第68話 (今の志藤君なら、私でも倒せそうな気がするわ)と先輩は心中で呟いた
~前回までのあらすじ~
元勇者、圧倒的な力!
魔討隊隊士、連携通じず。
元勇者、戸惑い、悩む。
「さて、怪我のこともあります。早くこの場から離れましょう」
倒れ伏している三人の退魔師たちが起き上がる気配を見せないことを確認した怜士は、振り向きながら琴音に提案した。それを受けた琴音は、ただ黙って首肯した。
「じゃあ、善は急げってことで」
魔力を込め、怜士はストレージリングから幻影の外套を取り出し、素早く身に纏った。そのまま琴音に近づくと、怜士は彼女をおもむろに抱きかかえた。琴音をその外套で覆い隠すようにして包み込んでいる。
「な!? ちょっと!!」
(ぬふうぅっ!?)
いつもは冷静でクールな琴音である。しかし、流石にそんな彼女であっても、男に急に抱きかかえられるようなことがあれば、赤面や動揺くらいもする。少しだけ暴れた琴音の肘が怜士の鳩尾に見事に命中したが、怜士はグッと痛みをこらえた。そして、苦い表情のまま、怜士は小さく、囁くように琴音に話し掛けた。
「……治療を先にしたいところですけど、工場の屋上に人がいます。恐らく、魔討隊の退魔師です。加勢をしなかったところを見ると、情報収集や監視が任務だと思います」
「……!!」
怜士の言葉を聞き、琴音はすぐに冷静になった。大きな声を出して聞き返さなかったことは良い評価点だ。下手に声を出し、監視者とやらに些細な情報でも与えると、後々面倒なことになる。ここは、怜士に委ね、一刻も早くこの場から離脱することが望ましいと琴音は考えた。
「未だに襲う気配すら見えないんで、戦闘は任務の外ですかね? まあ、だったら好都合。このままスッと逃げましょう。しっかりと掴まっててくださいね」
「ええ。お願い」
怜士は少しの魔力を込めると、幻影の外套の効果を発動した。同時に、琴音は彼の腕をギュッと強く掴む。怜士はその脚力を存分に発揮し、疾風の如く、凄まじい勢いで工場跡地を離脱した。二人の姿は、傍から見ると、まるで煙のように一瞬で消え去ったように見えた。
銀仮面の男としての活動に欠かすことのできない幻影の外套は、一定時間だけ姿を隠すことができる。加えて、気配や魔力もほぼ完全に遮断できるため、超一級の隠匿アイテムと言える。今の怜士と琴音のように、使用者が外套内に対象を納めることができれば、その対象物も隠匿の範囲内となる、非常に融通の利く、ご都合仕様だ。ただし、連続稼働時間が三分、再使用までに一時間を要するという欠点がある。
(うん。三分もあれば、大丈夫!)
幻影の外套の欠点も、怜士の異常な膂力の前では些細な事柄であり、タイムリミットまでには望んだ場所へ向かうことができる。今の怜士を追うことなど、誰にも叶わない。怜士は、自分にしがみつく琴音の体温を感じると、その踏み出した一歩に更なる力を込めた。
「何だ、何だ? 何かゴニョニョ話してると思ったら、突然居なくなった!? まあ、十中八九、逃げたんだろうけど! こうも何の痕跡を残さないモノなのか!?」
怜士が琴音を抱きかかえ、姿を消して離脱を計ったその瞬間、工場跡地の屋上の物陰から、一人の男がひょっこりと顔を出した。キョロキョロと辺りを見回すが、すぐに溜息を吐いて、何かを諦めたかのように、男は肩の力を抜いた。
(二人の霊力が少っしも感じられない。抑えたとかそんなレベルじゃない。文字通り“消失”したって言った方が正しいか?)
