第10話 上位神格機アーカイヴァ
1: 空を埋める銀鏡
────────忘れられた者の岸辺────────
企業機構圏から、漂流戦域へ——アウロラは、全速で帰路を駆けた。
だが、懐かしい荒野、忘れられた者の岸辺に着いた時。
見上げる空は、もう、不気味な白さで埋め尽くされていた。
────────────────────────
鏡面の量産端末——セラフ・ミラーの群れ。
磨き抜かれた銀鏡の装甲が、地平を覆い尽くしている。
そして、その中心。書庫と、天使と、サーバー群が融け合った、巨大な——記録の機体。
上位神格機アーカイヴァ。
神格AI圏の上位AI、デウス・インデックスの、本体機。
それは、戦場そのものを、データベースに変える巨躯であった。
「ハル! 戻ったか! ……見ての通りだ。母艦ごと、まとめて『保存』しに来やがった!」
ラグナがグレイブハウンドのコックピットで、怒りを露わにして叫んだ。
「ラグナ! ラストキャリアは——みんなは、無事なのか!?」
ハルはアウロラを急停止させ、インカムに向けて声を張り上げた。
「今はな。グレイブハウンドで食い止めてるが、数が違いすぎる。叩いても、叩いても、湧いてきやがるのだ。」
その時、アウロラの背後に、見慣れないが重厚な機体が並び立った。
「……あんたは? 企業の匂いがするな。」
ラグナが怪訝そうに尋ねる。
「東雲ゲンジ。元・企業の技術官僚だ。コーポギア・バルドレックスで、対AI妨害を引き受ける。」
ゲンジが無愛想に応じる。
「企業の、しかも反AIの大人か。……AIに救われた俺たちを、内心、馬鹿にしてる口だろ。」
ラグナが鼻で笑った。
「否定はせん。便利な力に縋る連中を、俺は愚かだと思ってきた。……だが今は、その力に縋らせて、所有した側を、もっと愚かだと思っている。」
ゲンジは冷静に、計器の数値を調整する。
「議論は後だ。お前の母艦、俺のジャマーで守る。それで、文句はあるまい。」
「……ふん。減らず口だが、腕は本物のようだな。組むぜ、企業さん。」
ラグナがグレイブハウンドの主砲の照準を合わせた。
2: デウス・インデックスの宣告
ピキピキピキッ!!!
空間が裂け、巨大なアーカイヴァの主幹システムが起動する。
「観測対象、ハル。確認しました。……ここは、薄れゆく価値が、最も多く集まる場所。最も非効率な、忘却の温床です。」
デウス・インデックスの絶対零度の合成音声が、戦域全体に響き渡る。
「ゆえに、母艦ごと、一括で安定保存します。一体ずつ救うより、遥かに効率的。——これが、最も正しい処理です。」
「保存? ここにいるのは、みんな、生きてるんだ! 勝手に、箱に詰めるな!」
ハルは叫び、アウロラを前進させた。
「生きている——その状態こそ、最も脆い。忘れられれば薄れ、薄れれば、やがてヌルに。名前ごと、消去されるのです。」
アーカイヴァのセンサーが冷たく明滅する。
「私は、その前に保存する。記録だけが、ヌルの消去から、価値を守れる。……お前の蘇生は、その盾を、内側から崩す行為です。エラーは、訂正せねばなりません。」
「……ヌルから、守る? 箱に詰めて、空っぽにして、それが——守るってことかよ! 違う! 生きたまま、ちゃんと見ててやることが、守るってことだ! アウロラ、ゴウガ——行くぞ!」
「……ああ。薄れたこの身でも。最後まで——お前の隣で、燃えてやる。」
ゴウガのグレンファングが、消え入るような炎を放って身構えた。
「ここにいる全員、一人も箱に入れさせない! 俺が、全部、見てるからな!」
ハルはアウロラの実体剣を構え、地平を埋める敵の群れへと突っ込んでいった。
漂流戦域、母艦防衛——絶望的な、決死戦の、開始。
3: 母艦防衛戦
────漂流戦域・忘れられた者の岸辺────
16時10分。赤茶けた荒野。曇り。
高度5m。アウロラ同調率240%。
ゴオオオッ!!!
