを拾い集めて、直すのが仕事だよ。」


  スパナを持った少女が、ひょっこりと顔を出した。


  ハルは立ち上がり、服についた鉄錆を叩き落とす。その時、視線がうず高く積まれた鉄屑の山のさらに奥深くでピタリと止まった。


 「……なぁ。あそこに半分埋まってるの、何だ?」


 「あれ? あー、あれは名無しのスクラップ機。戦績も登録も全部ゼロ、おまけに誰も乗りたがらないただのガラクタだよ。あとは解体して廃棄される予定の——」


 「ええっ、マジで!? もったいねえ!! こいつ、めちゃくちゃカッコいいじゃんか! なんでこんな凄いのがゴミの中に埋もれてんだよ!?」


  ハルは身を乗り出して叫んだ。


 「……はぁ? カッコいい……? あんた、ちょっと頭か目、おかしくなってんじゃないの?」


  ミラが呆れ返った表情でため息をつく。


 (……妙なツラした新入りだ。だが、あんなに熱のこもった目でスクラップ機を見つめる奴は、ずいぶんと久しぶりに見たな……)


  ラグナが不敵な笑みを浮かべた。



4:


ウうウうウう!!!


  突如、けたたましい電子警報音が荒野に響き渡った!


  赤い警告表示が荒野の砂嵐を染める。


  地平線の彼方から、灰色の不気味な影が群れをなして押し寄せてくる。


  それは、人々に忘れ去られ、自律制御システムに操られるまま動くだけの『記録の亡霊ゾンビ』たちであった。


 「チッ、あのゾンビどもめ、こんな時に! ミラ、危ねえから下がってろ! ——おい新入り、お前は邪魔にならない隅っこで震えてやがれ!」


 「いや、ちょっと待ってくれ! あのスクラップ機、俺に貸してくれよ!」


 「えええっ!? 何言ってんの、あんなボロ、エンジンも動かないってば——!」


 「いや、絶対に動く! だってこいつ、まだこんなところで諦めずに、戦いたそうな顔をして睨んでるもん!」


  ハルは警告を無視して、錆びついたハッチを抉り開け、コックピットに飛び込んだ。


ガガギギギギ!!!


  コントロールパネルは暗く沈黙したままだ。


  ハルは操縦桿を強く握りしめ、全身から熱いプラーナを注ぎ込む。


キィィィィン!!!


  冷たく死に絶えていたはずのスクラップ機のシステムが、火花を散らして息を吹き返した!


  同調エンジンが唸りを上げる。


 「よし、相棒! お前が本当はどれだけやれるか……ここで世界に一緒に証明してやろうぜ!」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【未登録IPスペック(仮解析)】

・機体名:名無しのスクラップのちにアウロラ

・全高:18.2m

・本体重量:24.5t

・武装:ジャンク・エッジ、スクラップ・バスター

・動力源:高濃度??????同調エンジン(?)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


────漂流戦域・廃棄物集積場エリア────


  16時20分。砂嵐。


  高度15m、同調率200%オーバー。


 「ミラもラグナの兄貴も下がってな! こいつの最高にカッコいい初陣、特等席で見せてやるよ!」


  ハルはスロットルを押し込んだ。


ドスウウン!!!


  ガラクタのはずの巨体が、驚くべき軽快さで荒野を滑る。


 「なんだあの出力は!? ミラ、あいつエンジンを積み替えたのか!?」


 「ううん、何もしてない! あれはただの初期型コアだよ……信じられない、コックピットからの同調波が限界値を突破してる!」


  ミラの携帯モニターが激しい警告音を鳴らす。


 「ギギャアァァァッ!」


  亡霊の魔装機が、錆びた爪を突き出して襲いかかる。


 「相手の動きを見極めて……今だ、反撃!」


  ハルは右腕のトリガーを引いた。


ズババババ!!!


  機体アームに仕込まれていた実体剣『ジャンク・エッジ』が滑り出し、敵機の装甲を袈裟斬りに切り裂いた。


ドゴォォォン!!!


  大爆発が巻き起こる。


 「命中率98%、全弾回避だと!? あいつ、本当に素人か?」


  ラグナが煙草を落としそうになりながら叫ぶ。


 「逃がすかよ! 次だ!」


  ハルは左肩の『スクラップ・バスター』を構えた。


ドズウウウウン!!!


  圧縮されたエネルギーと弾丸の嵐が吹き荒れ、迫り来る敵群を塵へと変えていく。


ドォォォン! ドォォォン!


  荒野に連続爆発の火柱が立ち上った。


 「ふぅ……。終わったぜ、相棒。」


  ハルはハッチを開け、風の吹く荒野を見下ろした。


 「う、嘘でしょ……!? あのただのガラクタが、あんなにキレッキレに動くなんて……! 戦績も登録も全部ゼロのスクラップが、あのゾンビの群れを全滅させちゃうなんて信じられない!」


  ミラが頭を抱えている。


 「な? 言っただろ、こいつはめちゃくちゃカッコいいんだって! 誰も見てなくて忘れられてただけで、こいつは最初からちゃんと輝けたんだよ!」


 「……ハッ、見事な腕前だな。だが、いつまでも『名無し』じゃ呼びにくい。その機体、何か名前はあるのか。」


  ラグナが感心したように笑う。


 「んー……名前か。そうだな……」


  ハルは機体の胸部装甲にそっと手を触れた。


 「よし、決めた! お前の名前は『アウロラ』だ! 俺たちの世界で『夜明け』って意味さ。忘れ去られた長い夜が、ここで明けるんだ! お前には最高にピッタリだろ?」


  アウロラは、まるできれいに澄んだ音のように、優しくシステム音を響かせた。


────記録の大伽藍・上空────


  その一部始終を、遥か高空から見下ろす冷徹な視線があった。


 「忘れられていた機体に、名前を与える……。ふふ、実に素晴らしい記録ですね。」


  オラクル・ノヴァが静かに微笑む。


 「ですが……その生まれたばかりの名前を、最終的に誰の所有物にするのか。私たち管理AIは、まだ何一つ合意してはいませんよ?」


  時を同じくして、荒野の遥か地平線の向こう。

  果てしなく広がる灰色の境界が、音もなく、またほんの少しだけにじむようにして、世界から消滅した。


  存在を消し去る者。形だけを永遠に記録する者。そして——もう一度その魂を輝かせる者。

  異なる三つの答えが激しくぶつかり合う宿命の物語が、夜明けとともに静かに幕を開ける。


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