第64話 「魔討隊の皆さんが何か御用ですか?」と先輩はわざとらしく尋ねた
~前回までのあらすじ~
元勇者、自分がするべきことに気付かされる。
幼馴染、デレる。
元聖女、チャンスを逃した。残念。
怜士が住む町の西端にある、中規模の商店街から一本奥の道へ入った住宅街に、二階建ての木造アパートがある。周りの家は一軒家が多く、その大半は新築だ。それ以外の民家も、新築とまでいかずとも、建造から比較的時間は経っていないように見える。それ故、このアパートは周囲からやや浮いているように感じられてしまう。「レトロ」と言えば、聞こえがいいかもしれないが、開発の進んでいる一帯の中では実に異質だ。
そんな古めかしいアパートだが、度重なる増改築によって、部屋の中はそれなりに近代的な設備も整い、見た目とは裏腹になかなか住みやすいと、住民達には評判のアパート。また、駅からは離れているためか、家賃も相場より安い。このアパートの一室を借り、一人暮らしをしているのが、和泉琴音だ。
この日の夕刻、和泉琴音は部屋の中で佇んでいた。その手にはスマートフォンが握られている。その画面にはメールフォームが開かれている。
(『鳴滝町の廃工場を住処に活動する妖魔を討伐せよ。期限は本日中とする。』か……)
琴音は妖魔討伐の指令を受けていた。スマートフォン画面には、簡素な文章と妖魔の住処とされている廃工場の住所の地図が載ったURLが添付されている。
「いつも通りよ。やってみせるだけ」
そうやって自分に言い聞かせるかのように小さく呟くと、琴音は戦闘装束でもある巫女服へと着替え始めた。
着替えを終え、指定された工場跡へ向かうために部屋の明かりを琴音が消したその時、妖魔を祓ってみせるという強い決意を滾らせるその瞳が一瞬だけ、揺らいだ。
(鳴滝町の廃工場。確か、十年前に工場の経営が上手くいかなくて潰れて以来、取り壊すこともなく、そのまま残り続けている。最初こそ、近所の子どもの遊び場になっていたけど、次第に暴走族たちの溜まり場になって、普通の人は近寄ることもしなくなった……はずよね)
今回の琴音の妖魔討伐の目的地は、琴音のアパートから徒歩圏内だ。そんなことを考えながら琴音は、工場の敷地内に足を踏み入れた。
工場内を歩く琴音の眼には、スプレー缶の類で落書きをされた壁、割られたガラスの破片、無造作に捨てられた菓子の空き袋や酒類の瓶と缶などが映った。中には、壊れているだろうが、悪趣味な改造が施されたバイクも放置されている。やはり、噂通りに暴走族の溜まり場になっていたらしい。
少し奥へと進むと、琴音は足を止めた。琴音は屈んで、地面にできている“血溜まり”の跡をじっと見た。
(人気が無いことを良いことに、この廃工場へやって来る輩たち。妖魔にしてみれば、餌の方から勝手に集まって来るってことね)
琴音の前にある血溜まりは、間違いなく人間の血だ。乾き具合から、それなりの日数は経過している。辺りを見回すと、ここを溜まり場にしていた暴走族のものと思われる衣服の残骸が残っている。それが何故、暴走族の衣服であるかという証拠も確かに在る。
「……分かり易いけど、今時、刺繍で『夜露死苦』なんて、馬鹿なのかしら?」
丁度、衣服の切れ端に見られた刺繡。持ち主の独特の古いセンスに呆然としていた琴音だが、それもすぐに振り払い、極めて真剣な顔つきになって立ち上がった。そして、持っていた刀の柄に手を掛けた。
「あら、こんばんは」
琴音の目の前には、猫の姿をした妖魔がいた。琴音は妖魔をじっと見つめ、暢気に挨拶をした。
廃工場を住処にしている野良猫などでは決してない。突然現れたこの猫を妖魔だと断定できるのは、その異常なまでの大きさだ。全高は、三メートルはあろうか。ライオンや虎すら可愛く見える不自然な大きさだ。何より、琴音たち退魔師が感じ取れる、邪悪な気、妖力が満ち満ちていた。
(あら? この猫さん、意外と大したことはなさそう。良く見積もっても七級程度か。爪を隠しているわけでもないようね)
琴音に対峙する猫型の妖魔の地力は、彼女の言うように高くはない。寧ろ、低いと言ってもいいだろう。それでも、何の力も持たない普通の人間では妖魔に抗うことすら出来ないのは確かだ。
「何だっていいわ。悪いけど、踏み台になってくれるかしら?」
琴音はゆっくりと抜刀し、その切っ先を猫の妖魔に向けると、抑えていた霊力を解放した。すると、猫型の妖魔は威嚇をしながら一歩二歩とすり足で後ずさった。今まで力を抑えていた琴音の実力を侮っていたのだろう。
フシュウウゥ!!