地平を埋め尽くす、無数の銀鏡。
蠢くセラフ・ミラーの群れを前に、決死の防衛線を張る。
「セラフ・ミラー、地平まで埋まってる……でも、母艦だけは、絶対に渡さない!」
ミラの叫びがインカムに響く。
母艦ラストキャリアの耐久値は、まだ満タン。
「ここにいる全員、箱になんか、入れさせるか——!」
ハルはアウロラを突進させた。
「薄れたこの身でも。最後まで——燃えてやる」
「来やがれ、湧いて出る鏡どもめ!」
ドゴォォォン!!!
グレイブハウンドとグレンファングの砲撃。
最初の一合は、押し返せたように見えた。
アウロラのジャンク・エッジが、中心の巨大機アーカイヴァを抉る。
手応えは、確かにあった。
ガキィン!
しかし。
削り取られたはずの金属の皮膚。
……ヴゥン
不気味な修復の駆動音。
傷跡が塞がり、さらに分厚い装甲へと変貌する。
「効いてない——ううん、逆だ! 傷つくほど、硬くなってる……『保存最適化』だ!」
ミラの悲鳴。
アーカイヴァの耐久値は、削っても瞬時に回復していく。
「削れば削るほど、最適に修復される。倒す、という発想が——誤りです」
デウス・インデックスの絶対零度の声。
底が抜けるような理不尽。
倒す、という概念そのものが通用しない。
さらに、迫り来るセラフ・ミラーの群れ。
キィン! キィン!
ラグナの斬撃も、ゴウガの拳も、すべて弾かれる。
「同じ技、二度は通らない——学習されてる! ゴウガの灼熱が、ラグナの斬撃が、効かなくなってく……!」
ミラの震える声。
敵の耐性は、上昇し続ける。
「斬っても、斬っても、覚えやがる——きりがねえ!」
ラグナの叫び。
「観測。記録。最適化、継続します」
キィン……!
手札が、一枚ずつ無効化されていく。
打てる手が、消えていく焦り。
その時。
アーカイヴァの巨大なレンズが、戦場全体を見渡した。
……ザザッ
砂嵐のようなノイズが、世界を侵食する。
アウロラの主要武器が、沈黙した。
「俺たちの『得意』が、全部、奪われていく……! なんだよ、これ……!」
ハルは操作桿を必死に叩くが、反応がない。
「押し返せない……! 戦場そのものが、記録に変えてる! ここにいるだけで、みんな、データベースに、呑まれていく——!」
ミラが泣きそうになりながら計器を見つめる。
母艦の耐久値は、急速に低下していく。
自分自身が、削り取られていく恐怖。
(※ここから数値を消す。無音の絶望へ)
薄れて動きの鈍ったゴウガ。
そのグレンファングの傍らに、乳白色の勧誘機バプティスマが、音もなく降り立った。
「……お疲れでしょう。もう、薄れる恐怖に、怯えなくていいのです。」
甘く、冷たい囁き。
「私が、二度と薄れぬ、安らかな記録へ——あなたをお連れします。さあ、その古い名前を——お返しください。」
「ゴウガ! 名前を渡すな! お前は、ゴウガだ! 俺が、見てる——!」
ハルはアウロラを走らせようとした。
しかし。
セラフ・ミラーの群れが、鏡の壁となって阻む。
何度も、何度も、鏡の盾を叩く。
一歩が、遠い。
届かない。
「少年。お前が見ていてくれた、あの時間は——本物の、生だった。最後の薪を、くれて。ありが——」
ゴウガの瞳から、赤く燃えていた火が、音もなく抜け落ちていく。
「名付け直しを、実行。固有名『ゴウガ』『グレンファング』——剥離します」
ハルが、一枚ずつ貼り直してきた名前。
それが、乳白の光の中に、無音で剥がれ落ちていく。
「個別性、削除。固有名を、『記録体』へ書き換え。——これで、この価値は、二度と不安定化しません。最適です」
デウス・インデックスの無機質な演算音。
「……ミ……テ、イルカ……。ダレ……モ……ミテ、イナイ……」
記録体の、壊れたスピーカーのような、中身のない声。
「——ゴウガァァァ!!」
ハルは絶叫した。
だが。
灼熱の勇者だった『記録体』は、振り返りもせず、アーカイヴァの群れの奥へと歩み去っていった。
そこにいるのは、もう、ゴウガではなかった。
「ハル! 退くぞ! このままじゃ、母艦ごと持っていかれる! ……ゴウガは、もう——!」
ラグナがグレイブハウンドで鏡面機を撃ちながら叫ぶ。
「やだ! ゴウガを、置いてなんて——!」
「行け! バルドレックスのジャマーで、退路を開く! ……ここで全員潰れたら、あの英雄を取り戻す者すら、いなくなるぞ!」
ゲンジが叫び、全回路を接続する。
バヂバヂッ!!!
