第二十一話 届かぬ祈り、揺れる水面2
回廊を進むと奥から話し声が聞こえてきた。ルーシュが真っ直ぐ扉を開け、その談笑に混ざっていく。
アウグストは「紹介してくれよ」と思いつつも、これが家族ってものなのかな、と実感する。
アウグストは、両親とも兄ともあまり同じ時間を過ごすことがなかった。お世話係はたくさんいたから寂しかったわけではない。でも、そこには明らかに主従関係があった。だから、その一般的にいう『家族』という感覚がよくわからない。
アウグストは一息吐いて、ルーシュの後に続いて扉の中に入った。
アウグストが室内に入ると空気が一変した。あの和やかな雰囲気はどこかに消え去り、皆が姿勢を正した。
「このような遠方の地へご足労いただきありがとうございます」
老齢の男が代表して頭を下げた。
アウグストはいつものように貴族の仮面を被る。
「ご連絡が直前になり申し訳ありません。ロイエンタール公爵家の次男、アウグストと申します」
老齢の男──グランツと名乗った──が他三人も紹介する。
「公爵家の方がこんな辺鄙なところまで直接視察に来られるとは……。何か問題でもございましたか?」
「いえいえ、変な気を回させてしまいましたね。友人の帰省に同行させていただいただけですのでお構いなく。村内は後でルーシュに案内してもらいます」
適当な理由を述べる。
通常、こんな理由で公爵家の者がわざわざ遠方の小さい村を訪れたりはしない。だが、立場を考えたら、この無理のある理由にわざわざ突っ込んでくる者はいないだろう。ただ一人を除いて。
その時、教会の裏側に通じる扉が思いっきり開けられた。そこには見たことのある顔があった。
「ルーシュ!久しぶり!」
その元気な声の主と目が合った。王都で何度か顔を合わせたルーシュの想い人。
「王都で何度かお会いしましたね」
アウグストは笑顔を絶やさず、また丁寧に挨拶をした。
エルザも一瞬バツの悪そうな表情をしたが、気を取り直して、小領主の娘らしく挨拶をする。
ルーシュがここにきた目的は、彼女からの『直接渡したいものがある』との手紙。アウグストもそれが気になっていた。
ルーシュがエルザに声をかける。
「一泊しかしないんだけど、この後大丈夫?」
「大丈夫なんだけど……」
エルザはアウグストの方を見て言葉を止める。そして、またルーシュに視線を戻して言う。
「二人だけで話したい」
ルーシュはちらっとアウグストを見てから答える。
「わかった。アウグスト、悪いけど適当に時間潰してて」
そして、アウグストが引き留める間もなく、ルーシュは部屋を出ていった。その行動に呆然としていたアウグストにグランツ司祭が声をかけた。
「申し訳ないね、うちの子が。村内は、そうだな……エミール、君が案内してあげなさい」
声をかけられたエミールは苦笑いを浮かべつつも、司祭のご指名なので、素直に了承した。
仕方なくアウグストとエミールは共に教会を出た。入口に停まる馬車の横で待機していた護衛が声をかける。
「アウグスト様、お出かけですか?」
顔を上げながら側の男に気付き頭を下げる。
「……エミール様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「ああ、久しぶり。今からちょっとアウグスト連れてくけど君たちはついてこないでね」
「……しかし」
戸惑う護衛の腰をエミールは指差す。
「この村でそんな立派な剣持ってるとみんな怖がっちゃうからさ。じゃ」
そう言ってエミールは麦畑に向かう道を歩き始めた。
少ししてからアウグストが口を開く。
「司祭様は兄上のことをご存知で?」
「ああ、流石にな。名前を見てるはずだし」
そんな気のない返事の後に続ける。
「じゃあ、あんな意味不明な訪問理由を述べたわけだし、村ぐらいちゃんと回るか」
アウグストは苦笑いするしかなかった。
そのやり取りの後は特に会話のないまま、村の中を順々に見て回った。
村民と仲良く会話するエミールをアウグストは遠巻きに見る。
(あんな顔もするだな……)
幼い頃に兄と過ごすことはなかった。物心ついた時にはもう家には住んでおらず、式典などの行事でだけ会うようになった。お互い貴族の仮面を被った姿。心の内など微塵も見えなかった。
兄はいつでも微笑んでいた。冷たいとは感じなかったが、何を考えてるかわからず、怖いと感じたことはある。仮面が外れなくなってしまったかのようで。
村を一通り見終えると、二人は最後に教会裏の湖を訪れた。
「湖面に太陽光が反射して綺麗だろ?」
水際まで歩いたエミールが振り返ってアウグストに話しかける。
「夜は星も綺麗だぞ。空が広くて、自分の小ささを自覚する……」
アウグストはまだ太陽の輝く空を見上げた後、無言のままエミールの隣まで歩を進めた。
「……兄上はいつ家に戻るのですか?」
「時期に戻る。おまえは心配しなくていい」
こんなに遠くにいるのに、父上の信頼を得続けている兄を羨ましくも思う。
エミールは湖の辺りに腰を下ろした。そして、アウグストも座るよう手招きする。
「……兄上は、何でこの村にいるんですか?」
「おまえは何でここに来たんだ?」
質問に質問を返された。
「……ご想像のとおりだと思いますけど」
「なら、俺も同じ理由だよ」
エミールが近くにある小石を掌に乗せた。
「結局、俺たちは掌の上で転がされてるんだよ」
そう言うと、手にした小石を湖に投げた。湖面に波紋が広がる。
「ということは、兄上も陛下から?」
エミールはその言葉に驚いたのかアウグストに目を向けた。
「……おまえ、陛下からの指示なのか?」
「元を辿れば父上からですけど、直接的な指示は陛下からです」
「……なるほど」
そう呟くと、エミールは顎に手を当ててしばし考え込む。そして、納得したのかエミールは軽く笑いながら立ち上がった。
「まあいい……危険なことはするなよ」
エミールの声がいつも以上に優しく響いた。
今のアウグストには、その優しさが辛かった。うまく仮面を被り切れない逡巡な心には。
アウグストの口から無意識に声が漏れていた。
「……兄上、俺……」
その言葉を遮るように、エミールはアウグストの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なっ……やめてください!」
面倒そうに手を払いながら、アウグストも自然と笑っていた。
やがて風が湖面を撫でてゆく。揺れる水面に映る空は、ただ青く、静かだった。




