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これがゲームの世界ですか?  作者: 詩穂
死と再生の神 オシリス
115/115

I can be whoever you need me to be.

 ザァザァという雨音が響く。あの日美代子が事故にあった時もこうして雨が降っていた。 

 気づくと美代子は見慣れた横断歩道の上に立っていた。着なれた吊るしの服のモスグリーンの上着と長袖のTシャツにデニムのパンツ。全てがあの日のまま。


「…わたし。」


 雨が美代子の体を冷やしていく感覚で、美代子もこの世界の人間だと気づいた。そして、マティルドのことを思い出し、周囲を探すがどこにもいなかった。オシリスと出会えたのは良かったが、突然こうなるなんてどういうことだろう。

 美代子はなかなか歩き出せずにいた。


「おーい、風邪ひくぜ。」


 誰かに声をかけられて、思わず振り向いた。その時には傘の内側に入れられていた。声をかけた男は、黒髪に黒目で褐色の美丈夫だった。全く美代子には見覚えがない男がやけに親しげに話しかけてくる。


「身体が資本の看護師が体を冷やしちゃ不味いだろ、美代子。」

「ど、どちら様です?」

「おいおい離れていたのは、たかだか数ヶ月程度だっていうのにもう俺様の事を忘れちまったのか。」


 美代子は名前を呼ばれたことにぞっとしてその男をマジマジと見る。こんな艶やかな長い黒髪を持った男もしっかりと通る声も知らないが、しかし、そのふざけた口調に懐かしさを覚えた。


「ま、さか。」

「そ、ルルだよ。お前に名前をつけられた哀れな黒猫のな。」

「……ティキじゃん。なんで、ここに、それに、その姿。」


 声が震える。ずっとシューは彼に会いたかったのだ。

 ずっと会いたかった彼だが、いざ本当に目の前にいるとなると何も語ることもできなくなる。


「あー…そうだなぁ、何から話してやろうか。長くなるからどっかに入るか。こんな濡れちまってるけど。」


 あの時はずっとふざけて笑い飛ばしていた彼が美代子に気を遣っているのを信じられず、目を逸らして自分の手を見た。


「魔法…、は流石に使えないか。」

「そのことわりがこの世界にねえからな。」


 湧き上がるようなエネルギーを何一つ感じない。

 代わりにティキはタオルを美代子に差し出す。あの時のルルほどにはフカフカではないけれども、それでもタオルはふわふわだった。

 ティキが目の前にいるのも、そして、そのティキが優しいのも、自分がここにいるのも、全てがわからなかった。


 ティキは慣れたように美代子をファミレスに連れて行き、ドリンクバーを注文する。


「腹は減ってねえの?」

「うん、全然。この世界に来る前はすごく減ってたんだけど、今は空いてないや。」


 ティキは気になったのか美代子の頬に触れた。


「どうしたの?」

「……いや、お前が飢えるなんて相当なんか起きてんのかと思った。」


 あのティキがシューの心配をしている。

 

「オシリスに話を聞きに行ったんだ。ハデスから死の匂いと言われて、イザナミから魂が2つ存在すると返されて、それが何を意味するのかを知りたかった。親の力は頼りたくなかったから無茶をした。」

「なるほどねぇ、根っからの坊ちゃんが、1人で家出したってわけだ。」

「マティルドっていう可愛い女の子と一緒だった。」

「へえ。隅に置けねえな。」


 シューの知るティキだったら、もっと大声で叫んで馬鹿にしそうなのに、彼は落ち着いた雰囲気で少しだけ揶揄うように笑った。


「変なの、ティキが優しい。見た目が美代子だから?」

「違えよ。……俺様の中のティキの大部分が消えてしまってるんだ。だから、名乗ったろ、ルルだって。」

「……じゃあ、キミは、誰。」

「そうだな、もう一つの名を名乗らないとややこしいよな。」


 ティキは居住いを正して改めて名乗る。


「俺の名は、クー。スピリットのシューやシトリと友人だった戦の神だ。」

「…悪魔から人気の神?」

「それはやめてくれ。お前と会うよりもずうっと前、諸事情で弱っていた俺は悪魔のティキに身体を乗っ取られてしまったんだ。」

「え?」

「でも、恐るべきことに俺たちは相性が良かった。ティキより俺の方が強かったのが原因なのかも知れねえけど、何故かティキと俺の魂は混ざり合って一つの体に存在してしまった。状況は違うが、美代子と坊ちゃんと同じで魂が二つあって時折異なる性格が出るが、ほとんどが自分と同化しているそんな状態になった。美代子の場合は記憶があろうとなかろうと美代子の魂がメインだったみたいだがな。」