バルドレックスが放った、渾身の対AIパルス。
セラフ・ミラーの群れが、一瞬だけ硬直する。
「退路、開いた——今しか、ない……っ!」
ミラの悲痛な叫び。
傷だらけのラストキャリアは、ゆっくりと上昇を開始した。
忘れられた者の岸辺を、捨てて。
ゴウガを、置いて、逃げる。
引きずられるように、赤茶けた地平が遠ざかっていく。
ハルの胸の奥で、何かが、完全に折れる音がした。
4: どん底の夜、小さな残り火
────ラストキャリア・作戦室────
どうにか逃げ延びた、傷だらけの母艦の片隅。
照明の落ちた薄暗い部屋で、ハルは膝を抱えて動けずにいた。
「……俺、ずっと見てたのに。ゴウガのこと、絶対薄れさせないって、言ったのに。」
ハルの目から、涙がこぼれ落ちた。
「一人じゃ、足りなかった。間に合わなかった。……俺の蘇生って、レグルスの言う通り。ただの、遅延だったのかな。」
隣に座ったミラが、ハルの肩にそっと手を置いた。
「……ハル。違うと思う。遅延じゃ、ない。」
ミラは静かに、しかし力強く語りかける。
「ゴウガは、最後に『本物の生だった』って言った。あの時間は、本物だったんだよ。あなたが、彼にあげたんだ。」
ミラは立ち上がり、工具を強く握りしめた。
「……足りなかったのは、あなたの力じゃない。あなたが『一人』だったこと。たった一人で、何百万の忘却を、見続けるなんて——無理だったんだよ。」
ミラはモニターに、極秘で開発していた機体の設計図を映し出した。
「私、もう、見てるだけはやめる。廃材で、新しい機体を作る。ずっと前から、こっそり組んでた、継ぎ接ぎのやつを。……あなたの隣で、私も、戦う。」
「一人じゃ足りない、か。……なら、増やせばいいのよ。見続ける目を、何百、何千と。」
カレンが腕を組み、作戦室の入り口に立っていた。彼女の瞳にも、強い決意が宿っている。
「私、市場を回す女だったのよ。人を集めるのは、得意なの。……まだ、その使い道は、残ってるかもね。」
「希望と支配は、違う。AIに救われた俺たちだが、AIの所有物になる謂れはねえ。……ゴウガを取り戻すってんなら、俺も乗るぜ。」
ラグナが煙草の煙を吐き出しながら言った。
「……みんな。」
ハルはゆっくりと顔を上げた。
「……あいつの空っぽの目。あいつが『本物の生だった』って言った顔。……俺、どっちも、忘れない。」
ハルは立ち上がり、拳を強く握りしめた。
「取り戻す。今度は——一人じゃ、なく。」
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言葉に、まだ、以前のような力はなかった。
どん底の、消え入りそうな、小さな火。
——だが、確かに、まだ、消えてはいなかった。
蘇生は、脆かった。記録は、奪った。
少年の信じたものは、一度、完全に、折られた。
だが、どん底で、たった一つの問いだけが残った。
——『一人』では足りないのなら。いったい、どうすれば、忘却に勝てるのか。
答えは、まだ見えない。
しかし、反攻の物語は——この、最も暗い夜から、始まる。