瞬間、猫型の妖魔は唸り声を上げると、身体を翻し、その脚力の全てを使って跳躍した。琴音を襲って彼女の霊力を喰らうためではなく、ただ逃げるために。己の力では返り討ちに遭うことを悟ったらしい。
「予想通りね。猫さん、逃げられると思った? そんな隙は与えない」
敵前逃亡を予想していた琴音は、霊力を解放した際、自身に身体能力を高める霊術を掛けていたのだ。持続時間は短いが、大きく上昇した身体能力は低級の妖魔をいとも容易く補足できる。逃げる猫型の妖魔にあっという間に追いつき、その背後をとった琴音は、霊力を込めた刀で妖魔を一振りのもとに絶ち斬った。すると、猫型の妖魔の身体は真っ二つになると、霧散するように消えていった。
(ふぅ……馬鹿な猫さんで助かったわ。でも、拍子抜け。上がこの程度の妖魔をわざわざ私に祓わせる? 何かあると考えた方がいい。一体だけでなく、何十、何百の個体がいるとか、本命の強力な妖魔がいるとか……)
琴音は納刀すらせず、そして、集中を切らさず、周囲の警戒に努めた。すると、すぐに彼女の予想はほぼ的中した。琴音の目の前に強力な、荒々しい気を放つ存在が出現したのだ。ただ、その正体は妖魔ではない。間違いなく、人間であるのだ。
「アアン? 例の仮面の奴、いねえじゃねえか」
「ああ、見たところ、此処にいるのは和泉だけだ」
「……なんだ、残念」
琴音は小さく舌打ちをした。
琴音の前に現れたのは、数にものを言わせた妖魔の大群でも、強大な力を持つ高位の妖魔でもない。右耳に大きなピアスを付けた男、プロレスラーのような体格の色黒の男、棒付きキャンディを舐めている男の三人だ。独特の装束に溢れ出す霊力。この三人は、琴音の嫌いな魔討隊の人間であることは明らかだった。
「魔討隊の皆さんが何か御用ですか? この場所を根城にしていた妖魔の討伐は私の任務ですよ? ついさっき、祓いましたが」
琴音は懸命に作った満面の笑みを浮かべながら、わざとらしく、懇切丁寧に魔討隊の三人に話し掛けた。
「アアン? ンなことは知ってる。それよりお前。この前、猛火の奴らと戦り合ったっていう変な仮面の奴は何処だ? 今日も一緒じゃねえのかよ」
「一体、何のことでしょうか?」
ピアスを付けた魔討隊の男の話から、琴音の予想通り、魔討隊が怜士の力に目を付けたということが明らかになった。琴音は、動揺することなく、平静を装って知らないフリをした。
「惚けなくていい。わざわざ、低級の妖魔を君に討伐させるようにセッティングすれば、例の仮面の奴も来ると思ったが、どうやら無駄骨だったか。まあ、いないのなら仕方がない」
色黒の男の言葉を聞いて、琴音は今までの笑顔から一転し、口を歪めた。
(成程。手応えが無さ過ぎると思ったら、そういうこと。私をだしにして、志藤君を誘き出すつもりだったのね。よくやるわ、本当に……)
琴音の危惧したように、怜士は魔討隊から目を付けられていた。怜士の正体を暴くためか、今回、琴音は怜士を釣るための餌としてあてがわれただけだったのだ。怜士がこの場にいなかったことには安堵を覚える琴音であるが、自分を体よく使われたことには憤りを覚えざるを得ない。
「今日は、退くしかないか」
色黒の男が静かにポツリと呟いた。
「え~? このまま帰るの!?」