「それで。」

「シトリに攻撃を食らって俺はあの世界で保てなくなった。その時にほとんどティキの魂は消えた。今はクーと混ざりあってなくならない性格だけが残ってる。」

「……じゃあ、キミは僕の知る人ではないってこと?」

「そう見えるか?」

「見た目は完全に違うよ。ティキは醜悪な見た目をしていた。それに…。」

「でも、俺様はずっとシューと美代子の隣にいたルルだ。何度も危険を犯して闇の魔術書を手に入れたりした。ちゃんと俺の記憶だ。」


 それでも、ティキはこんなにも懇願するような性格はしてなかった。いつもくだらないと嘲り笑うような悪魔だった。そんなにシューや美代子のことを大切だと愛情深い目で見たことなど一度もなかった。


「だけど、ティキの魂がほとんど消えたいまティキとは名乗りがたくて美代子がくれたルルと名乗ったんだ。」

「ルルか。あの世界で最期の時、ルルとして死んでいったよね。」


 ルルとしてあの世界で死んだ後、彼がこちらの世界にいるのであれば、同じ状況である美代子もそうなのかもしれない。


「……なら、僕は死んだのかな。ルルはティキがほとんど死んでしまったから、あの世界で保てなくなったんでしょ。」

「さあな、俺様にはオシリスやその他の冥府の力は分からん。スピリットの中でも1番意味わからねえ力だ。」


 ティキ、というよりは、シューの側にいた黒猫ルルの方が今の彼にはちょうど良いだろう。ルルは、コーヒーを片手に深く考えていた。


「さっきあの場所にルルがいたのは何故。」

「知らねえ。でも、行かなきゃいけないと思ったんだ。猫の勘かもな。」

「本物の猫じゃなかったのに。」

「たった数ヶ月間だけだが、俺の100万回生きた人生の中で最も刻み込まれた記憶だわ。」

「ああ絵本の…。あ、ルルがうさこちゃんとその都市伝説を知ってたのはルルもこの世界で生きていたからだったんだ。」

「……そう、なるな。」

「ルルも事故に遭ってあの世界へ?」


 ルルは苦しそうに顔を顰めたあと、


「……最も正しいのは『共犯者』だろうな。でも、美代子、俺様は、いや、俺は美代子に生きて欲しいんだ。」


 と悔恨した様子でそう答えた。それは、美代子は手放しで喜べなかった。


「ああ、うん、あの時もそう言ってた。あの時は、今生きてる僕には言わないんだって思ったけど。」

「美代子の記憶が戻る前の12年も、記憶がなかっただけで美代子だった。そして、その後も。」


 そうは言われても、あの時生きていたのは確実にシューだった。美代子ではなかったのだ。


「美代子は死んだんだって、これから生きるのはシューだと私は思ってた。だから、僕はシューとしての人生を否定された気がしたんだ。」


 現代で生きていた美代子が18世紀のような世界で生きていくのは過酷だった。衛生観念も、倫理観も、命があまりにも軽いのも。だから、シューとして生きるのは美代子なりの覚悟だった。ガシガシとルルは頭を描く。


