第75話「次の器、無能王子は“奪われる命”へ手を伸ばす」
赤い結晶の中に、少女がいた。
銀色の髪。
閉じられた瞳。
細い手足。
まるで眠っているだけのように見える。
だが違う。
彼女の身体には、無数の赤い術式線が絡みついていた。
血管のように。
鎖のように。
命そのものを縛り、削り、無理やり何かへ作り替えようとしている。
「……次の器」
レオンの声は低かった。
地下深層の赤い灯火が揺れる。
崩落術式の音が近づいている。
「術式起動まで九秒」
無機質な声。
だが、その数秒が妙に長く感じた。
ゼルヴァは血を拭いながら笑っていた。
「そうだ」
「美しいだろう?」
「適合率は、今までの失敗作とは比較にならない」
「銀髪、低魔力耐性、高い精神受容性」
「そして何より――壊れにくい」
その言葉で、レオンの目が冷えた。
「壊れにくい?」
「ああ」
ゼルヴァは当然のように言う。
「器として重要なのは、壊れないことだ」
「力を入れれば割れる器では意味がない」
「泣き叫ぶ程度ならいい」
「発狂しても、まだ使える」
「だが肉体が崩壊すると困る」
リリアーナなら、きっと怒っただろう。
エリシアなら、顔を歪めながら論理で刺しただろう。
アルベルトなら、迷わず怒鳴っていた。
だが。
レオンは静かだった。
あまりにも静かだった。
ヴァルガが低く唸る。
『主』
「ああ」
『こいつ、殴っていいよな』
「まだだ」
『えー』
「先に止める」
レオンの視線は、赤い結晶へ向いていた。
少女。
次の器。
王城が神霊を移植しようとしている、人間。
それを見た瞬間。
東の塔の記憶が、ほんの少しだけ蘇った。
閉ざされた部屋。
誰も来ない空間。
名前を呼ばれない日々。
役に立たないなら、いらない。
価値がないなら、閉じ込める。
不要なら、見捨てる。
その延長線上に、目の前の少女がいる。
使えるなら、器にする。
使えなければ、捨てる。
王城は何も変わっていない。
いや。
もっと深く腐っていた。
「……ノワール」
『ん』
「術式核を止められるか」
『止めるだけならできる』
「だけなら?」
『中の子が危ない』
レオンの目が細くなる。
『この結晶、術式核と生命維持を繋げてる』
『核を壊せば、崩落術式は止まる』
『でも、その子も一緒に死ぬかもしれない』
ゼルヴァが笑った。
「理解が早い神霊だ」
「そういうことだよ、レオンハルト」
「選べ」
「地下を救うか」
「少女を救うか」
「仲間を救うか」
「お前は何度も選ばされる」
「そして、いずれ間違える」
赤い灯火が脈打つ。
「術式起動まで七秒」
時間がない。
普通なら焦る。
怒る。
迷う。
だが。
レオンは静かに息を吐いた。
「……選ばない」
ゼルヴァの笑みが止まる。
「何?」
「全部やると言った」
短い声。
だが揺れない。
「地下を止める」
「少女も助ける」
「仲間も助ける」
「お前も潰す」
ゼルヴァの目が細くなる。
「傲慢だな」
「そうか」
「できると思っているのか?」
「思ってない」
レオンは一歩前へ出る。
「やるだけだ」
その瞬間。
通信具から、激しいノイズが走った。
『レイさん!』
リリアーナの声。
近い。
だが乱れている。
『こっち、通路が崩れ始めて……!』
後ろで轟音。
エリシアの声も混ざる。
『レイ様、こちらはまだ動けますわ! ただ、長くは持ちません!』
『くそっ、なんだよこの赤い杭! 壊しても増えやがる!』
アルベルトの叫び。
皆、生きている。
だが追い詰められている。
ゼルヴァが笑う。
「ほら」
「声が聞こえるだろう?」
「守りたい者が苦しんでいる」
「なのに、お前はここで少女一人に構っている」
「残酷だな」
レオンは通信具へ触れる。
「リリアーナ」
『は、はい!』
「結界を張れ」
『張ってます!』
「違う」
一拍。
「守る結界じゃない」
『え……?』
「繋ぐ結界だ」
通信具の向こうで、リリアーナの息が止まる。
レオンは続ける。
「俺の雷を通す」
「お前の結界で散らせ」
『……そんなこと』
「できる」
即答だった。
『……』
「できる」
もう一度言う。
「お前なら」
ノイズの向こうで、リリアーナが息を吸う音が聞こえた。
『……はい』
声が変わった。
震えている。