色黒の男とは対照的に、棒付きキャンディを舐めている男は、まるで目当ての玩具がなかった子どものように不満を漏らした。この場に、件の銀仮面の男である怜士はいない。無駄足を踏まされたのだから、彼のこの反応は当然かもしれない。
「だから仕方ないだろう」
「アアン? 何だよ、わざわざ来たっていうのに、そりゃないぜ!?」
色黒の男は言い聞かせようとするが、いかにも血気盛んなピアスの男は納得がいかないらしい。
「そ~だ! 良いこと考えた!!」
今さっきまで膨れ顔だった棒付きキャンディを舐めている男は、パッと明るい表情で叫んだ。
「情報だと、仮面の奴って、和泉の子が攻撃を受けそうになったら怒って庇ったんだよね? だったら、和泉の子と遊んであげればそのうちやって来るんじゃない?」
「……そうだな。コイツが危なくなれば、勝手にやって来るかもな」
(はあっ!? この二人、勝手に何を言って……!?)
ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべながら、魔討隊の二人はそれぞれの得物を取り出した。棒付きキャンディを舐める男は二対の短剣を、ピアスの男は長槍を構えた。突然の臨戦態勢に、琴音の顔は引き攣っている。
「おいっ! 二人とも止めておけ! 俺たちの任務は謎の仮面の男の調査だ。和泉琴音に用などない。余計なことはするな!」
色黒の男は琴音に牙を剥こうとする同僚二人を止めるべく強く叫んだが、二人は全く聞く耳を持たない。
「るせえぞ! 仮面の男とコイツに何らかのつながりがあることは判り切ってんだ!! コイツに何かあれば、助けに来るだろっ!!」
「そうそう! 手ぶらじゃ帰れないでしょ!」
ピアスの男と棒付きキャンディの男は、否が応でも怜士をこの場に誘き出したいらしい。そのために戦いを強いられることになる琴音は、たまったものではない。
(嘘でしょう!? 滅茶苦茶よ、こんなの!! 魔討隊の人間相手に三対一。あの色の黒い人はやる気がないようだから実質二対一。いえ、それでも駄目ね。分が悪いとか、そういう次元の話じゃない。どうやって逃げるか……いえ、果たして逃げ切れるの?)
琴音の額には冷や汗が滲んでいる。彼女は無意識のうちに、少しずつ、少しずつ、後ずさりをしている。つい数分前に自分が祓った猫型の妖魔が、琴音の実力を感じて逃亡を図ろうとした時とまるで同じ構図だ。
「アアン? ビビってんのか?」
琴音の様子が先程までとまるで異なっていることにピアスの男が気付いた。
「ふうん、実力の違いくらいはちゃんと解ってるみたい。流石は和泉の子だね」
「安心しろ、あくまで俺たちの任務は銀仮面の奴の情報収集だからな。そいつが来るまでは死なねえように加減はしてやっからよ。でもまあ――」
刹那、言葉を紡いでいたピアスの男の姿が琴音の視界から消え去った。次の瞬間、ピアスの男の姿が突然、琴音の前に現れ、彼が持っていた長槍の刃先が琴音の頬をかすめた。
「お前が弱すぎて、勝手にくたっばっても責任は持たねえぞ、アアン?」
自分の頬から流れ出る血が思いの外、冷たかったことに琴音は酷く驚いた。
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