「そうだったのか、悪かった。俺様があの時シューと呼べなかったのは理由がある。俺はクーで、スピリットのシューの親友でもあったからだ。」


 ルルの言葉が、美代子に突き刺さる。本当は耳を塞ぎたい思いがあった。エリザベスを失ったシューにとっては彼が一番身近だったし、言えなかったが大切だと思っていた。


「でも、美代子、本当に俺は美代子に生きて欲しいんだよ。……ただのエゴだが。」

「そんなに頼んで、何?」

「……悪い。そんな悲しそうな顔をさせたくねえ。」

「ルルの癖に。」

「俺様だってなぁ……、いやいい。そらして悪かった。」


 すうっとルルは覚悟を決めるように息を吸った。


「美代子はずっとゲームを原作だと言っていただろう。それは間違いだ。」

「……え?」

「ゲームは、あの世界を原作にして作ったんだ。美代子や真理亜の言う通り、あの世界は一度滅んだ。そして、あの世界をもう一度構築するために、この世界でストーリーを広めて、そして、人の思いのエネルギーを利用して、しばらく経過して世界を作り直した。とはいえ、作り直したところで全く同じではない。崩れた積み木を再度同じように積み直しても全く同じとは行かないだろう。」

「それがプロフィールに差異がある原因?色々細かいところが違ってた。」

「それもあるし、ゲームにするにあたって都合が悪い部分はゲーム用のものになってる。今のあの世界は原作準拠とゲーム準拠、はたまた色んな人間の思いの力を使われているせいでその影響もある。」

「人の思いがエネルギーね、比喩じゃなくて現実に聞くと不思議な話だ。」

「それをする力があったんだよ。シトリの存在を思い出せ。」


 シトリは人の願いが核となった精霊。人の願いや思いというのは侮れないエネルギーとなる。それをエネルギーとして変換する力がスピリットのシューにはあった。

 真理亜やマティルドがあの世界にいたのはその色んな人の思いを元に作られたことが理由なのか。


「なら、もう少し転生者がいてもおかしくないよね。……そういえば、アンジーもどこからかの転生者だったかもしれないし。」

「……さあな、そもそも真理亜がこの世界の実在の人間かも分からねえよ。誰かが作った妄想かもしれん。」

「え」

「ただ一つ言えるのは、あの世界で想定されていたこの世界からの来訪者は美代子と俺様だけだった。」

「想定?」


 美代子があの世界にいたのは予定調和、偶然などではない。最後のトリガーとして発動したのは、あの雨の日の事故だったが、それは些末なことだった。

 シューだったらすぐに気づくはずであるのにそれをずっと気づかなかったのは、そんなはずがないと心が受け付けなかったんだろう。


「恋愛ゲームなんて一才興味なかった美代子がこのゲームを始めたのって何でだよ。」


 そう言いつつルルがスマートフォンで見せたのは、そのゲームのホームページ。そこには答えが書いてあった。


「ストーリー原案兼プロデューサー、西田 オサム。」

「うん、西田オサム…本名は漢字で修学旅行の修と書く。」


 それは、美代子の父親の名前だ。女性向けの恋愛中心のゲームにそれまでは興味がなかったのに、手を出したのは大好きな父親が出したゲームだったから。


「そう、それが元の世界で大気の神シューで、この世界ではオサムと名乗った。あの後戦争は精霊やスピリットたちの争いに発展し、世界が崩壊した。俺たちは崩壊する世界を抜けてこの世界にやってきた。その時に力を貸したのがシトリとエリオットSr.、加護を与えたイフリートだ。奴らはまあ崩壊した世界に消えていったから覚えてないだろう。シトリが変に記憶が残っていたのは、シューがなんかやったんだろうな。」

「…崩壊。」


 美代子に残る1回目の記憶で、クーがシューを助けに来だ。あの時は確かに人族の国は魔族に侵略され、略奪や強姦が蔓延っていた。

 でも、世界の崩壊というのは納得ができなかった。


「エリオットSr.は当時既に壊れていたから、残るはずもない。」

「お父様が…?そんなの全然。」

「エリオットSr.は、オルレアンを憎んでいた。それでも、アルビオンの為に仕事をしていたんだが、マリアンたちが失敗して戦線が崩壊した後、人族の土地で最初に落ちるのは位置的にアルビオンだ。その中でオルレアンはアルビオンに向けて挙兵した。表向きは魔族から領地を奪還。そして、秘密裏にはアルバートと名がつくものは全員殺害するとな。」

「….…ゲームのバッドエンドでは、シャルルが死んでいたけど、アルバートも全員?」

「そうだな。エリオットSr.は、家族が死ぬ中で唯一生き残っていた。ボロボロの廃墟でイフリートと共に呆然とな。シューは全ての原因がこの男にあると思っていたが、根底はもっとぐちゃぐちゃで複雑だったんだ。会いに行ったとき、シューはショックを受けていたよ。」