でも、折れていない。
『やります』
ゼルヴァの笑みが少し消える。
レオンは次に言う。
「エリシア」
『聞こえていますわ』
「術式の流れを読め」
『もう読んでいます』
「早いな」
『褒め言葉として受け取りますわ』
こんな状況でも、その声には少しだけ余裕があった。
レオンは短く続ける。
「赤い杭は核に繋がっている」
『でしょうね』
「切るな」
『ええ、切れば崩れますわね』
「流れをずらせ」
『……難題ですわね』
「できるか」
『できます』
即答。
『わたくしを誰だと思っていますの?』
「面倒な令嬢」
『今のは後で怒りますわ』
「後でな」
ほんの一瞬。
ゼルヴァの眉が動いた。
この状況で。
崩落寸前の地下で。
死の淵で。
軽口。
異常だった。
恐怖で壊すはずの場面で、彼らはまだ繋がっている。
レオンは最後に通信具へ言う。
「アルベルト」
『おう!』
「杭を殴れ」
『雑だな!?』
「壊すな」
『殴れって言っただろうが!』
「揺らせ」
アルベルトが一瞬黙る。
『……なるほどな』
「分かったか」
『なんとなくな!』
「十分だ」
『お前、俺への信頼雑じゃねぇ!?』
「事実だ」
『今度絶対殴る!』
「後でな」
レオンは通信具から手を離す。
ゼルヴァは黙っていた。
数秒前まで楽しそうだった男が、今は静かにレオンを見ている。
「……不思議だ」
「何がだ」
「お前は、思ったより壊れない」
「壊すつもりだったのか」
「当然だ」
ゼルヴァは笑う。
だが、そこに最初の余裕はない。
「東の塔の傷」
「仲間の危機」
「過去」
「罪悪感」
「恐怖」
「これだけ重ねれば、人は普通壊れる」
「でもお前は、壊れるどころか繋がる」
一拍。
「気持ち悪いな」
「お前に言われたくない」
レオンは赤い結晶へ向き直る。
「術式起動まで五秒」
無機質な声。
地下全体が赤く染まる。
赤杭が脈打つ。
天井が崩れ始める。
ヴァルガが前へ出る。
『主、時間ねぇぞ!』
「分かってる」
『どうすんだ』
「力を貸せ」
『最初からそのつもりだ』
ノワールが影から顔を出す。
『私は中に入る』
「少女を守れ」
『ん』
『でも主』
「何だ」
『ちょっと痛いよ』
「知ってる」
『かなり痛いよ』
「早くしろ」
『はーい』
ノワールの影が、赤い結晶へ染み込んでいく。
じゅ、と嫌な音がした。
赤い術式が影を拒絶する。
ノワールが少し顔をしかめる。
『うわ、気持ち悪い』
『人の魂を糸みたいに結んでる』
『最低』
ヴァルガが牙を剥く。
『王城の連中、ほんと気に入らねぇな』
「同感だ」
レオンは右手を上げる。
黒雷が集まる。
だが、それは破壊の雷ではない。
細い。
鋭い。
針みたいに研ぎ澄まされた雷。
エリシアが言った“流れをずらす”。
リリアーナが張る“繋ぐ結界”。
アルベルトが揺らす“杭”。
全部を合わせる。
一人でやるのではない。
皆で止める。
「リリアーナ」
『はい!』
「今だ」
『――結界展開!』
通信具越しでも分かるほど、強い光が走った。
地下のあちこちに、淡い銀色の結界線が伸びていく。
壁を伝い、床を走り、赤い杭の間を縫う。
リリアーナの結界。
守る壁ではなく、繋ぐ道。
エリシアの声が重なる。
『流れを確認』
『右奥、第三杭群』
『そこが逆流点ですわ!』
アルベルトの怒鳴り声。
『そこだな!?』
『おらぁぁぁ!!』
遠くで轟音。
炎の衝撃が地下構造を揺らす。
杭が折れるのではなく、わずかに震える。
赤い術式線が一瞬乱れた。
「今」
レオンが踏み込む。
黒雷が、リリアーナの結界線を通る。
エリシアがずらした流れへ乗る。
アルベルトが揺らした杭の隙間へ潜る。
そして。
ノワールが守る少女の魂を避けて。
赤い術式核だけを貫いた。
地下深層に、音のない閃光が走った。
赤い灯火が一斉に消える。
「術式起動まで――」
無機質な声が途切れた。
沈黙。
ほんの一瞬。
地下全体が、息を止めた。
そして。
赤杭が、一本ずつ崩れていく。
ガラン。
ガラン。
ガラン。
術式停止。
崩落は止まった。
「……止めた」
ゼルヴァが呟いた。
信じられないものを見る目だった。
「本当に、止めたのか」
レオンは赤い結晶を見る。
結晶には、大きな亀裂が入っている。
だが砕けていない。