廃工場の屋上にいる、中肉中背で、丸い眼鏡をしたその男。彼は怜士の読み通り、魔討隊の別部隊の隊士で、情報収集の役目を負っていた。
(もしかして、こっちに気付いていたか? だとしたら、あいつは相当な実力者だ。いや、それは今更か。実力が無いはずがないな。諏訪野君たちをあんなに簡単に倒したんだ。当然と見るべきだなあ。逃げられはしたけど、戦闘記録は撮れた。それで良しとしようか)
予め持ち込んでいた専用の録画機器に先程の戦闘の様子を記録することができたようで、彼に与えられた任務はひとまず達成である。
「フウ」と一声発した丸い眼鏡の男は、手近にあった柵に両手を掛け、下を向いた。
「あいつの正体に迫れるようなデータでも取れれば良かったけど、そいつは高望みか。とりあえず、迅雷のお馬鹿さんたちの、諏訪野君たちの回収、急ぎますかあ……」
男は左手でクイっと眼鏡を上げると、屋上から飛び降り、辺りから聞こえてきたパトカーや消防車のサイレン音を背にして歩み始めた。
幻影の外套の効果が切れるよりも前に、怜士は目的の場所に到着した。幻影の外套を脱いだ怜士は「降ろしますね」と一声かけ、抱きかかえていた琴音をゆっくりと、丁寧かつ慎重に地面に降ろした。
「ここは? 見たところ、普通の民家みたいだけど」
見慣れない場所に連れられたため、やや警戒しながらぐるりと辺りを見回す琴音。彼女の言う通り、今、二人はとある民家の玄関先にいる。
「この普通の民家は我が家です。退避するのに、素早く、迷わずに来れるのはここだけなんで」
限られた時間で琴音を連れられる安全な場所として真っ先に怜士の頭に浮かんだのは自宅だった。自分の家なら、経路が頭に入っているのは当然で、迅速に移動できる利点がある。怪我をしている琴音を連れて知らない場所へ無理に逃げ込むより、余程良い。いざとなればシルヴィアに護りを任せ、怜士自身が迎撃に向かうこともできる。
「さあ、中に入りましょう。まずはその怪我を治さないと。俺なんかより、ずっと速くて丁寧に治療ができる、回復の専門家がいますから」
「専門家?」
怜士が言う専門家というのが一体誰なのか、見当もつかずに首を傾げている琴音を余所に、怜士は彼女の手を優しく引き、玄関の扉を開け、家の中へ入った。
「おーい、シルヴィア! ちょっといいかな? 力を貸して欲しいんだ!」
玄関先から大声で叫ぶ怜士の声に反応し、驚いた様子のシルヴィアがリビングの奥から出てきた。真奈美は、リビングのソファから動こうとせず、様子を窺うように、顔だけを向けている。
「レイジ様! 先程は急に飛び出していったと思ったら一体どうされたのですか!? それに、あの魔力の放出……。やはり、戦闘を?」
怜士が戦闘を行ったことは、彼の魔力の放出によって明らかだった。二年間も共にいたシルヴィアだ。怜士の魔力が判らないはずがない。
「ああ、その通りなんだ。順番に話すよ。それよりも今は——」
「あら?」
怜士に事情の説明を求めるシルヴィアだが、彼女の視界に漸く、怜士が連れている女性の存在が映った。
「そちらの方は、確か先日お会いした………………あの、どうして手を繋いでいるのでしょうか?」
「へ?」
「怜士に何か大事があったのではないか」と心配をしていたシルヴィアの表情には驚きや不安、動揺の色が見えていたが、そのような表情は一瞬で完全な無へと、極めて自然に移り変わった。
「どうして手を繋いでいるのでしょうか?」
「は、へ?」
その言葉には一切の温度が無く、全く同じ調子で紡がれる。シルヴィアの言葉に怜士は戸惑いを隠せない。冷や汗すら垂れ流している。
「どうして手を繋いでいるのでしょうか?」
「いや、これは先輩を家の中に一刻も早く入れるために手を取っただけで、そんな、手を繋ぐなんてつもりは欠片も無くって……」
琴音も、目の前にいる金髪の少女に会ったことを確かに記憶している。怜士を妖魔討伐に連れ出すのに、面倒な誘導を仕掛けたことが印象的だ。その際、接した時間は数分程度だが、彼女が怜士を心から好いており、そこに凄まじい執着があることを十二分に感じ取った。
(彼が言うように、たかだか私の手を引いただけじゃない。そんなことで目くじらを立てて……いえ、それくらいこの子は志藤君を想っているということか)
手練れの退魔師三人を難無く退けるほどの実力を持つ怜士が、恋人の迫力に圧倒されて、タジタジになっている姿を見た琴音は唖然とした。
(不思議ね。何故かしら? 今の志藤君なら、私でも倒せそうな気がするわ)
琴音は、自分を救ってくれた恩人を、随分と軽んじて見てしまった。
更新が遅くなりました。すみません……。
体調管理には気を付けましょう!
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