「壊れたお父様に同情したんだ。」

「そうだな。だから、もっとマシな世界を作り直そうとした。そして、シューは精霊を相手取って戦争を開始して世界を崩壊させた。」

「……何でそうなるの。」


 と、シューの行動に吐き気を催したが、冷静な頭が美代子により残酷な答えを与えた。


「お父様とパパが私の人生を滅茶苦茶にしてくれたってことかなぁ。長々と話してたけどっ、すごくルルは謝罪しているけどっ、そういうことだよねぇ?」


 ずっとルルが苦しそうにこの話をしていたのがわかった。つまるところ、この話の最終地点は「美代子の魂」を父親の修に利用されていたと言うことなのだ。


「あの世界、作り直すのに一つ大問題だったのが、シューがあの世界にいられないことだった。家だって基本的には外側から作るだろう。シューも人の願いや思いをかき集めて外側から構築していたんだ。」

「でも、あの世界にシューが必要だったから、シューの血縁者である私が選ばれたってわけだ。……バッカみたい。」

「おっしゃる通りです。」


 ルルは頭を下げて美代子の顔を見れていなかった。


「パパが私のことを愛していたのは、自分のために利用するためだったんだ。ママも騙してさ。こんなになるなら、私…、必死こいて生きていく理由なんてなかったじゃん。死ぬ気で働いてさ。でも、最初からシューとして生きていく必要があったんなら。」

「そんなこと、そんなことねえ!」


 声を荒らげて否定したルルだったが、目の前の美代子はその瞳からボロボロと涙を流し叫びたい気持ちを抑えるように血が滲むくらい唇を強く噛んで耐えていたのを見てその勢いは失った。


「美代子。」

「んに?」


 ルルはその美代子の頭を抱いた。


「悪かった。俺がシューを止めるべきだった。」


 この美代子は今までの二十余年を捨て去られたことだけじゃなくて、孤独で苦しんだ12年も合わさって全てを憎く思ってしまう。あれを良しとしたのが実の父親なのか。


「……美代子、辛い中、悪い。一箇所付き合ってくれないか。」

「え?」


 ルルはスマートフォンで会計を手早く済ませると、美代子が離れて行かないように強く手を掴んで連れて行った。

 ルルが何に諦め、何に祈っているのかが分からない。


 そこは見慣れきった病院、美代子が働いていた病院だった。しかし、向かったのは美代子の担当ではない療養病棟。


「おい、入んぞ。」


 病室の扉を乱暴に開けて、中に入る。美代子は心の中で謝罪することに集中していて、表札を見ることはなかった。


「クー、にぎやかだ…ね…っ。」


 今美代子が1番会いたくなかった人間がそこにいた。


「美代ちゃん!」


 抱きつこうとした│シュー《修》をルルは叩き落とした。


「おーい、テメェ。今まで色々あったが今度こそ俺はテメェを見限るぞ。」

「く、くぅ。」

「はぁ、あの時の俺は本当…。」


 地面についたの頭をグリグリと拳で挟み込む。美代子は2人に圧倒され何も言えなかった。ただただ気まずくて、視線を逸らし、この部屋のベッドの住人に申し訳なくて何か言おうと近づいたが、さらに言葉を失った。


「な、な、なん、で。」

「……美代ちゃん。」


 そこにいたのは美代子だった。


「じゃ、じゃあ、私は?」

「美代子。」

「美代ちゃん。」


50過ぎた父親の顔は、美代子の知るシュー・アルバートとは似ても似つかないが、彼は綺麗な顔立ちをしている。彼が美代子の父とは思えないくらいの綺麗なかんばせは今非常に歪んでいた。