中の少女も、まだ生きている。
ノワールが影から出てくる。
『主』
「どうだ」
『生きてる』
「そうか」
『でも、起こすには結晶を割る必要がある』
「割れるか」
『割れる』
一拍。
『でも、起きた時にどうなるか分からない』
レオンは少女を見た。
銀髪。
閉じられた瞳。
次の器。
王城に奪われかけている命。
「……起こす」
即答だった。
ゼルヴァが笑う。
「やめておけ」
レオンが振り返る。
「何?」
「その少女はもう、普通ではない」
ゼルヴァは血塗れのまま立ち上がる。
「神霊適合処理は始まっている」
「目覚めれば暴走するかもしれない」
「お前の仲間を殺すかもしれない」
「それでも救うのか?」
レオンは答えない。
ただ一歩、結晶へ近づく。
ゼルヴァが続ける。
「また選択だ」
「救うことで誰かを危険に晒す」
「見捨てれば、皆は安全」
「さぁ」
「今度はどうする?」
レオンは静かに言った。
「お前、本当に分かってないな」
ゼルヴァの目が細くなる。
「何をだ」
「助けるかどうかに、理由なんていらない」
一拍。
「目の前にいるなら助ける」
その言葉に。
ゼルヴァは一瞬だけ、笑みを消した。
完全に。
その表情は、初めて人間らしかった。
理解できないものを見る顔。
あるいは。
昔どこかで失くしたものを見た顔。
「……くだらない」
ゼルヴァの声が低くなる。
「実にくだらない」
レオンは無視した。
右手を結晶へ当てる。
「ノワール」
『ん』
「守れ」
『了解』
「ヴァルガ」
『おう』
「割る」
『派手にいくなよ』
「分かってる」
黒雷が細く走る。
結晶の亀裂へ沿うように。
破壊ではなく、解放。
赤い結晶が震える。
中の少女の髪がふわりと揺れた。
その瞬間。
地下深層全体へ、別の魔力が広がった。
冷たい。
透き通るような。
でも、どこか悲しい魔力。
エリシアの声が通信具から響く。
『レイ様、今の魔力は……?』
「分からん」
リリアーナも言う。
『すごく、寂しい感じがします……』
アルベルトが低く呟く。
『おい、なんか嫌な予感すんぞ』
レオンも同じだった。
嫌な予感。
だが止めない。
助けると決めた。
なら最後までやる。
結晶が割れる。
パキン。
ひとつ。
パキン。
ふたつ。
そして。
赤い結晶が、音を立てて砕け散った。
銀髪の少女が、ゆっくりと落ちてくる。
レオンはその身体を受け止めた。
軽い。
あまりにも軽い。
生きているのか不安になるほどだった。
「……」
少女のまつ毛が震える。
ゆっくりと、瞳が開いた。
淡い紫の瞳。
焦点が合っていない。
少女はレオンを見た。
そして。
掠れた声で呟いた。
「……あなた、は」
「レイ・ノクト」
レオンは短く答える。
「助けに来た」
少女の瞳が揺れる。
まるで、その言葉の意味が分からないみたいに。
「助け……?」
「ああ」
「わたしを……?」
「そうだ」
少女の目に、涙が浮かんだ。
だが。
次の瞬間。
その瞳が赤く染まった。
ノワールが叫ぶ。
『主! 離れて!』
少女の身体から、赤い術式線が爆発的に広がる。
レオンの腕へ絡みつく。
ヴァルガが咆哮する。
『まだ残ってやがったか!』
ゼルヴァが笑った。
血まみれで。
壊れたように。
「だから言っただろう」
「その子はもう、ただの少女じゃない」
「器だ」
「起動した時点で」
一拍。
「神霊もどきが目覚める」
少女の背後に、赤黒い翼のようなものが広がった。
地下深層の空気が歪む。
レオンは少女を抱えたまま、動かない。
「……主!」
ノワールの声が鋭い。
『その子、暴走する!』
ヴァルガも低く唸る。
『下手すりゃ、この地下ごと吹き飛ぶぞ!』
レオンは少女を見る。
少女は苦しそうに息をしている。
涙を流しながら。
掠れた声で言った。
「……ごめ、んなさい」
「わたし」
「止められ、ない……」
その言葉に。
レオンの目が静かに細まった。
「なら」
一拍。
「止めてやる」
赤黒い魔力が爆ぜる。
地下深層が再び揺れる。
ゼルヴァが笑い。
ノワールが影を広げ。
ヴァルガが黒雷を纏う。
そしてレオンは、暴走しかけた少女を抱えたまま。
静かに言った。
「もう誰も、器になんかさせない」
その瞬間。
地下深層に、赤黒い翼が完全に開いた。




