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第二十話 届かぬ祈り、揺れる水面1

 翌朝。馬車は軽やかな車輪音を響かせながら、グリュンヴァルト村への道を進んでいた。

 次第に鉱山の冷たい岩肌は遠ざかり、道端に咲く野の花や、石垣の間に実をつけた果樹が目につくようになった。馬車が小さな橋を越えるたび、川面の光が揺れ、ようやく「生活の匂い」が戻ってきた気がした。

 アウグストは釈然としない顔で外を見つめていた。

 アウグストは、無言のまま馬車の窓辺に寄りかかっていた。今朝、ヘルムートから受けた報告は、肩透かしと言えばそれまでの内容だった。

 ──昨夜の件、手応えはなかったという。

 それ自体は想定内だった。そんなに都合よく情報を持っている人物に接触できるとは思っていないし、そもそも銀の重量差自体、人為的なものではないのかもしれない。

 だが──彼にしては、随分と簡単に引き下がってきたな、と思わずにはいられない。


「……だからと言って、身内を疑っていると悟られるのも面倒だしな」


 無意識に漏れた言葉に、向かいの席で本を読んでいたルーシュが顔を上げた。


「なんか言ったか?」

「いや、何でもない。もうすぐ着くな」

「だな。なんか懐かしい空気を感じる」


 ルーシュは窓の外に目を細め、頬を緩めた。その横顔に、アウグストは少しだけ目を細める。


「そういえば、アウグストはフィンケル家の邸宅に泊まるのか?」

「いや、教会の予定だけど?」

「じゃあ、僕の部屋泊まりなよ。使ってた個室がそのままのはずだから」

「いいな、それ。寮の時を思い出す」


 口にした瞬間、喉の奥に言葉が引っかかった。最近──こうした何気ない言葉や笑顔が、逆に苦しい。

 温かさが、仮面の内側に滲んでくる。それは錯覚かもしれないけれど、まるで友人との旅のように錯覚しそうになるのが、いっそ怖かった。

 アウグストは一度大きく息を吐き、前を向き直した。


***


 村の小領主、ゲオルク・フィンケルに形式的な挨拶を終え、彼らは教会へと足を進めた。


「荷物、集会所に運んでいいか?」

「大丈夫だと思う。あっちの建物ね」


 ルーシュが教会の横にある石壁の建物を指差す。装飾の少ない壁面はところどころ緑の苔に覆われて空に伸びていた。


「こんな小さい教会初めて見た?」

「いや。ロイエンタール領にもたくさんあるよ」

「まあ、そうか」


 ルーシュは微笑みながら教会の時計塔を見上げた。


「なんか嬉しそうだな」

「そりゃあね。ここが僕の『家』だから」


 アウグストも釣られて時計塔を見上げる。

 ──家。それを、そんなふうに言える顔があるのか。アウグストは、今までそんな感情を持ったことがなかった。


「さ、中入ろう!」


 ルーシュが満面の笑みで振り返り、アウグストの腕を掴んだ。


「ちょっと待って」


 アウグストは振り返り護衛の一人に声をかける。


「中は付いてこなくていいから」

「かしこまりました。外出の際は声をかけてください」


 アウグストは頷きルーシュの後に続いた。

 談話室に向かうかと思ったが、ルーシュは聖堂の中に入った。


「この建物、ちょっと変わってるだろ?元からあった木造の祈り場を改築してるから、木造と石造りが混ざってるんだよ」


 ルーシュが懐かしそうな嬉しそうな顔をしながら説明する。


「あのステンドグラスから入る鮮やかな光が聖堂の中で揺れるのが、なんか温かくて好きだったなぁ」


 アウグストはルーシュの指差すステンドグラスを見上げた。

 ルーシュは次に、聖堂内の一つの席に腰を掛け微笑んだ。


「ここが特等席。ここから見る振り子時計が好きなんだよな」


 自然と二人して祭壇の上の振り子時計を見つめた。

 規則正しく揺れる振り子を見て、祈りの言葉を静かに口にする。


「ふふ、そろそろ奥行こっか」

「そんなに家に帰れて嬉しいかよ」

「まあ、それもあるけど……」


 ルーシュが振り向く。


「アウグストと一緒に来れたことが嬉しいよ」

「……」

「ほら、友達と自分の好きなもの共有できるの嬉しくない?」


 その言葉に、アウグストは返す言葉を見つけられず、軽く微笑むことしかできなかった。


(頼むから……そんな真っ直ぐこっちを見ないでくれよ)


 ルーシュを追う一歩がいつも以上に重く感じた。


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