「美代子。美代子は死んでなんかない。事故に遭ってまだ3ヶ月。それからここでずっと寝ている。」

「自発呼吸も取れてる…目も反射がある。脈も正常。」


 そう所謂、脳死という状態ではない。ただ眠っているというのが正しい。


「今の美代子は魂だけの状態で離脱している。あの世界だったらそれだけで死を意味するが、この世界は生きていられるだけの技術があるから、美代子はまだ生きている。」

「…でも、私あの世界で13年生きてたよ。」

「時間はかなりバラバラに狂ってる。俺様も大体あの世界に20年ぐらい過ごしていたが、こっちで経過したのは2年くらいだ。」

「全然計算が合わない。」


 美代子はルルの消えて行った2年の歳月に驚き同情をしたが、彼は大して気にしていなさそうだった。


「……で、そろそろなんか言わねえの、ようやく会えた娘にさ。」


 美代子の父は、ひたすら幼い頃から変わらない「美代ちゃん」を口にするだけで、謝罪も言い訳もしなかった。


「美代ちゃん。」

「せめて言い訳くらいしてみたら?」

「ぐっ。」

「……パパはリズに利用されたことに怒っていたよね。それなのに、自分は同じことをするんだ。本物の、娘に。」

「……はい。」

「意味が分かんない。その癖後悔して私の側から離れてないんでしょ。」

「……はい。」

「最早怒りを通り越したよ。……もう何もかも分からない。信じたく無い。」


 エリオットSr.やエリザベスに利用されていたとしても、シューには美代子の両親がいた。エリオットSr.が見てくれなくても、美代子の父の修は、美代子が怪我や病気する度に大袈裟に騒いで母の美和子から咎められるくらいに心配してくれた。だけど、そうじゃなかったのだ。1番美代子を心配して愛してくれていたと思っていた父親が1番美代子を蔑ろにしていたなんて悪夢だ。


「美代ちゃん。本当に。」

「12年間、僕、苦しかったよ。痛かったよ。それを貴方が私に与えたんだ。」


 ルルはエリザベスが亡くなってからの4年間をよく知っている。光属性でありながら闇属性を習得しようとした過程で何度も彼の血を見た。あの時ティキとして笑い飛ばしていても、同時に苦しさを感じていた。シューが目の前から消えるといつも何してたんだろうと顔から表情が抜けた。しかし、その苦しみの結果がこの先美代子が生き残る確率を上げることをわかっていたから、止められなかった。


 殴って詰って叫ぶことが出来たのなら、まだ心を切り替えることができたかもしれない。でも、今までの美代子の確固たる基盤がポロポロと崩れ、腑抜けた地盤に立っているようだった。

 魂だけの存在である美代子はとても不安定でそのまま消えかかってしまう。


「美代子!」


 まるで手を離してしまった風船を引き止めるように、ルルは美代子の肩を強く掴んだ。


「美代子、加害者側の俺が言うのは間違いだとは思うし、ティキでもある俺様を信用できないのも分かっている。それでも、俺は美代子のことを大切だと思っている。」

「・・・・・それこそ、なんで?」


 シューとして生きていた頃、一番孤独を感じていた時にそばにいてくれたのがティキだった。シューの賢しらな部分でティキは悪魔だからと線を引いても、彼のことを失い難かった。嫌われたくなかった。彼は悪魔だから気まぐれに弄び、捨てていくのだと思っていたから、彼が消えていく最期まで全てを預けられるようなことはなかった。


「俺はずっと美代子のことを見てきたんだよ。」

「それが何だっていうの?パパのこと止めてくれなかったんでしょ。」

「美代子の言う通りだ。ただのエゴだ。こちらの都合で振り回して悪い。」

「この世界の生きる夢も、あっちの世界で生きる夢も、嘲笑うように消えたんだよ。」

「ああ。本当に残酷なことをしていると思っている。」


 ルルは美代子を喪うのが怖くて力強く抱きしめた。魂だけの存在らしいが、ルルの力強さも温度も感じられる。


「俺は美代子が望むことをするから。だから、生きていてくれないか。それだけでいい。幸いお前のカス親父もグズの俺にも蓄えはある。どうとでもなる。」

「……パパの財産はママに全部あげて。」

「元々僕の稼いだお金は美代ちゃんと美和子さんのためのものだよ。そんなこと贖罪にすらならない。」


 今は父親の顔は見たくなかった。


「ルル、あのさ。」


ーーー


 ルルの目の前には、数え切れないほどの年月を重ねた男が丸まってぐずぐず泣いている。情けないのは確かだが、この男も漸く感情というものを理解したようだった。あと20数年早ければ、娘に嫌われることなく幸せに生きていけたのだろうに、いつもこの男は遅いのだ。


