第二十二話 影の綱引き1
二人が教会に戻ると、門前にひときわ姿勢のよい影が立っていた。
ヘルムートだ。二人に気づくと、彼は深く頭を下げた。
「おかえりなさいませ。せめて一人でも護衛はおつけください、エミール坊ちゃん」
「……もう『坊ちゃん』って歳でもないだろ」
エミールは肩をすくめ、困ったように笑った。
「久しぶりだな、ヘルムート」
「お久しぶりでございます。今は、アウグスト様の近衛を仰せつかっております」
「そうか。長旅、ご苦労だったな」
エミールが声をかけると、ヘルムートは再度深く頭を下げた。そのやり取りの間に漂う、どこか親しい空気が気になり、アウグストは二人で教会の中へ入ったあと、ぽつりと尋ねた。
「兄上はヘルムートをご存知なのですね?」
「ああ、幼い頃、俺の近衛で剣術を教えてもらったりもしたからな」
(兄上の近衛……)
思考の隅にひっかかるものを覚えながら、二人は応接室へと入った。アウグストが穏やかな笑顔を浮かべて場をつなぐ一方、エミールは報告を淡々とこなす。
しかし、アウグストの心は、先ほどの一言にとらわれ続けていた。
(……剣術を教えてもらったということは、革命から少なくとも十年は経っているか……)
「申し訳ないんですが、まだルーシュは戻ってなくて……こちらでお待ちいただけますか?お茶をご用意しますね」
先ほど紹介された修道女が気を遣って声をかけてくる。そんな声がけに「お構いなく」と返しつつ頭の中は思考に支配されていた。
(嫡男の近衛なんて、素性が不明な割に重要な役職だよな……)
そんなことを考えていたせいか気が抜けてしまった。
「それでは、私は自分の仕事に戻りますね」
そういって立ち去ろうとするエミールに声をかけていた。
「あ、兄上。もう少し話が……」
(あれ、『兄上』って呼んでよかったんだっけ……?)
一瞬静まりかえる空気に口を塞ぐ。今から訂正しても取り返しはつかないだろう。
顔を上げると、やれやれといった表現で微笑むエミールと目が合った。
「別に構わない。話なら私室で聞こう」
そういって、回廊を進むエミールの後を追った。
*
私室は質素なものだった。木製のベッドに、小さな机と椅子、脇にチェストが一つ。必要最低限のものしか置かれていない。地方の教会であれば、これで十二分というところだろう。
「……兄上、申し訳ございません」
部屋に入るなり、アウグストは先ほどの失言を謝罪した。しかし、エミールは意に介したようでもなくアウグストに椅子を差し出し、自らもベッドの端に腰かけた。
「気にするな。最近は家のことで、ちょっと動きすぎたからな……どちらにせよ、時期にバレていただろう」
「家のことって、ラインベルク家のことですか?あれは、現地の従者に任せているのかと」
「まあ……いろいろな」
優しく微笑むエミールを追求はしなかった。
「で、話って?さっき十分話しただろ?」
「……ヘルムートについてちょっとお聞きしたくて」
「ヘルムート?」
意外そうに眉をひそめるエミールに、アウグストは銀重量の件、今朝の報告、そしてヘルムートの経歴に関する違和感を簡潔に語った。
「兄上は、彼がロイエンタールに仕える前にどこにいたか、ご存知ですか?」
「……そう言っても、一緒に過ごしたのは小さい頃だったからな」
エミールは後ろに手をつき、天井を見上げた。軋む音が静かに響く。
しばらくして、懐かしむような口調で呟いた。
「……そういえば、こんなこと言ってたな……」
***
明るい陽の光に照らされた広い庭。
汗だくで腰を下ろし、まだ舌足らずな話し方で口を開く。
「どうしたらもっと上手く倒せるんだろう」
「倒そうと思ってるうちは難しいですよ、坊ちゃん。剣術は大切なものを守るためにあるのですから」
「大切なもの?」
「そうです。あなたにも大切なものがあるはずですよ」
「……この領地の民……とか?」
ヘルムートは驚いたように目を見開いた後、優しく笑って、頭を撫でてくれた。
「エミール坊ちゃんは少々賢すぎますね。大人の求める答えを導き出す必要はないのですよ。まだ、あなたはこんなに幼い子供なんですから」
こんなこと言われたのは初めてだった。
「……じゃあ、おやつのメロンかな」
少し恥ずかしいと思いながらも告げると、大きな声で笑いながら同意してくれた。
「それはとても大切ですね」
何だか釣られて笑ってしまった。
「ヘルムートはどうしてこんなに強くなれたの?何を守ってきたの?」
その質問にヘルムートは遠くを見つめた。
「……そうですね……光、ですかね」
「太陽ってこと?」
「はは。まさしく、太陽みたいな人でしたね。あまり年齢も変わらなかったんですが、この命に代えてもお守りしたいと思った唯一の方でした」
「その人は今どこにいるの?」
遠くを見つめるその目は、その質問には答えてくれなかった。
***
「……あまり年の変わらない太陽みたいな人」
エミールのつぶやきに、アウグストが眉を寄せた。
「何ですか、それ?」
「ヘルムートが昔言っていた。命に代えても守りたい人って……今考えると、レオント家の王太子かもしれないな」
しっかりと身につけられた礼節とあの剣術の腕。そして、ロイエンタールへの仕官の時期──すべてが符合する。
「と、いうことは父上がヘルムートを使って遺臣側に何らかの援助をしているとか?」
アウグストが口にすると、エミールは半ば呆れたような表情を向ける。
「何でここで父上が出てくる」
「数か月前の調査団の件、兄上もお気付きですよね?陛下にも報告してないようですし……」
「あの人はタダで情報を売ったりしない」
「……ですが」
「そもそも、ロイエンタールが遺臣側について何の得があるんだよ?」
「……得、ですか……王権の奪取とか、レオント家への贖罪とか……」
エミールは完全に呆れた表情でため息をつく。
「あのなー、あの人は王権なんてものに興味はないし、戦を起こしたところで勝てる保証もない。勝算のない争いで領民を危険に晒すようなことはしない。あと、贖罪はあり得ない」
「なぜです?」
全否定されたことに少し不服そうにアウグストも言い返す。
「贖罪って革命のときにレオント家側に兵を出さなかったからってことだろ?あの人に忠誠心なんてないから、罪だなんて思ってない。確実に」
悔しいが何も言い返せず唇を噛む。
「いや、俺も最初は同じように考えたよ」
そんな表情を見たからか、エミールが軽く笑ってそう付け加えた。
「そんなことより、問題はヘルムートだな。おそらく何かを隠している。真意はわからないけど、ロイエンタールの臣下である以上、遺臣とこれ以上接触するのはまずい……」
「王権に敵対している、と思われかねませんね」
「呼び出して話を聞こう」
「でも、何も話さないかもしれません」
「もしそうなら……」
エミールの目が少し冷たくなった気がした。
「近衛から外せ」
「……そうしたら、もうロイエンタールにいられなくなりますよ」
「それでいい。ロイエンタールに不利益ならば、すぐに追い出す」
そういってエミールが立ち上がった。
「……しかし」
割り切れないアウグストにエミールが冷ややかな目線を向けた。
「俺たちが考えるべきはロイエンタールの利益だ」
そういうとエミールはヘルムートを呼びに部屋を出て行った。