「シュー…、いつまで泣いてんだよ。お前が招いた事態だろ。」

「黙っててくれないかな。娘が自分の親友に取られた気分で、今最悪の気分なんだからさ。」

「そっちかよ、最低だな。」


  けれども、クー自身もこの男と付き合いが長いから、それが本心ではないことを知っている。

 美代子はただ最後に美代子がこの男に残した暴言は、彼にとっては一つの救いだった。


「本当パパってリズとそっくり。焦って自分の子供を利用して、利用したことを後悔して。この似たものクズ親子!」


 シューを利用したエリザベスを憎んでもいたが、愛してもいた。自身があの世界で生きていた時も彼女は優しく、そして、彼女自身が犯した罪を許してはなかった。


「あんな人でも、僕にとっては大好きな人だったんだ。」


 修と美代子は辿った道が違う。修がシューとしての記憶を取り戻したのはアルバートの家を出て行ってからだったし、ディアナとは会ったことはなかった。エリオットJr.やオズワルドたちアルバート家との関わりがほとんど希薄だったせいで、シュー・アルバートの感情は、ただの大気の神シューと入れ替わり、エリザベスはただのシューを利用した憎い人間と成り下がっていた。けれども、確かにあのエリザベスを庇護してくれる人間として愛していたのだった。


「……昔と同じ今の黒髪も気に入っているけれど、あの頃の金髪も再び欲しくなっちゃったなぁ。」

「シュー。」


 修は眠る娘の頬を撫でて手を握る。

 シューは人間が憎かったし、エリザベスのことも憎らしかったが、こうして美代子のことを思うと、エリザベスの良い思い出が蘇る。


「本当にごめんね。僕は君が戻ってきたら、もう2度と離さないと思っていたのに。」

「娘離れしろ。お互いいい歳のくせに。」

「美代ちゃんが配偶者パートナーを見つけるまでは僕のお姫様なの。」

「へいへい、すでに嫌われてるおとーさんがよ。」

「嫌われてない、憎まれてるだけだ。」

「もっと最悪だろうが。金すらも要らないっていうのは繋がりを一切断ちたいという意味だ。美代子は堅実だから、金銭に困ることはねえだろうし縋らねえよ。看護師なんて仕事が無くなることはないからな。」


 ルルは手を離した彼女の手の感触を思い出しながら、苦笑する。


ーーーー


 修と喧嘩別れしたあと、美代子はルルと屋上にのぼった。

 そこで、美代子はあの世界へ一度戻るとルルに伝えた。


「たくさん苦しんだじゃねえか。」

「……そうだね。でも、今の私は、僕は12年生きていたシューに近いんだよ。今更すぐにはいそうですかと戻れない。この世界を渇望しているのは今ももちろん変わらないけど。」

「ご飯は美味いし、エアコンや洗濯機がある。道は臭くないし、すぐに暴動は起きないし、人は長生きしている。この世界は素晴らしいだろう。」

 

 ルルの言っていたことは、シューが美代子の記憶を取り戻してからずっと思っていたことだった。


「それに、美代子が望むのなら、望んでくれるのなら、俺は世界一の友人にも恋人にだってなれる。」


 シューは確かに彼の存在が一番だった。エリザベスがいなくなって1番苦しかった時代にそばにいてくれていたからだ。彼がそばにいてくれるという言葉はシューにとっては何よりも甘美な言葉だった。


「それ何年経ってもそう言ってくれるの?」

「勿論。」


 美代子は今は隠れてしまっている青い空に想いを馳せた。今この時は同じ黒い目を持っているが、今の自分たちは空は同じように見えているだろうか。


「……確かに僕には君が必要だ。」

「……そうか、シュー・アルバート。一緒にいてやれなくて済まない。」

「今は、僕しか君を必要として無いけど、もし美代子としてもう一度この世界に戻ってきたのなら、私はあなたが必要だよ。」


 ルルは、涙の跡が残る頬を撫でた。


「ああ、その時までここで美代子を待ってる。」


 そうして、ルルの腕の中から彼女は消えた。



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